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『金字塔』 中村一義

2009年10月08日 17:20

金字塔金字塔
(2007/05/16)
中村一義

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1. 始まりとは
弾き「語り」。穏やかで土っぽいコードの上で、「こいつ何言ってんだ?」って感じのことをしゃべり続ける。鳥の声が精一杯の開放感。なお、この曲と全く同じコードと詞を用いて、今度はちゃんと歌っている曲その名も『金字塔』はこのアルバムではなくシングル『主題歌』のカップリングである。そっちの方はアコギだけでなく色々楽器が入っている。「誤解も真実色に」「理想も現実色に」染まる中で「そうだ。どうだ。」と。何かの予感を歌っているように思える。

2. 犬と猫
圧倒的な中村一義の「発明」。機械音声のカウントの後に入ってくる「どーう?」、それに続くフレーズの現実認識とその追求、攻撃、そして意思表明。「皆嫌う荒野」をひとりで行く決意。非常にオールドスタイルなトラックはザ・バンドとかそういう感じの土っぽいオルガンが特徴的。だがそれよりも特筆すべきはやはりドラム。後に「何であんなにリンゴスターを追求してたんだろう」とまで回想するほどのリンゴスターっぷり。絶妙のモタリとタム回し、バタバタした感じ、このゆったりした感じが非常に心地良いのだ。結構自在に動き回るベースや遠くで鳴るスライドギターなど、これが97年に現れた新人のデビュー曲かというほど渋い雰囲気。だがその上に乗るボーカルが圧倒的に新しいんだなあと。何歌っているかは分かり辛過ぎるが、その分既存の日本語詩的なメロディの制約を一切無視した節回しはかなり自由であり、歌と曲とドラムが一斉にシンコペーションする部分は彼の初期サウンドのとても重要な部分である。ファンクライクな裏声の使い方などやっぱり渋いが、そこに乗せるメッセージの辛辣さとのバランスが歪であるし新しかったのだろう。これが彼の「登場」だった。決して派手ではないが、しかし芯が強い。力まず、しかし無気力にもなりすぎず。他に似たようなものがみつからないゆったり加減と天然のヒステリックさの調和。

3. 街の灯
まったりとした弾き語りで川(江戸川?)の土手まで散歩して、向こう側の街の灯を見て物思いをして家に帰る。こういう歌に込められた悲壮感や厭世観って、理解出来てしまうと妙に気持ち悪い。エレカシも散歩を厭世的なニュアンスで使うが、それに近いものがある。引きこもりが散歩して町を眺めて覚える焦燥、妙な憤り、イライラ、諦め、そんなのが情景描写に混じって語られる。時々入るぼややーんとした音がまた昼寝感覚のサイケっぷりで、どこか頭にもやの掛かったような不安さを覚えてしまう。まあこの歌の主人公は撃ったり飛んだりする意志を持っている分幾らか力強いのだが。

4. 天才とは
ポール・マッカートニーがマイナー調の曲で見せる優美さにも似たメロディでもって始まり、シンコペーションの連続から一気にポップにゆったりと展開するのが気持ちよい。コーラスの可愛らしい具合といい、この曲はまさにビートルズ。歌詞にも出てくるし。中間部のスネア連打とともに舞い上がるメロディからソロに入ってまたコーラスとともに歌に入っていく展開が渋力強い。幾つかのメロディを自在に移動する曲展開、そしてそれを支えるドラムはタムの一発一発が本当に意外なところにまで張り巡らされていて、リンゴ・スター的なものを極め過ぎて「その先」まで行ってしまっているかのよう。偉大な先人たちと現代の才能の巡りを歌っている。「「今全てが溢れちゃって」なんて言うなって」という部分に、音楽そのものをどうにかして前進させていこうとする気概を見せている。

5. 瞬間で
短いインスト。次の曲のイントロみたいなもの。こういうの好きだよな彼。遊び心であり、きっとそういうのも彼にとっては凄く大事なのだろう。高い声と冗談っぽい低い声による軽いコーラス、そしてオルガンの軽やかなメロディ。ベースのうねりもポール風。

6. 魔法を信じ続けるかい?
軽やかなピアノコードのイントロに導かれて、少しくすんだようなコード感で時々舞い上がるメロディを輝かせる。そして、サビ前のブレイクから這ってはぐるぐると回転するようなメロディを美しいファルセットを多用しながら歌い上げる。タイトル的にラヴィン・スプーンフルのオマージュであろうためか、60sポップスでもアメリカ的な渇いた雰囲気を沢山含んでいるのが特徴。そして裏声から入るマイナー調で舞い上がるサビ後のメロディが突き抜けるように刺さる。止まってはロールしテンポ良く転がり回るドラムの素晴らしさ。素晴らしい何か(世俗的な幸せとは一線を画しているような)を実現する為の「魔法」を追い求める歌。「同情の群れはとうに無え」。歌が終わった後に付いてくる演奏やコーラスはビートルズ的演出だがサウンドはアメリカンブルース。

7. どこにいる
マッチを付けてタバコを吸いながら、あちこちを散歩する中村青年。多分小岩周辺をうろついているのだろう。引きこもっていた彼の「世界全て」を巡り、そして部屋に戻り次曲のスネアとピアノのイントロへ。小曲、というか曲かこれ?

8. ここにいる
6/8拍子のゆったりとしたアコギとピアノを主体にしたナンバー。メロディの伸ばし方に気品がある。中間部で新しいメロディが出て来たと思ったら急にテンポが8ビートになりメロトロン風味な音なども流れサイケデリックになるが、また再び安定したピアノのメロディに戻る、ここら辺の展開が絶妙だと思う。

9. まる・さんかく・しかく
教育テレビの曲のカバー。幼児性を全開にしたからっとしたポップに仕上がっていて、開放感と楽しさに満ちている。しかしサビ以外の部分は本当にビートルズみたいなアレンジで、特にジョージ・ハリスンのようなスライドギターが隠し味的にメロディを繋ぎ合わせていて美しい。芳醇な音を鳴らすオルガンといい、中期ビートルズを『Let It Be』期のビートルズが求めたサウンドで鳴らしているような感じか。まあこのアルバムの多くはそんな感じか。当然中村一義の曲ではないのだけど、コーラスやサウンドアレンジがマニアックすぎて凄い。

10. 天才たち
リズムボックスに乗って雑談。そして「いっせーのっせっ!」で次曲のイントロへ。

11. いっせーのせっ!
軽やかなギターカッティングから、跳ねるようなリズムに乗って進んでいく楽しげな曲。多重コーラスで展開する部分のソウルチックでさえあるメロディは流石。「地獄」を経験した彼だからこそ歌えるネガティブとポジティブの境目を越えていく歌。最後のサビ前のタメが憎たらしい。彼らしいあどけなさ全開のメロディの魅力が溢れている。

12. 謎
逆再生のシンバルから入るこれはこれまでと違ってちょっと不穏な感じというか、気怠い雰囲気がポップなメロディの後ろでざわざわしている感じ。静かな荒野で渇いた空気に砂がちょっと舞っているような。サビへ向かう展開部はジョン・レノン的な濁った曲展開、そしてサビで解放。サビは相変わらずポップだが自在に止まったり転がったりするドラムとともに激しくメロディが上下して、そしてブレイクで渋くキメる。変な楽器などを使っている訳でもないのに、渇いた音ばかりなのに濃厚なサイケを感じる。相変わらずジョージ・ハリスンなスライドギターやコーラスやオルガン、自由なドラムが合わさって高揚でも陰鬱でもない不思議なぼんやり感を作っている。最後は最初の歌の部分と同じ渇いた気怠い部分に戻り、そして歌詞も「この詞の最初に戻る」で締め。直線的に突き進むのではなくじっくりぐるぐる考えていこうという詞も確かに曲同様グルグルしている訳だ。

13. いつか
アコースティックギターと歌とコーラス、そして室内楽的な優しいストリングスで展開する繊細な曲。終盤に向かう新しいメロディからホルン登場が何かもう完全にポール・マッカートニーで素敵。「君の主人公は君だ」なんて歌っちゃう歌詞はいささか啓蒙的で鼻につくが、この「君」は外部であると同時に中村自身であると考える必要がある。……ああ、面倒臭いな彼の歌詞は本当に。

14. 永遠なるもの
『犬と猫』で始まったアルバムをこの曲で締める。イントロのシタールの後ろで自家薬籠気味なギャグを飛ばしながら「それでは、音楽、音楽」コーラスに導かれて冗談っぽく歌う引きこもりの風景から、一気にサウンドとともに舞い上がる、そのメッセージがなんとも悲痛。「ああ全てが人並みにうまく行きますように」だもの。この歌は中村青年が「状況が裂いた部屋」にいながら全世界に向けて語りかけようとする歌。『Hey Jude』的な雰囲気を借用して、狂気そのまま祝福に変えて撃ったり届けたりしようとする。ドラムはもう完全に『Hey Jude』のリンゴ・スターと化していて、というかもう彼は完全に自分がビートルズだとして歌っている、ビートルズの唱えた愛を彼の立場から解釈して、部屋に立てこもったまま歌っている、そのキチガイっぷりが祈りに向けられるという、ほぼ絶叫に近い祈り。一旦終わった後に続くまさに『Hey Jude』そのままなアドリブなんて完全に頭が逝っているとしか思えない。この演奏の殆どを全部ひとりで!?何がそこまで彼を思い詰めさせたんだ!?と思うことしきり(この後更に凄いスケールの『主題歌』が出てくるともう何も言えん)。そんな悲壮感を越えて「博愛」なる精神を発信しようとする彼の、凄く大切な歌。

15. 犬と猫 再び
「流石に前曲で終わると重いし、アルバムとしても気分としてもどうだろうな」という感じで作られたのだろう、ささやかなエンドロール。『犬と猫』からボーカルトラックを抜いて、オルガンが前に出たお陰でスパンプっぽさが増したトラック、そして「どう?」の後に響く拍手、自分の為の祝福。そして何故かマスオさん(本物)が叫ぶ「ボクの人生は、バラ色に変わったーっ!!」(家が近所だったんだっけ?)何という自己完結の極み。ともかくそうやってアルバムは終わる。

……のだろうと思っていると、ボーナストラックが入っている。10分を過ぎた辺りで、ひとりで二人分会話のやり取りをしながら(やっぱりこいつマトモじゃねえよ!)「もう一曲どう?」と弾き語りでブルージーな曲を披露。しかしコーラス部の舞い上がりっぷりは流石。演奏後色々としゃべったりしながらどっか部屋の外に出て行く。気持ち悪い奴だなあと思って、それでもまた10分くらいCDを止めずに放置していると突如、「パッパー」とか言っていきなり舞い上がっちゃってる『主題歌』のイントロ部分が僅か20秒ほど流れて、これで本当にお終い。『主題歌』はこのアルバムの後に発売されているので、これは予告編のようなものか。

中村一義の97年発売の1stアルバム。基本的な演奏(歌、コーラス、ギター、ベース、ドラム、ギターはおそらくリードギターにおいて外部の参加あり)を全てひとりでこなす、日本でも珍しいマルチプレーヤーとして鮮烈なデビューを果たす。もちろん他にもマルチプレーヤーは幾らでもいただろうけど、「引きこもりがバンドも組まずでも打ち込みエレクトロニカとかではなく「バンドサウンド」で宅録の延長からデビュー」というのはおそらく日本では彼が「最初」とは言わないけれど、ひとつの「始まり」だったのではないか。この後色々と出てくる宅録ミュージシャンの(っても七尾旅人とかくらいしか思いつかん)デビューへ続く道を造ったのは、間違いなくこのアルバムだろう。

その象徴性と言葉の強さ故に「97年世代」の代表格として名前を挙げられる彼だが、そのサウンドも精神性も他の「97年世代」くくりのバンドとはあまりにかけ離れてしまっているように思える。「こいつのロック史の中ではパンク以降は無かったことに鳴ってるんじゃねえか?」とさえ思ってしまいそうな徹底的なオールドロック志向、というか病的なまでのビートルズ信仰で、そこに「ポジティブも行き過ぎたら狂気になる」をまさに体現した精神性が乗る。それは彼が引きこもりという外部と遮断された環境の中で身に付けてしまった確固たる意思に基づいてしまっていて、そのブレの無い笑顔っぷりが本当に怖い。断言する。「97年世代」で一番狂っとるのはコイツだ!天然に敵う狂気は無い(「状況に裂かれた」故の天然ではあるが)。

このアルバムはそんな彼の天然で異形な精神に最も満ち溢れた作品であり、そこかしこに彼の自己完結した信念とかポジティブさとかそういうものが充満している。外側に対する攻撃性も「ボクはこう思うのにぃーみんなこう考えればいいのにぃー」って具合にどこかヘナヘナと、ひょうひょうとしている部分があり、「否定してやる!」という野心に満ち溢れていない分、余計に「外野・果てからの一撃」感が強い。そう、彼は「状況が裂いた部屋」という「最果てにて」音楽活動を始めた。

サウンド的には本当にビートルズが好きなんだなあっていうのと、特に「中期~ホワイトアルバム~Let It Be」あたりのビートルズを、なんというか更に「前進」させようと試みているような感じがする。おそらく当時の彼の中では彼こそがビートルズであり、彼がやる音楽はビートルズの進化した姿でなければならなかったのではないか。権威主義的と言ってしまえばあれだが、しかし結局他人、それも日本の引きこもりがビートルズになれる訳が無い訳で、しかしそれがかえって彼の音楽をビートルズではなく「彼」として存在させているのではないかと。ああ、書いてるこっちが気が狂いそうだ。

ソングライティングやコーラスにおけるポール・マッカートニー的センスも凄くいいけれど、ともかくドラムだよなあ。かつてここまでリンゴ・スターなドラムが存在したか!?しかもリンゴにしてはちょっと安定感が無いかなバタバタしてるなああでもリンゴ本人もそうって言えばそうかあ、って具合の愛嬌まで含んでいる。田中宗一郎を含め、多くの年齢層のリスナーがこのドラムに魅了されたはずだ。そしてタナソーはこのドラムが好きすぎだ。ビートルズのレコードのレビューで「リンゴのドラムが中村一義化し始めた、いや逆か」とか書くなんて、お前どんだけ好きなんだよとお前本当に編集長かよ偏愛し過ぎだよバーカ最高、という具合。買っちゃおうかな今回のスヌーザー。
(曲としての『最果てにて』はアルバム『金字塔』のアナログ盤、そして中村一義名義のシングルコレクションにのみ収録。後者がマジでえげつねえ。彼のシングルの曲は基本アルバムに全部入ってるからなあ。以下のような曲です。)


そんな「最果て」を先取りしまくった彼は、正直なところ、「97年世代」とは言うけれど、でも実質的な音楽性や精神性においては、もうほっとんど関係無いよねと思ってしまう。たまたま同じオールド志向を幾らか持った岸田や曽我部と繋がりがあったから実際的な繋がりも出来ているけれど、でもそれくらい。むしろ中村君がナカコーや向井と話しているところなんて想像つかないし、あれっ、でもナカコーと向井がしゃべっているところも想像つかないや、ってことはもしかしてこの「97年世代」四組って要するに「岸田と愉快な仲間たち」だったんじゃあねえの?というのが筆者のひとつの結論であります(笑)まあ、そういう横の繋がりよりももっと偶然的で包括的なものとして「97年世代」という概念が存在していることは分かってはいるんですが。

ただ、そうやって同世代と実質的な関連性が無いにも関わらず、そうやって立派な日本ロックのひとつの柱として評価されているのは、やはりそれだけ重視すべき意味がそこに存在しているという訳で、凄いのは他はバンド単位でそういう評価されているのに、彼はそれと同等のものをひとりで受けているということ。彼ひとりの存在は他の同世代の重要バンドに匹敵する、とりあえずそういうことになっている。つまりそれだけ彼個人が、むしろ個人という点において、強烈なアイデンティティを持っていたということか。

まあ彼の思想は理想郷的な部分がかなり大きいのでなかなか現実的に実行するかどうかは躊躇われるところだけど(笑)、でもだからといって理想論が存在してはいけない訳ではないし、むしろ理想と現実という二つの極があるからこそ多くの人達がその間で色々考え悩みながら行動を起こしていけるという訳だから、そういったことのためにも彼の唱える極端な理想論もひとつの「最果て」として存在すべきものだと思う。

あと、彼の「最果て」が特殊な説得力を持つのはやはり、それがぽっと出の思いつき理論ではなく、経験から出て来たものだからだろうと思う。きっと彼の外の人間が見たら目を背けたくなるような(よく知らないんですけどね)日々の中から出発した考え方だから、その言葉自体がどんなにポジティブでもそれを裏付けるようなネガティブな影が存在し得るし、その影に裏付けられた理想論だからこそ、ある程度弾力性のあるものとして扱うことが出来るのだろうと思います。なにせ「ああ全てが人並にうまくいきますように」なんて呟いている人間が発する理想論なのだから。理論武装ならぬ「経験武装」みたいな。

何より良かったのが、彼の音楽がこの一枚で終わらなかったこと。彼の視点は余りに特殊過ぎるから、その目線から多くのものを見て表現してくれた方が、与えられるこっちとしても色々と斬新なものが貰えるはず。100s結成以降はなんか普通になっちゃったなあとか思ったりもしたけど、まあ『世界のフラワーロード』を作ってくれたりしてまた新しい地平を切り開いてくれた感じがあるので、これからも期待していたいなあと思う具合でございます。流石にもう「『金字塔』をもう一度!」なんて言わないですよ!


いや本当、こんな虚しい番組をしてまで自己主張していたっていうのはもう色々と凄いというか、っていうかこれ番組を作る方も大概だよとか思ったりして。ああ、仲間が出来て本当に良かったんだなあと。あとこのシリーズの岸田が出て来る話の岸田がキモチ悪くて、「ああ、こないな時代もあったんやなあ」と思わず京都弁を真似て呟いてみたり。
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