不良少年になりたい
まずは『不良』と言う概念から。
ここで言う不良とは何を意味するかというところから。
まず、なんとなく最近の不良を批判する。
最近の不良は大体、不良=DQNって感じで、
ダボダボのずぼんをはいて、だらしない事が好きで、
群れて、騒いで、周りを気にしない。
注意されれば開き直り、俺たちが正しいと言わんばかりに
数で押し切る。
こんなの、こんなの私の望む不良じゃないやい。
では、昔的なイメージの不良は?
所謂『バンカラ』。下駄を履いて、ぶっきらぼうな素振りで、
とても無神経そうな感じで歩き、かつあげをする。
制服の着こなしがラフであるが、帽子も被ってる。
口に何かくわえてる。草?
これも違う。ジャイアン系ではない。
革ジャンバイクの不良。
リーゼントとかよりも、モッズとかの方。
破滅的で刹那的な生活そのものを糧とし、
そのためならば人の迷惑も顧みない。
そしてやっぱり、集まって騒ぐのが好き。
ううん、これもイメージに当てはまらない。
私の『不良』と言う言葉に対するイメージは妙に美化されている。
太宰治の『斜陽』を読もう。
まず、駄目な生活そのものを目的としているのではなく、
むしろ生活の仕方が分からず、混乱のうちに荒廃していく感じ。
ああ、今日も駄目な日だったなあとか考えて、明日に何かを託すも、
別に何の代わり映えもしない明日がやってくる。
彼はそれに絶望してはいるが、その絶望にも慣れてしまっている。
彼はその状況からの脱出の方法を知らない。
彼にはコンプレックスがある。
それは身体的なものかもしれないし、精神的なものかもしれない。
そのコンプレックスを燃やす方法もやはり、彼は知らない。
基本的に、知らない事が多すぎる彼だった。
しかし、その癖妙に感受性に恵まれていて、
それゆえに頭の中はいつもこんがらがってしまう。
それで彼はまた今日も、ひと時の享楽のために身を捧げる。
傍には友達未満知り合い以上の人がいるか、もしくは誰もいない。
ひょっとしたら、誰かいてもそれは誰もいないのと同じ事なのかもしれない。
彼は人との付き合い方も知らない。
彼は自分に失望している。それは容姿なり能力なり性格なりのことで。
自分がこの世から必要とされていないと感じる。
自分はこの世において『良からざる者』と考える。
それで、そう思うと、ずぶずぶとしょうもない反社会的行為をする。
これはその行為自体がしたくてやったわけでも、
または群れに属するためにやったわけでもない。
ただなんとなく、ずるずるとやってしまった、くらいの。
彼は心のどこかで後悔している。しかし止まれない。
彼はブルーにこんがらがっている。
ソウイウヒトニ ワタシハナリタイ
でも、そういう生活はしんどそうだ。
やっぱり辛いのは嫌だなあ。
どっちかと言うと、安心を買ってしまった世代。







