『NUM-HEAVYMETALLIC』 NUMBER GIRL
2009-10-07
![]() | NUM-HEAVYMETALLIC (2002/04/26) ナンバーガール 商品詳細を見る |
1. NUM-HEAVYMETALLIC
いきなりアヒトの絶叫号令。やっぱりこれ、向井に命令されてやってるのか。それとも……。曲本編はまさかの冷徹ダブ民謡。研ぎ澄まされているのにドロッドロに感じるディレイがかったギターとエコー掛かりまくりのドラム。スネアの音が響く響く。そして純和風メロディを素っ頓狂な声で聴かせるアヒトイナザワのボーカル。伸ばす音とそこに畳み掛けるエフェクトが緊張感を醸し出す。向井はアクセント(笑)「しょんべんもらして少年少女 ええじゃないかのやりまくり」純和風な猥雑さをぶち上げ、アルバムのいかがわしい世界観を鮮烈に叩き付ける。最後にイントロに戻るのも印象的。
2. INUZINI
前曲の余韻を打ち破るギターリフから一気にロールして、そして一声「やっぱりロックンロールやねー!」そこからまた重たい展開、そしてイントロと同じ展開から一気に加速して、暗黒祭り囃子へ。忙しい曲だ。和風の笛のように鳴ったかと思ったら急に凶暴化して祭りなリフを引き出すギター、そして展開の変化の度に自在に転がり回るドラムに圧倒される。向井の歌も絶好調でなんか楽しげ。ザゼンに繋がる感じの狂乱具合。
3. NUM-AMI-DABUTZ
緊張感高まるイントロの焦燥から、全ての楽器が一斉に重なり合い、そして拡散する。フリーキーに暴れるギターとドラム。えぐるようなフレーズを弾き続けるベース。そして向井の冷凍都市の光景を笑顔も見せずに暴露するラップ。何気にリズムギターもかなりヒステリックに曲の骨格を形成している。好き勝手転げ回るドラムが突如ちゃんとリズムを刻んだかと思ったらまたずれないギリギリのところで暴走しまくる。ブレイクでも暴れまくり。定型のリフを弾いたりグチャグチャになったり自由自在なギターのそして終盤の爆裂具合。ギターとかもうなんなのって感じ。ギターの大絶叫。そして最後にイントロと同じびしっと揃うところで鳥肌が立つ。
4. Tombo The Electric Bloodred
Yesの『Roundabout』のリフを借用し、ジャキジャキのポストパンクにしてしまった風の、漆黒の疾走ナンバー。幾つかの展開にあわせて様々に舞い上がるギターのヒステリックさ。あとシャウトとブレイクのメランコリックな歌を使い分ける向井。この曲はやっぱりブレイクが強烈。ぐるぐると陰鬱に回るギターフレーズの鋭さ。まるで救いの無い路地裏の風景、ブレイクでスピーカーをビリビリ鳴らしながら歌われる鮮烈な情景描写。「季節と季節の変わり目 恋をする少女だったときもあった」と、過ぎ去ったセンチメンタルな時代をちょっと振り返るような。でもその直後のギターの音の突き抜けずにガボガボ鳴っている具合がまた何とも救いが無い。このストイックな疾走とブレイクによる解放の快感はこの時期のナンバガだから出来た崩壊寸前のバランスの美しさ・鮮烈さがある。ひたすら背筋が凍り付くような冷徹な疾走具合。ナンバガで一番クールでどうしようもない曲だと思う。音割れしまくる最後の向井の歌とか。
5. delayed brain
ZAZEN BOYSに移行してからも度々演奏された数少ないナンバガ曲のひとつ。まどろむ薄暗いバーな雰囲気のナンバガ式ダブ。やはり自在に入ってくるドラムの気持ち良さと、気味悪く旋回し続けるギターのメロディ。とろんとしたキーボード。『ZAZEN BOYS 3』の世界観を先取りしたような、ディープな夜の雰囲気がある。半分過ぎた辺りで現れる新しいメロディ展開や静かに高まり効果的にずれるドラムの強烈さは、曲が大人しいだけに余計に映える。神経質でフリーキーなソロも気味が悪いし、突如始まるシンバルとキックの連発からまた落ち着いたリズムに戻るところの緊張感も絶妙。そして白眉はデイヴ・フリッドマンによる変なコーラス。違和感バリバリな向井式ディープファンクダブ。
6. CIBICOさん
いきなり疾走するベースラインに導かれて、やって来たのはまたギターの変なフレーズをバックに向井が叫ぶ不条理な雰囲気。きっちり叩くかと思うと急に崩れ、そしてまたもとに戻るドラムも緊張感がある。そしてブレイクとともにギターフレーズも変化し、ぐるぐるうねるようなそれを終止展開。普通の8ビート的展開になるが、向井の歌には深めのリヴァーブが掛けられて、やはり緊張感や居心地の悪さは継続。朗々と向井が歌うのはまあ盗人さんなどもいるけれど整然と営まれているCIBICCOさんたちの風景。歌が終わってから一分半もノイズ気味にソロを弾くギターと相変わらず反復フレーズを引き続けるギターの対比が何とも気持ち悪い感じを作りだす。
7. MANGA SICK
短いリフを伴って展開する、一応の疾走ナンバーだが爽やかさは皆無。ブレイクの取り方が後のザゼン風。徹底的に純情恋愛の先のどうしようもなさを暴露する向井、叫ばずに淡々と歌う。初期のセンチメンタルさがウソのような感じ。連続ブレイクからリズムチェンジして和風にぐるぐるした展開、そしてまた元のすっきりしない疾走に戻るのがクール。爆発せずに淡々と神経質に進行するのがなんとも切れ味があって良い。一番ポストパンクっぽいかも。和風ポストパンク。
8. FU SI GI
アルバム中でも最も気味の悪い曲。非常にダラダラとしたテンポ、今に求まってしまいそうなテンポで進行し、ディレイの掛かりまくったギターフレーズと淀んだリズムギターの対比でグチャグチャになる。サビでじわじわと盛り上がるのに、またドロドロに回帰するのが気味悪い。リズム崩壊でフリーキーなギターはビーフハート風?二回目のサビの後級に緊張して、そこからノイズを伴って徐々に加速していくところも不気味だが、その後緊張が破れてまたもとのドロドロに回帰するのも非常に気持ち悪い。
9. 性的少女
やはり短いベースのうねるリフを中心に組み立てられ、リズムギターも鈍くえぐるようである。淡々とした展開と神経質な爆発を繰り返した後、ブレイクしてセンチメンタルなメロディーが登場し、そこから一気に駆け出す。性的に染まってしまった少女が一生懸命センチメンタルな感情を忘れようとする虚しさを歌う、叫ぶ。少女が冷凍都市に呑まれていく。アルバム後半のハイライトだと思う。ギターの悲鳴具合がなんともグロテスク。この曲はリズムが暴走しないだけにかえってその悲惨具合が目立っている。
10. Frustration in my blood
これだけ割と『SAPPUKEI』期にもありそうな、このアルバムでは普通目の曲。一定のパターンのギターカッティングを伴っての向井の歌も普通。ただブリッジ部のギターの回転具合はこのアルバムらしい暗黒具合だが。そしてサビで急に突き抜けるメロディが登場。コード進行もなんかここだけポップだ。二回目のサビ前の盛り上がり、特にサビ直前にギターのかき鳴らす音だけ残る部分がなんともセンチメンタル。そして最後の疾走。リズミカルに五連を打つドラムなどもポップに弾けている。最後の狂想と言わんばかりに自在に膨れ上がっていくギターは、他の楽器が残ってからも名残惜しそうに残ってべろんべろんのフレーズを弾く。
11. 黒目がちな少女
かつてナンバガが映画『害虫』に提供したインストトラックを再利用して歌を入れ演奏を加えた曲。静かで穏やかな夕暮れの風景が広がるが、やっぱり向井はふらふらさすらっているようで、エコー全開で叫ぶし、そこにドラムが入って自在に転げ回る。穏やかな曲なのに最後の最後にやたら緊張感を加味し、空間を曲げるような重力を放っていく。整然とした景色が歪む。向井が絶唱する。アヒトはホーミーなどを用いている。そんなんも出来るん!?最後に一発シンバルも打って終わり、ハウリングを余韻にしてアルバムは終わる。
ナンバーガールの2002年発表のメジャー3rd、通算では四枚目、そしてラストアルバム。メジャー一枚目から『SAPPUKEI』に向けての変化も強烈だが、それからここへ至る変化もよっぽどである。向井は自分の中の変態性の向かうべき先をこの国の土着文化に求めた。仏教やら村社会やらお祭りやら、そしてそういった街の光景に潜む猥雑でどうしようもない部分、性を売り始める少女や年を経たたちんぼや。あとそんなんも知らずに暮らす子供たちやらカラスやらカッパやらコウモリやら何やら。それらについて冷静な目線で歌いながらもサウンドは非常にヒステリックに展開、特に向井による強烈なリフやリズム志向によって押さえつけられたバンドが放つフレーズの数々はどこか断末魔じみたヒステリックさを放つ。
そう、この向井とバンドの対立構造。これこそがこのアルバムの過渡期的な性格を形成もするし、また軋轢による激しさも同時に生み出している。このアルバムで行われた幾つかの試みは後にザゼンで「よりコントロールされて」登場する。このアルバムは、まあ「コントロール不能」とまで歌ってしまったバンドの性格もあったのだろうか、向井のコントロールが不完全であるし、向井もその不完全具合を作品の特徴として積極的に取り上げているように思う。不条理でフリーキーなギターフレーズが効果音的な役割を越えて、大いに絶叫のように響き渡る。
そして妖怪アヒトイナザワによる自在すぎるドラミングは、もうどこまでが向井の狙い通りなのかよく分からん感じがする。曲自体がかなり奇形的であることもあって、アヒトのドラムはナンバガ中、いや彼のキャリア中でも最も無茶苦茶であり、しかしそれでもギリギリ破綻しない具合、このスリリングさこそがこのアルバムの最大の魅力だろう。向井の指示かどうかは知らんが、きっちり合わせるところは合わせ暴走するところはひたすら限度を超えて暴走するドラムとギター、そして半ば機械のように反復フレーズを弾かされるベースと、曲に合わせて自在にリズムを変える向井のリズムギター、この四者が半ば崩壊しながらも、どうにか曲として成立しているバランス。本当にどこまでが向井の意図したものなのか分からないこの具合こそが、このアルバムにその後のザゼン諸作品と決定的に異なるカラーを与えている。ザゼンが向井の変態性を突き詰める為の異形なら、こっちはバンド総体としての異形のように思えるのだ。
センチメンタルさも完全に過去のものとなるが、これもまたザゼンほど徹底出来ていなくて、所々に過去を思う微妙な視線を覗かせる。ザゼンになると当たり前になってしまう猥雑な冷凍都市の風景を、まだ向井はどこか部外者らしさを残して眺めている。その辺もまた過渡期的なこのアルバムの性格を形成している部分なのだろう。
なんか前置きが長いPV。冷凍都市のドラマとうさんくささを感じよう!これ撮影とかやっぱゲリラ的にやってるんだよなあ。
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omoide series 第三回:ナンバーガール編
2009-10-07
なんとなくスーパーカーについて書いたら、この企画の方向性が掴めたので、どんどん書けるうちに書きたいと思います。結局97年世代の四つについては全部書くのか……。書くのが一番しんどそうなのは一番最後に残しておきたいので(笑)、今回はナンバーガールについてでひとつ。いや、この序列はあくまで筆者の現在の思い入れによるもので、そうなると中村一義が四つの中では一番「重く」なるので。あしからず。最新のスヌーザーを読むとどうも。ビートルズ特集良かったよタナソウ!やっぱりホワイトは満点だよねそしてことあるごとにリンゴのドラミングに中村一義を引き合いに出してくるタナソーの偏り具合がわたしは好きです。
という訳でナンバーガール。まあこれもまた一筋縄でいかないバンドな訳で。それにわたし、同郷だし。彼等が福岡時代に練習やライブをやっていた場所が近くにあるというだけで、この街に来た時は色々と興奮したものです。福岡はいい街。ただ音楽文化的には最近あまり勢い無い?最近あまりライブに行かないので分かりませんが。
ナンバーガールの誕生秘話などは多分その辺に転がっているだろうしそもそも向井自身がマンガに書いているのでそちらを参照(笑)ナンバーガールは他の三者(くるりスパカ一義)と比べると、一番出自がまともと言うか、非大学生でアングラ上がりという、そういう部分がまず他の三者と大きく異なるところだと思うし、彼等自身もその出自を隠したりせず、むしろ非常に大事にしていたように思う。そういう意味でこのバンドおよびその後の向井秀徳がアングラ的要素を多分に抱えたままメジャー的な立ち位置にいることは非常に納得のいくことである。むしろ福岡時代の方がポップ(笑)
ラストライブの最後に演奏された曲が初期のポップな名曲なんて、粋だ。センチメンタルだ。
初期のギターポップ路線はしかしUK的な流麗非力系のそれではないことが特徴で、やはりピクシーズなどを意図していたのだろうヘタウマ感と直線的などっしり感が備わっていた。まだ青春的な切なさを歌うに留める歌詞はしかし既に酩酊や街のことなどを扱っていた。そして妙に勢いがあって転がりまくるアヒトのドラム。そういえば向井のギターの音って初めから最後までずっとジャキジャキのままなんだな。
98年に上京。だから実は彼等はちっとも「97年世代」じゃない気もするが、まあ後付けの定義であって、それに確かにあの辺のバンドと一緒に扱うとしっくり来るし、これはこれでいいのだろう。
上京の後、何故か急に諸行無常を感じ始める向井の作詞。メジャーデビューしてから、曲に急に都会的な猥雑さの影が現れ始める。
向井手書きのマンガをベースにしたPVという、何ともインディチックなつくり。こういうマンガやらあとライブやメディアに置ける自己のキャラ付けやらにおいてもナンバーガール、というか向井は革新的な、というかキワモノ的な行動を示し、バンドを強く印象づけた。しかし曲の爽やかさとそこに潜む都会の影、そしてそれに屈しない若々しさ全開のビジュアル。これはこれでいい感じだったメジャー1st。結局福岡で録音したってのも爽やかさが多分に残っている理由なのかしら。
東京でライブをこなし、徐々に都市の病の虜になっていくナンバーガール。ここでちょっと福岡在住の人間として言わせて。福岡の街は基本的に天神と博多駅周辺の二つが中心部なんだけれど、この辺りには飲み屋などはあっても風俗店は無いわけ。あってもラブホ程度。風俗関係の店はほぼ中州に集約されていて(親不孝とかも性的にいかがわしい店ってあんまり無いし。まあ雑餉隈なんかもあるにはあるけど)、こう、風俗店は中州に行かないと見れない、って具合なんです。意外と福岡って性商売的に潔癖な街なんです(笑)ところがどうだい、東京の街に行ったら、とりあえず大きな街に行けばその一角に必ず風俗街がある。新宿も渋谷も池袋も上野も、どこにも歓楽街があって客引きなんかをしている。就職活動で初めて東京に行った筆者は正直幾らか面食らいました。ネカフェを探そうとしたら風俗街の中にいたりして。まあ多分全国的には繁華街と歓楽街がくっついているのは普通なんだろうけど、でも福岡にずっといるとそうは考えないんです。だから初めて東京のそういう街を見たとき筆者は思いました「ああ、これが向井が見た冷凍都市の姿か」と。これは筆者が勝手に考えていることなのですが、この福岡と東京の街のギャップが向井の詩的イメージに与えた影響も幾らかはあると思うのです。もしかしたらメジャー1stを福岡で録音したのも、まだ東京のそういう街に耐性が無かったからかもしれないし。まあただのファンの妄想ですけど。
アングラ上がりのナンバガにとっては、ライブこそが主戦場。よってライブパフォーマンスも熱狂的で、この辺はスーパーカーとはまさに対極的である。
『シブヤROCKTRANSFORMED状態』に至るまでのライブまでで、ナンバーガールの歴史に一旦ピリオドを打つことが出来る。ここから先は都市の暗黒にどっぷり染まり始める向井とそれに合わせて異形の変化を遂げ始めるバンドの時代に。
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『HIGHVISION』 SUPERCAR
2009-10-06
![]() | HIGHVISION (2002/04/24) スーパーカー 商品詳細を見る |
1. STARLINE
意外と鈍目の打ち込みイントロからギター、そしてシンセが入ってくると一気に浮遊感が増す。更に弦楽隊が入って歌も一音一音をやたら伸ばすので、曲全体が悠然と舞い上がっていく。終盤のリフレインでは壁のような歪んだギターが後ろで鳴り、ポストマイブラな雰囲気も。そして歌が終わると同時に曲もあっけなく崩壊して、終わってしまう。歌詞カードに記された二行の歌詞は遂に主語を失い、超然的な愛のメッセージ、もしくは体のいい語呂合わせ(深読みしてくれたら儲けもんっていう)と化し、ここにもう初期の憎たらしい「世代」アピールのスーパーカーはいないことを示す。
2. WARNING BELL
ふにゃーんとしたフレーズのフェードインからアコギが流れて、そして様々な伸びる電子音が入っていく、そのまま淡々と浮遊感を維持したまま進行し、それほど高揚することも無く収束する不思議な曲。アルバム中で一番レディへっぽいか、タイトルもアレだし。「ポン、ポン」と鳴る効果音が可愛くて好きだけど、曲自体は曖昧さと煌めきだけがずっと続いていくようで、未来空間に突入したような雰囲気を撒き散らしたまま終わる。バンドっぽい要素は皆無で、「こんな曲どうやってライブでやるんだろう?」と思ってたら、ラストライブでは幻想的なアルペジオと美しいツインコーラスが軸のアレンジで演奏されていた。実はそのバージョンの方が好きだったりして。
3. STORYWRITER
ジュンジ曰く「こういうのが一曲くらいあった方がいいかなと思って」な曲。ぼんやりした霧のようなSEから断続的にリズムが入って、ちょっと演奏が入ったかと思ったら細切れになり、そして一気に疾走する爽快な轟音に突入。ごめんやっぱり気持ちいいです。ただコードを半音ずつ下げていくだけの曲にとても高揚感のあるメロディーが乗っている。未来的なメインリフの煌めき具合、各種エフェクトもこの曲の雰囲気をキラキラ輝かせるべくうねり、そしてメロディの終わりのナカコーの伸びる裏声が突き抜けて美しい。理想的なポストシューゲイザーソング。タイトルや歌詞から、ジュンジの面目躍如といった雰囲気も感じる。どうやって気持ちのいい語感を作りながら上手いこと言ってやろうかニヤニヤしていそうで。何より、アルバム中で最も元気な姿を見せて跳ねるドラムが聴いてて妙な憂鬱を感じさせないところが凄く良い。アルバム中随一の「安心して気持ちよくなれるポイント」。バンドしてるからね。
4. AOHARU YOUTH
不思議な反復メロディと変則的なリズムの反復にエコーの聞いたボーカルがぼんやりと絡む、期待感を溜めさせる曲調。そしてタイトルフレーズの連呼の後ゆっくりと膨れ上がり、そして一気に弾ける。黄金の海原の上を舞うような、神々しく伸びるボーカルライン。幾重にも重なった声がうねるシーケンサーとともに一気に伸び上がっていくのは凄くキラキラしていてしかし虚無的で美しい。「果てには」という言葉が意図するところのサウンドが、まさにそのままそっくり鳴っているような感じ。意思を越えた、忘却の彼方みたいな雰囲気の曲。
5. OTOGI NATION
びにょんとした音で始まる、淡々としたリズムと淡々としたギターで進行し、サビでそのままのリズムで歪んだギターと反復するフレーズを投げかける曲。同じメロディの繰り返しを避け新しいメロディを出して来るところが意外、それでもリズムは一定なので変な安定感と平熱感がある。そして男女混成のタイトルコールの無表情具合、完全に音と化しているようで虚しくも美しい感じで良い。ギターの歪みもキメが細かく、まるで砂嵐のよう。ずっと同じ音を鳴らし続けリズム化したシンセが地味に特徴的。
6. STROBOLIGHTS
結局この曲がSUPERCARのひとつの到達点であることは確かだろうシングル曲。アルバムバージョンで追加された壮大さを喚起させる穏やかなイントロから後ろで弦を鳴らしながらも、あのピコピコした反復フレーズが迫り、そしてフルカワミキの、熱も意味も全く失ったボーカルが反復する呪文のようなフレーズで寒気がする。ギターはどこにも見当たらず、ただひたすら非現実的な、やたら煌めく幻想的な世界が広がっていく。心地良く鳴り響く歌は超越的な愛を歌っているような、限りなく無意味なような。ともかく全てを「愛」という言葉のイメージに託して心を空っぽにして浮遊しているような感じ。前半の反復と後半の反復も強烈な対比になっていて、単調な曲なのにどこかスリリングでさえある。均一なビートに声が重なっていく終盤、特にナカコーの声が重なった瞬間凄くドキリとする。そして終点に到着してはエコーとなった声のフェードアウトと残った小さなリズムが妙なあっけなさをもって余韻を作りだす。うーん、悔しいほどに完璧。SUPERCARのある意味薄っぺらいようなある意味深遠なような、そういうスタンスを端的に表現している。
7. I
遂に声まで妙なエフェクトが掛かり、バンドとしてのSUPERCARだった要素は完全に消滅。打ち込みのリズムに出たり入ったりするシーケンサー、振動のような反復フレーズ、エイフェックスとかその辺りっぽい可愛らしさと幻想具合。途中でこっそりと隠し味的にギターのアルペジオが入って来るのが不思議。そして普通の声コーラスとアコギが入ってから急に曲の輪郭がはっきりと浮かび上がってくる。最後一分くらいかけて余韻。煌めかしい穏やかな音の中に全て消えていくような寂しさ。
8. YUMEGIWA LAST BOY
『STROBOLIGHTS』と並んで代表曲だろう。しかしこれまでの穏やかキラキラ感とは少し趣を異にしていて、こちらはどこか緊張感に満ちた、そしてリズムの強いものになっている。前半の漆黒の曖昧調からリズムが入って一気に盛り上がる、アルバム中で最もダンサブルなナンバー。シリアスなシーケンサーとやっぱりぷにゃぷにゃ鳴っている可愛らしいフレーズの対比が良い。そして何よりもミキのコーラスが入って以降の後半の繰り返しが聴き所。二種類のミキの声をバックに単調にクールに歌うナカコーの歌がしかし何故か非常に良い。やはりどんなにサウンドが充実しても歌があると何かこう、そういう効果が生まれるんだなというものを強く感じる。
9. NIJIIRO DARKNESS
コントラバスによる導入が重々しく、それに乗るナカコーの声もエコーが深くて怪しい。緊張感を保ったまま進行し、加工されまくったミキの声を舞い上げながら不敵にナカコーが囁く。アルバム終盤らしい重々しさのある、なんか破滅的な曲。神経質なリズムと穏やかな弦の対比がそう思わせるのか。途中から入ってくる左右の無茶苦茶なリズムとか、そもそもの不穏な主旋律とか、なんとなく次作を予感させる壮大な緊張具合。弦の余韻を引きずったアウトロもなんとも怪しくも切ないし。
10. SILENT YARITORI
泡のように沸き出すモコモコした音に包まれて始まる、アルバムの最後に相応しい穏やかで優しい曲。男女ボーカルで曖昧に始まったところから、硬めのリズムが侵入して一気に曲がロールし始める。タイトルコールのナカコーとコラースのミキの対比が淡く美しい。一旦ブレイクを挟んでまたリズムが入って以降はまさにアルバムのエンドロールといった趣。フルカワミキ自体のポテンシャルは正直それほど高いとは思えないのに、本当になんでこうまで強い包容力と幻惑性を有してしまっているのだろう。最終的にはリズムが引っ込む代わりにどんどんコーラスは分厚くなり、その穏やかな高まりがピークを迎え、そして穏やかに消えていく。歌詞カードのみに書かれている歌われていないフレーズがジュンジの「どや!いいシメやろ?」感を醸し出していてちょっと鼻につくこと(笑)を除けば、まさに完璧なアルバムの終わらせ方だと思う。完璧すぎてちょっと息苦しくもあるけれど、でもとりあえずSUPERCARはこれでひとつ極端をやり通した。
SUPERCARの(もうこの辺まで来ると片仮名でスーパーカーって感じじゃないな)2002年発表の4thアルバム。四枚目にして遂に行くところまで行ってしまった感がある。このアルバムと同じ方向で更に良いものを作ろうとしたらそれは一応のバンド性をも放棄せざるを得ず、レディオヘッドが『KID A 2』を作らなかったように、彼等もこの後バンドサウンドに回帰し、ニューウェーブな感触の強いアルバムを一枚残してあっけなく散った。まあそのあっけなさも含めてSUPERCARなんだろうけど。
益子樹をプロデューサーに迎えた本作、アマゾンの商品説明には「ギター・バンドとしての面影がほとんどなくなった今でもその本質はデビュー時と違えていない」と書かれているが筆者にはそうは思えない。彼等は間違いなく変質した。スノッブさの質が違う。「生意気で無関心な僕らの世代」を歌うスーパーカーはもうここには存在していない。ここにあるのは、ひたすら本質的な愛を追求しているのか、それともただの語呂合わせのついでにそれっぽい言葉を唱えているだけか、そんな歌の数々。「生意気で無関心」から「虚無的で美学信仰的」に大きく変化した。ある意味過剰とも言える音の装飾は徹底的に積極的な意思を埋没させ、ひたすら曖昧然とした美しさを引き出すために機能する。
仮に彼等が「KID Aフォローワー」の一組だったとしても、彼等はかなり意志薄弱的であるという意味でレディへとは大きく異なっていると言える。彼等のスノッブさは遂にひとつの虚無的な「果て」に到達してしまった感じがある。こうなってしまったバンドが長続きするのは確かにかえって不自然ではあるし、解散は仕方が無かったのかもしれないと思える。しかしこのアルバムにはそういう、バンドの維持などを全く考慮に入れないことにより生み出されたひとつの掛け替えのない美学がある。それは他者が簡単には真似出来ない、「この時期の彼等だけの」特別なものであるように思える。つまり、このアルバムのフォローワーはそういう原理的に、よほど身投げをしない限りは決してこのアルバムの目指した精神的方向性において、このアルバムには勝てないと筆者は思うのですがどうか。
ラストライブの『WARNING BELL』。アレンジ的には『ANSWER』的であるがそれにしても良いなあ。センスの大勝利って感じ。緊張感に満ちている。『HIGHVISION』の欠点を挙げるとすれば、サウンドの構造的にこの動画のような緊張感が生まれ得ないところか。だからこそその補完の意味合いも込めて彼等はもう一枚アルバムを作らなければならなかったというか、ねえ。
思い出シリーズ第二回:スーパーカー編
2009-10-06
くるりについて時代も含めて考えるなら、どうしても同時に考えなければならないアーティスト、ナンバーガール、中村一義、そしてスーパーカー。いわゆる「97年世代」の中核と言っても過言ではないはずなこれらの中から、今回はスーパーカーについてだらだら。スーパーカーはなんか本当に不思議なバンド。何で青森の方から出て来た田舎者四人がそのくせ初めから都会的なスノッブさ、しかも刷新的なそれを持ち合わせて登場し、そしてどんどんそれに磨きをかけていくことが出来たのか。そう、このスーパーカー的なスノッブさこそがスーパーカーの全てと言っても過言ではないし、彼等自身もその方向性から一歩も外れること無く邁進した、音楽性も、歌詞も、ライブの仕方も、バンドの末路までも。
聴けば聴くほど全国のギターポップファンが嫉妬するだろうデビュー曲。インディーで活動していた同時代のバンド達も大いに嫉妬しただろう「ええっ!?何でこんなやる気無さそうな奴等が、こんな平板で簡単な曲でデビュー出来るんだよ!?」と。いやしかしその「やる気無くて平板で簡単」こそがスーパーカーの重要なポイントであった。この曲の時点で既に既存のいかなる日本歌謡、及びそれに組み込まれてしまう類のロックミュージックとはまるで方法論が違っている。
それで満を持して発売されたファーストには、当時のロッキンオンジャパン編集長にしてアンチヴィジュアル系の筆頭・山崎洋一郎とやっぱり日本の「ダサい」ロックを文化的根底から否定したいスヌーザー編集長・田中宗一郎の二人がライナーを書く。要するに、スーパーカーのデビューはどことなくストロークスのデビューに近いもんがある。「脱大衆的なカジュアルさを求めた一部メディアによる着火」って感じ。どっちも成功しているんだから、こういうメディア先導感は否定しがたい。もっとも、メディアの期待に応え得るだけのバンドの能力あってこそだが。
歌詞や歌のメロディ以外は完全に洋楽インディギターロック(っていうかジザメリ)の方法論のみで作られた19曲。そしてぼそぼそとした平面なボーカル、歌詞を詰めたりせずにゆったりと気怠く歌うそれは日本語の持つ平坦な感じと相性がいい。メロディの抑揚もなんかだるそうで、ともかく「バンドやってもてたいぜ!」みたいな情熱を一切排した、そんな具合。そしてしたたかに「いやぼくたちの世代ってこんなんなんで」としれっとしている歌詞。
何故かデーブ。それにしても、新人でこのPVって、相当優遇されてるよなあ。このバンドのデビューがストロークスと同じような狙いであることがよく分かるPVだと思う。
サウンドを広げていくに当たってギターを工夫するとか曲調をどうのとかではなく、さっさと打ち込みを導入するというのもなんともサバサバしている感じで彼等らしい。
この打ち込みのチープさ、「とりあえずまたただのギターロックをするのも馬鹿らしいからちょっと工夫してみたよ」って具合。「手抜きなんて当たり前」って感じで演奏力を度外視した平板なサウンドが何とも心地良い。この辺りからドラムがリズムマシーン化し始める。「踊れるものを作ろうとしたけど上手くいかなかった」とナカコーが述べる、打ち込み要素が入りながらもわざわざアルバム全編にレコードノイズを混入させローファイな出来の2nd。そしてその後、それまでのストックを清算すべくリリースされる二枚のアルバム。どの曲も本当にセンス一発って感じで、しかし悔しいけれどそれがシンプルかつ的確で良いんだよなあ。
一番笑えるPV。本当にスーパーカーはヴィジュアル的に恵まれたバンドだった。
ここまでがローファイで可愛らしく憎たらしくスノッブなスーパーカーって感じ。このやる気無いスタンス、あと時々歌ったりもする女の子ベースは後発の多くのギターロックバンドに模倣されただろうけど、でもあまりサウンドが初期スーパーカーのフォローワーっぽいバンドって表に出て来ない。割とやってることは普通だから埋もれてしまうのか。
ともかく、ここまでが「スーパーカー」で、ここより先が「SUPERCAR」って気がなんとなく。良くも悪くもここから大きく変化していくような。持ち前のスノッブさもまたサウンドの変質によって変化していく。
『THE WORLD IS MINE』 くるり
2009-10-01
圧倒的文章量につき閲覧注意。面倒臭い内容ですいません。![]() | THE WORLD IS MINE (2002/03/20) くるり 商品詳細を見る |
1. GUILTY
ダウナーに力尽きるかのようなドラムが一瞬鳴った後にゆっくり広がる、レディへやジムオルーク以降って感じの虚無的なアコースティックの世界。気怠げに歌う歌も身も蓋も無い内容で、えらくボロボロな出だしと思ったら、アルペジオから一気に高揚、スネアやギター、ベースの雨、雨、雨。そして一気に世界が飛び出し、美しいコーラスと雄大な音の海へ。でもそれもやがては止み、また元の気怠げなアコースティックに戻る。やたら伸びた音が後ろでじわじわと鳴り、だらだらと殺風景を広げたまま次の曲へ。
2. 静かの海
およそ6分半もかけてひたすら動的な感情を薄めていく、虚無なエレクトロニカ。全体を覆い尽くす深いリヴァーブが何もかもを薄めてしまうし、左右や奥からやって来る様々な音情報もその曖昧さの中でひたすら「ああ、なんか鳴ってるなあ」という感じを広げていく。前曲以上にひたすらだらしなく音を伸ばして、聞く者をひたすらぼんやりと、ぼんやりとさせる。ああ、うつろうつろ。鳴り止まない電子音。何気に低音もぼんやりと効いてくる。昇天する電子音の後、次曲のイントロがイン。
3. GO BACK TO CHINA
なんともどこの国籍かよく分からないが、多分西洋ではなくむしろアジアなんだろうって感じのギターリフが自由自在にその身をウネウネと動かす、このアルバム初のタイトなロック曲。しかしそれでもそのリフの魑魅魍魎具合とそして何より明確な展開的オチを持たない曲やメロディのせいで、前曲までの虚無感は失われない。ベースもドラムもかなり細かくファンクにウネウネするのに、やっぱり気持ちは空っぽみたいな、そんな不思議な感覚がある。と同時に、くるりが独自のエスニックセンス(もはや京都や東京に留まっていない感じ!)を派手に電化した記念碑的な曲でもあるかもしれない。ひたすら音が鋭く若干もたり気味にロールするもっくんのドラムが最高に気持ちがいい。もっくんお疲れ!
4. WORLD'S END SUPERNOVA
5. BUTTERSAND / PIANORGAN
繋がってるので一曲扱いで。先行シングルだけど、その曲の雰囲気がアルバム冒頭から続く虚無感を妨げないどころか、むしろ積極的にブーストしていることが凄い。モコモコする電子音、逆回転のシンバル、輪郭の曖昧なキーボード、遠くで世界の果てのように鳴る電子オルガン、そして打ち込みによる無感情なビート。ボーカルも重ねる部分とシングルの部分とをはっきりと区別し、シングルのところは「僕ら」若者のやるせなさと寂しさを、そしてサビではそういう感傷を抱かなくてもいいようにひたすら踊る機械になって、それがまた何とも感覚ばかりを先鋭化させて寂しい。二回目のサビで一気に開けた世界、その中に降りてくるミドルエイトの歌詞の身も蓋も無さがもう、なんとも残酷で、ここではもう「踊る」ことによる快楽性すら信じられなくなって、ただ感情を薄める為にひたすら身体を動かすのみになっている。そんな感覚を抱いたまま「どこまでもいける」だなんて。PVにも出てくる淡い海岸のような冷えきった感情をダンスに突っ込むのがもう随分と寂しくて、だからそこから繋がってくる長いインストの部分はひたすらその言葉を失った微妙な反復の感覚を描写するように、点々と電子音を垂らしているような気がする。最後オルガンが前面に出て来るところなど、なんかダンスフロアから本当に忘却の果ての世界にやって来たようで、何とも心細くなる。
6. アマデウス
前曲で辿り着いた忘却の果てで頼り無く旅をするような、そんな感覚の曲。印象的なピアノはずっと同じ音を鳴らし、ドラムを排した曲の中でリズムとして機能している。メロディはチェロとコントラバスとそして頼り無くて曖昧な岸田の歌だけ。優美な弦楽隊も先程までの遠くで鳴る電子オルガンと同様の奥行きだけがある世界のために使われて、その質感は情が無くて寂しい。言葉数が少なくて隙間が多い歌が、まるで微妙な感覚を最小限でなぞるようで切ない。サビでリズム良く言葉数が増えると、虚しいけどそれでも仕方なく、当ても無く歩いていくような光景が広がる。
7. ARMY
モノトーンな幾つかの単調なアルペジオと機械的なリフの二本のギターの間をぼんやりと岸田の歌が泳ぐ、濃厚なサイケソング。空虚な世界がこちらを押しつぶさんと浮上してはまた戻っていく、その様はどこか穏やかな波のようでもあるが、それにしてもこの音感覚は危うい。ひたすら明確な言葉を無くした感覚が穏やかな発作を繰り返すような。ボーカルがリヴァーブを纏って伸びては、ふっと消えてしまうのがなんとも痛々しい。そしてこの曲はベースが凄い。反復と上昇をひたすら繰り返して、気味の悪い感覚以外何も語っていない!次作『アンテナ』の『黒い扉』など同系統の曲と比べても、この曲の気持ち悪い虚無感と悪夢感は圧倒的なように思える。岸田の歌詞も言葉数少なく、何とも不安げで不吉。曲が終わった後に次曲に繋がるSE。ジリジリとしたセミの声、往来、空っぽな夏の風景。
8. MIND THE GAP
突如バグパイプを伴って入ってくる、謎の民謡的高揚。力強い打ち込みのリズムや数々のSEが盛り込まれ情報量は多いけど、それらのどの感覚も機械的で、この21世紀的なエレクトロ民謡もやっぱり民謡的な和やかな感じは希薄。そして切り替わって、急にプラットホームのおしゃべり。外国人がしゃべる日本語っぽく聞こえるこれも機械音声で、とことん電化。そしてまた祝祭へ。なんとなくバグパイプの感じが中村一義の『ハレルヤ』っぽくもある。
9. 水中モーター
ギターもドラムも淡々と進行するギターポップ、の上に乗っかるのがボコーダー通過済みのボーカルだったりして、また電子音もうようよしていて、やはりどこか変、不思議な雰囲気、それを延々と7分続けるこれも、ある意味ではエレクトロを通過したサイケと言えそう。サビの佐藤の通りのいい爽やかな声も深いリヴァーブと電子音にまみれて不思議な感じ。二回目のサビからギターの調子が変わり、そしてこの曲唯一のドラムも反復を止めリズミカルに転げ回る、がそれもすぐ終わりまた延々と続く反復に。4分台のところで薄いサイケデリアを纏ってセリフが始まるところでまた緊張をチャージして、そしてそこから曲が終わるまでの2分半、延々と同じギターリフ、リズム、そしてたまに降り注ぐシンバル音の砕け散ったようなキラキラ、この気の遠くなる感じ、特にリフがポップで朗らかなだけに、その永続感がなんともうだるような倦怠感とかぼんやり海を眺めている時の意識の拡散具合とかそんなんに重なってぼんやりぼんやりしていい感じ。ああ、うつろうつろ。
10. 男の子と女の子
前曲の電子音が消え去った後に、ごく普通の、生々しいアコギの音が入って来るので少しどきっとする。そして今作で一番素直に岸田が朗々と歌い上げる、その音の伸ばし方がなんとも身近な感じ。気が抜けている感じ。なんか疲れてのんびりと歌っているようにも感じる。他の楽器が入って来てからもアコギの響きはあくまで中心にある。この曲だけエレクトロな風味付けが全く為されていないので、岸田の歌がぐっと浮かび上がってくる。けだるくメロディを持ち上げたり落としたり。歌詞の「僕達」という視点の月並さを眺める部分とサビでの「僕」のちょっとした切実な願いが交差している。地味にギターがアメリカン。
11. THANK YOU MY GIRL
シンプルで爽やかなギターロック、だけどこのアルバムの虚無フィルターを通すことで劇的に切なくなったギターロック。わざとだろう音のくすみ具合や曲全体のリヴァーブ懸かってうっすら淡い感じ、そして重ねまくって輪郭のぼやけた歌などがやはりこのアルバムを通した虚ろな感じをキープさせている。本当にシンプルな曲展開もまた絶妙に切なく、そして高らかに舞い上がるコーラスの爽やかさ・美しさがとても気持ちがいい。初期スーパーカーをぼんやり眺めているような、そんな切なさ。
12. 砂の星
野外の音なんかも交えてのんびりと展開する、可愛いアシッドフォーク、って言えばいいのか。三拍子に乗ったのんびりメロディが民謡っぽい・京都っぽいが、一度だけマイナー調になる部分のメロディや歌がとても切ない。曲中ずっとぼわあんと鳴り続ける音と点々と垂らす木琴の音がとても幻惑的。というか要するにキセルだよな、これ。どこかとても寂しいところをぼんやりと旅しているような、でもそれは案外近くの海岸だったりしてという、なんかそんなスノッブさの漂う曲。確信の無い感じがなんともユルユル。ボートに乗って最後の曲へ。
13. PEARL RIVER
ゆったりとボートを漕ぎながら進む、ゆるくぼんやりした世界の旅であるところのこのアルバムを閉じる、一番うつろでぼんやりした曲。ちょっと暗めの民謡っぽい、子守唄っぽい歌をシンプルなオルガン、そしてあちこちに拡散していくボーカルエコーを引き連れ、ボーカル自体も定位を左右交互に変えながら、非常に曖昧に音を伸ばす。そして二分半ほどで歌が終わると、後はひたすら残ったボートを漕ぐ音、流れる水、鳥の声などが二分ほど延々と続く。何か変化したりすることも無く、延々とランドスケープな音楽が垂れ流され、それがふっと途切れてアルバムは終わる。要するにレディへで言うところの『Kid A』の『Motion Picture Soundtrack』みたいな感じだろうが、しかしレディへの方は仕掛けがあるのに対し、こっちは何も無いのがなんか、それはそれで不気味。ぼんやりとした日常の風景は仕掛けも無くなんとなく続くという、そういうスノッブな気持ちだったのかなあ。
くるりの2002年発表の、メジャー四枚目のアルバム。前作『TEAM ROCK』制作後のライブで岸田と佐藤のバンド史上最大の仲違いが起こりバンドは解散寸前まで追い込まれるが、大村達身の加入でなんとか持ち直したくるりはこのアルバムにて初めて四人になる。しかしこのアルバムのツアー中にドラムの森信行がなんかもうバンドに対して疲れ切っていたみたいな感じで脱退して、くるりはその後ドラム探しの大変な時期に突入する。
と、こうやってバンドのバイオグラフィーを並べただけでも、とてもこのアルバムに見合った物語があってなんとも。下手なサブカル漫画よりもよっぽど胸が痛みそうになる。後に岸田が「あれは緩い出来だった」と言ってのけ、そしてもっくんの脱退を控えていたこのアルバムはまさに、くるりが一番若者的に象徴的で悲惨でしかし貪欲だった頃の記録として非常に重要である。
アルバム全体を覆うのは明らかにダウナーな空気、意志薄弱な、ひたすらうつろな雰囲気である。前作で『ワンダーフォーゲル』や『ばらの花』『リバー』などで様々な表情を見せたくるりが噓のように、このアルバムは全体の雰囲気が気怠げである。基本は「エレクトロニカを通過したフォーク・トラディッショナルソング」といった雰囲気で、それが移し出す風景は余りに逃避的でうっすら悲しげである。プロダクションも前作の都会っぽい感じから随分変わり、どっちかと言えば『図鑑』の何曲かのぼんやりした曲を更に発展させたかのようである。そしてそういったぼんやりとうっすらと寂しい雰囲気をダンスに乗せてしまった『ワールズエンド・スーパーノヴァ』は、そりゃあもう様々な層をくるりの方に振り向かせ大絶賛され、言わばこの時代最大の「模範解答」とも言えそうな存在感を、未だに保ち続けているのである。
「ぼんやり」「うっすら」「悲しげ」「うつろ」「虚無的」など、ともかくこのアルバムのあらゆる箇所からこういった感覚が導き出されている。音の感触も、歌詞の質感もこの方向性に全面的に沿っていて、それは幾つかの世代的・時代的な性格すら帯びてリスナーに包括的なメッセージを浴びせる。そう、時代。おそらくこの時期のくるりこそが(もしくはこのアルバムから『アンテナ』に至るまでの過程こそが)、最も時代にコミットメントしくるり自身のアクションや作品も時代や世代の象徴となってしまった時期であろう、とわたしは思うのです。
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