時事ねた
2008-07-18
読売新聞に「チャイナリスク」についての記事が載っていた。「○○○(企業名)はオリンピックのスポンサーの癖に、地震に際しての義援金が少ない!ボイコットしよう!」
こんな書き込みがネット上で多くの支持を集め、実際に実行される有様。もちろんこんな意見が中国人のすべてではないとは思うが。
「自分たちが救われないのは他国が我々に対して誠意に欠けているせい」とか、
「他国が我々を尊敬し、保障するのは当たり前。反中などありえない。」とか、
そういう態度自体は古くからの中華思想のせいか。
このような態度の背景にあるのは現状の右肩上がりな経済発展である。
一ヵ月後の北京オリンピックは、間違いなくその国家発展のひとつの絶頂となる。その後中国経済が落ち目になるのか、それとも更なる発展をするのか、それは分からないが、それでもオリンピックという事件の経済的重要性は揺るがない。
なぜ、ここまで極端な排他的ナショナリズムや、粗悪品の大量輸出などが世界中の知るところとなっているのに、それでも中国は経済発展を続けるのか。それは、資本主義的な見地からいえば、人道性などを廃した視点で見れば、現在の中国の生産システムがまだ「OK!」な領域にあるということになる。
「信頼」というものは西洋的現代資本主義にとって非常に重要なポイントだ。戦後日本人ががんばって点数稼ぎした時もこのポイントは重視された。
しかし、どう考えても中国製品はその「信頼」を勝ち取れていない。それどころか次々と明るみに出される不安材料の多さは、人々の心を「信頼」と真逆のベクトルに動かす。なのに中国製品は世界中で売れ続ける。
どう考えても理由は簡単だ。「ある程度妥協できる範囲の品質で、圧倒的に安い」こと。私も近くのルミエールを頻繁に利用するのでなんとも言えないが、少なくとも上の事項と信頼を天秤にかけて、見事に信頼に目をつぶる人が、企業にも民衆にも多いということだ。
つまるところ、「安さ」は「信頼」を遥かに凌駕するものなのか。
確かに御立派な教養があって、収入もそれなりな中流階級以上の人たちはそういうことを避けるだけの誇りを持つ余裕があるかもしれない。しかし、都市に住む学生やら若者やら低所得層やらワーキングプアやらはどうか。彼らは「決して心からの馬鹿ではない」ので、自己の経済力を鑑みて行動する。もちろん食に気を使う人もいるだろうが、特に割と無軌道気味な青年期(正直しょうがないと思う。時代のせいとかそういうのじゃなくて、元々そういう傾向の時代だと思う)の多くは、都市の他の可能性(幻想かもね)に散財したいのだ。食はどうなる?当然切り詰められる。そんな時、商品の「信頼」が優先されるだろうか。
まあ、最近では船場吉兆みたいな、「高級による信頼」というのが揺らぐ事件も起こっているのでなんとも言えないが。
別に私は、「そんな安さばかりを追求しないで、安全なものを食べなさいよ」と言いたい訳じゃない。私だって吉野家に何の不満も抱かないタイプの人間の一人だ。そんなことを書く気など毛頭無い。
つまり、「信頼」よりも「安さ」を優先する層というのはかなり大きくて(「格差社会」政策も役に立っていますね)、そういう人たちの需要の絶対量はそうそう変わらないということだ。
ならば、このままそういう需要によって中国の天下は続くのか。
しかし、果たしてそんな需要に中国がずっと応えられるものだろうか。
多くの人々が中国製品に求めるものは「安さ」の一点に尽きる。その安さの源が、まあ原料の劣悪さとかそういうのは置いといて、何よりも人件費の圧倒的な安さである。
どうしたらそんな安い人件費で人を使い続けられるか。
まず、中国の通貨の国際的価値の上昇は押さえなければならない。かつて日本が円高によって何度も苦しんできた(今でも?)が、発展の規模やスピードが一回り大きい中国にとって、急激な「元高」はまさに即死に至る薬なのである。つまり、中国は自国の貨幣価値を低く抑え続けなければならない。しかしこれは果たして、中国の国際的地位の向上と並行して行っていけることなのだろうか。
また、その安い賃金で使われている一般民衆に不満を抱かせないことも重要だ。賃金の向上、労働待遇の改善が国の経済に直結する。そのもっとも極端な可能性を現在の中国は秘めている(国の規模が規模だからな)。可笑しなことに、マルクスからの流れの共産主義国家であるはずなのに、労働者の一定以上の待遇の良さを認めるわけにはいかないのだ。それは経済発展の死につながる。
そのように国民に不満を抱かせないようにするには、それこそマルクス主義などの思想は国民には必要ないのだ。もっと言えば、そういう類の知識は無ければ無いほど治めやすい。つまり、国民は馬鹿なら馬鹿な程いいのだ。
その考えに則って今の中国国民を見てみると、なるほどある程度理に適っていそうな部分がちらほら見える。極端なナショナリズムは国民を盲目にし、中華思想が他の思考を国民が発見するのをシャットアウトする。しかも国民の不満はナショナリズムによって、賃金の安い雇用主ではなく他国という巨大で曖昧な概念方向に向かう。いやいや、共産党アッパレである。
しかし、そういった事柄が致命的に悪いほうに作用し続けるのが今回のオリンピックなのだ。
まさに中国共産党は今、進むも地獄、戻るも地獄の状態にある。海外から来るサポーターを目にして中国人たちは自分の生活水準の劣悪さ(いや実際は違うのかもしれん)に気づくのだろうか。サポーターの中国滞在が確実にもたらすであろう「信頼の失墜・マイナスへの進行」は「安さ>信頼」の図式を変えてしまうのだろうか。
また、もし仮に何の問題も無くオリンピックが終了し、中国が世界から賞賛されるとすると、それに伴う中国の国際的評価の向上から「元高」が起こってしまうのではないか。それで困るのは誰だったかしら?
「中華人民の愚かさを維持しながら、国際的評価も上げる。つまり挟み撃ちの形になるな。」と。
北京オリンピックは、まず間違いなく911に並ぶ21世紀の一大「歴史的事件」になるだろう。その歴史的大事件に立ち会える私たち。果たして幸せなのかどうか。戦争はちょっとゴメンですね。







