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『うたかたの日々』 岡崎京子

2008年05月27日 23:44

これを読み返したので、これは一度レビューしたけど、また一から書きます。
うたかたの日々うたかたの日々
(2003/05)
岡崎 京子ボリス・ヴィアン

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まず初めに断らないといけないことは、私がこの漫画の原作である、ボリスヴィアンの小説『うたかたの日々』を読んでいないことだ。前にレビューしたのは去年の10月で、それから随分経ったのにまだ読んでいないって……。

この本は『ヘルター・スケルター』と同じく、作品自体は90年代に完結していたのに、作者の事故等の理由により長らく単行本化しなかったものである。結果確か2003年ごろに『ヘルター~』とこれが結構同時期に単行本化された。片や岡崎京子の、いや日本漫画界の最高峰である『ヘルター~』と、片や世界的に有名な文学作品の「オカザキ流」リメイクであり、この二作がなかなか単行本化されなかったのは日本漫画界における最大級の不幸だと思う。

この話は、半分幻想小説である。だってソーセージが逃げ出したり、ネクタイが噛みついたり、蛇口からウナギが出てきたりしないだろう……。でも、そういう描写は単に荒唐無稽なものではなく、何となくそのセンスが羨ましくなるような登場の仕方をする。多分これは原作がそういうものなのだろう。ただ、所々そういう比喩に関してオカザキリメイクが利いていて、「ピアノカクテル」なる、ピアノを弾いてそのメロディに合わせてカクテルが出来るという訳の分からない代物は、ピアノがターンテーブルに代わっていて、まあやっぱり訳分からん。でも、そういった幻想的なニュアンスを岡崎は時にキュートに、時にサイケデリックに、そして時に非常に冷徹に絵で(または文章を原作から引用して)表現する。今回読み返してやっと、その辺のセンスが少し理解できた。最初は訳分からなかったからね。

で、話の筋は恋人が死んじゃうラブストーリーで、こう書いちゃうと、この日本には、われわれ日本人が誇る『世界の中心で愛を叫ぶ』だとか『Deep Love』とか『恋空』とかがあって、なんだよそんなの今更だよ~とか言われてしまいそう。だが、この作品が圧倒的なのはその華やかさと滅亡の明暗の激しさ、先の幻想風味な作風とも関係する優雅さと切迫感であろうか。舞台がそもそも多分フランスあたりの貴族の話なんで、先に上げた作品とは根本的に異なる(というか、先に上げた作品とこの小説を並べて語るなんて、「ボリスヴィアンに失礼だ!死ね!腐れ!弾け飛べ!」と言われても仕方がないな……)。そもそも、恋人が衰弱する理由が、胸に咲いた睡蓮の花という設定が凄い。どこからそんな発想出てくるんだろう。

で、その恋人の衰弱と同時進行で、登場人物たちも次第に光を失っていく。その落ちっぷりがまた享楽的な部分と悲惨な部分が入り混じって辛いものだが、そういうのが元から大得意な岡崎センセは、もう徹底的な描写でその落ちっぷり・閉塞感・終末感を書き出す。一話につき一回出てくる見開きのページは、幸せそうな風景も幾らかはあるが、大抵は不穏な風景が映る。落書きされた路地を歩く夜中、配管剥き出しの汚らしい工場地帯を通る主人公たち、「狭く」なっていく部屋、貧民街、この辺りのセンスは完全に岡崎ワールド全開というか、彼女の解釈に依るところが大きい。その圧倒的な退廃感・空虚感。そのうち崩れた風景は何とも、何とも美しいのだ。この話は、最後に救われるとか、意外な結末に落ち着くなんてことは無い、見事なバッドエンドに収束していく(そういう意味では、最後にまさかの展開を見せる『ヘルター~』と好対照を成している)のだが、岡崎京子が、その『リバーズ~』で完成した冷やかで、破滅的で、寂しげな世界観を持って描くと、その話の重さ、悲惨さ、悲しさはより大きいものとなる。

元々破滅していく話なので、最初は読み進めるのが幾らか辛かった。しかし慣れて来てからは、その凶暴な「破滅の美しさ」が、強烈に胸を掻き立てることとなった。これを読んで「切ない……」なんていう月並な感想しか抱けない人というのは感受性的に信頼できない。死にゆくクロエの儚さが、それを心配しながら没落していくコランの無残さ・情けなさがなんとも美しい。岡崎はそういうものを描写することにかなり特化した漫画家ではあるが、この作品はその中でも彼女のそういった側面が前面に押し出されている。

ともかく、この「睡蓮が胸を突き破ってしまいそうな」美しく無残な物語は一見の価値がある。筆者流のフランス的オシャレ文化への拘りなども良く表れたこの作品は、まあ流石に最高傑作ではないにしても、彼女の作品の中でも相当出来が良く、また特殊な立ち位置を有したものと言える。まあ、雰囲気を重視するあまり、説明不足だったり良く分らなかったりする部分も幾らかあるけれど、そこは読む人が自分のセンスで補完しましょう。





昔の自分のレビューと比べて文量が少なくなったのは、効率化が進んだのか、ソフィスティケートされたのか、こういうのに掛けられる熱量が減ってしまったのか、単純に年なのかどうなのか。勝手に悩んでしまう。
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