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『ヘルター・スケルター』 岡崎京子

2008年05月27日 22:31

ヘルタースケルターヘルタースケルター
(2003/04/08)
岡崎 京子

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岡崎京子の漫画家としての活動期間は大体96年までである。この年に彼女は散歩中に飲酒運転の車に引かれて生死の狭間の危うい状態を彷徨っていて、今もその傷と戦い続けていると言う有様である。この事故は一部の世界では、所謂漫画界の94年、カートコバーンの死に近いような感じを受ける。もちろん彼女は自殺はしていないし、しかもまだ存命である。しかし、少なくともこの事故によって彼女はその才能の放出を止められ、どうしようもない状態に陥った。こうなってくると本人の意思に関係なく現れてくるのは、『それまでの業績の伝説化』である。私は何となく、彼女は日本漫画界のカートコバーンな気がしている。偽悪的で下劣で過激な表現、その表現技術も乱暴で粗野なものであり、しかしその表現の底に宿るどうしようもない繊細さ、優しさなどの本質に迫るようなもの、そしてやはり、90年代的な社会の、街の、都会人の『行き詰まり』『閉塞』を激情的かつクールに表現したことなど、二人を繋げるファクターには事欠かない。つまりは、彼女の漫画界からのやむを得ない離脱は、漫画界にとって物凄く大きな痛手であったと私は思うのだ。



この作品『ヘルタースケルター』はそんな彼女にとっての『You Know You'r Right』である。いや、もっと大事な、言うなれば「カートがインユーテロ完成前に死んだと仮定して、カートが死んだせいでインユーテロがずーっと発売できなかった」みたいな状態を想定してもらったらいいだろうか。この作品は彼女のキャリアにおいて正に最後期の長編であり、彼女が事故にあう直前の時期まで書き続けていたものである。その事故があったものだから、一応作品としては完結しているのだが、最後に「To Be Continued」と書いてあることといい、話の流れといい、まるでまだ続きがあるのではないか、またはこの続きが読みたい、と人々に思わせるような作用がある。そして、彼女は自分の作品が単行本になる際には常に大量の加筆をする作家であったが、この作品に関しては単行本化の話が進む前に事故が発生し、彼女が動けなくなってしまったため、ずーっと単行本化されず、2003年に遂に単行本になって世に出るまで、長らく幻の名作とされてきた。そのボリューム、クオリティ、テーマからして彼女の創作に於ける明らかな一つの頂点・臨界点であったにも拘らず。



簡単にあらすじを。この作品のストーリーの大筋そのものは、彼女の他の長編作品よりも分かりやすいものである。主人公の「りりこ」はイマをときめく資本主義世界の大スターの女の子である。それはその素晴らしいルックスによるものだが、その彼女の体に大きな秘密がある。整形美人というのは芸能界にもよくある話なのかどうかは知らないが、この主人公の場合、「もとのまんまのもんは骨と目ん玉と爪と髪と耳とアソコぐらい」という具合の整形美女なのである。とある美容クリニックのいかがわしくも恐ろしい研究の成果が彼女であった。元々は太っていて『美』とはかけ離れた存在だった彼女が、体に物凄いメスを入れて美人の体を手に入れたのである。しかしそれは人工物。特に全身ともなれば次第に手術の後遺症や、ちょっとした傷が段々に彼女の体を蝕んでいく。彼女の体は生きたままに崩壊していく運命にあった。



普通の漫画なら、まず整形で手に入れた素晴らしい時代の栄華を描いて、中盤くらいからこの崩壊の苦悩を描いていくものであろう。しかし、この作品は一話目でいきなり彼女が自分の傷に気付き、大変な混乱状態に陥る。そして、一話目のうちに自分の栄光も終りが近い事を悟る。普通の漫画なら、この部分の悲しみと葛藤に多くのページを割くだろうし、主人公が悩み続けるのがセオリーであろう。しかし、ここに正に岡崎京子の素晴らしい個性が見られる。彼女はそれを悟って泣いた後に、不意に笑い出して、そしてこう言うのである。手元に本が無いので微妙に違うとは思うが。

ハアーッハッハの大笑い!誰がお前らの思う通りになるかよ!

そうよ、あたしは絶対に幸せになってみせるわ、さもなければみんな揃って地獄行きよ!


彼女は自分が美貌を失うことで起こりうる色んなことを理解した。世間から自分が見捨てられる事とか。しかし彼女はすぐに泣き止み、自暴自棄を通り越した戦い、ヤケクソの辿り着いた最終地点での戦いを始める。そして彼女は多くの人を巻き込んで、崩壊していく自身をよそに、とにもかくにも酷いことをしまくるのである。そのタフさには本当に参ってしまう。多分岡崎漫画の主人公、基本的にあまり悩まないさっぱりした(冷めたとも言う)主人公ばかりのなかでも特にその傾向が激しい。非常にクールで、さっぱりして、ボロボロなのに力強い(それは初めに完全な絶望があるからで、決して明るいものではないのだが)。同じ作者の『東京ガールズブラボー』の主人公とは、方向性は全く違うが、その思い切り具合やタフさの面では似通った部分がある。



そして誰もが思うだろう、彼女は破滅に向かって暴走しながら突っ走っていくが、その最期は物凄く寂しいものか物凄く悲惨なものであるだろうと。岡崎京子の恐ろしさというか物凄さというかはここで物凄い結末を用意している。これが果たして希望なのか絶望の果てなのかは、まあ読者に委ねられていると言ってもいいかもしれない。



作品全体を通しての冷徹さ、クールさは彼女のキャリアの中でも、更にはこれまで全ての漫画の中でも随一である(オマエ全ての漫画を知ってるのかいってツッコミ待ち。知ってるわけ無いだろう!!!)。彼女が元々持っていた少女漫画的な丸みを帯びた描写は完全に跡形もなく、リアルではないし線もよれているが非常に平面的で鋭角的なキャラクターたちが苦しんだり、嫉妬したり、思索したりする。女性にとって普遍的なテーマである『美しさ』に対する視線も、これまでになく冷たく痛い。しかし作者は別に美しさを追い求める事を馬鹿なことだと斬って捨てるつもりは無いようだ。情景描写や場面転換、コマ割とかページ構成とかといった技法的な面でも作者はここでひとつの大きな高みに到達している。モチーフや暗喩が何度も使われ、場面転換にも最も衝撃的になるようなネームの割き方をしている。この作品が手塚賞を取ったのは、話自体の面白さはもちろんの事、それを伝える技法面でも素晴らしいものであった事が大きく関与していると思う。その分、曖昧で複雑な描写みたいなのはかなり減っていて、その部分が好きな読者にしてみれば少し残念かもしれない(リバーズエッジ的な間の取り方はしていなくて、もっと具体的か象徴的なのだ)。



感情の書き方も、甘い部分は少しも見られない。緊張感を削ぐようなどうでもいい描写はまったくといっていいほど存在せず、そのため多くの感情が存在して複雑に絡み合うにも拘らず、読む際のスピード感はしっかりと保たれている。『破滅』という誰もが想定するゴールが見えていて、それに向かっていくみたいにストーリーが進んでいくので、不要な『意外性』が引っかかって減速することも無い。そして、ゴールに辿り着く直前で、読者の多くはそのゴールが思わぬ方向に向かうのに気付く。これにはもう感心するほか無いと本当に思う。



ヘルタースケルターというのはビートルズの曲名で、ホワイトアルバムの二枚目に入っているポールマッカートニーの作品である。初代ヘヴィロックともいわれるこの曲だが、タイトルの意味はどこかの公園の滑り台なのだそうだ。他にも「狼狽(する)、混乱(した)」という意味があるらしい。岡崎京子はこの作品に本当に素晴らしくフィットするタイトルをつけたものである。正に主人公は狼狽しながら一直線滑り落ちていくのである。そして普通にフェードアウトで終わるかと思ったら……「I've got blisters on my fingers!!」にあたる素晴らしいオチが待っている。



この作品、間違いなく岡崎作品の中でも最重量級の作品である。読むには体力がいるかもしれないし、読み進めるのが辛い人も存在あするかも知れない。この作品の有する空気は重くて冷たくて濃い。しかし、それでもそれは人の興味を掴んで離さないだけのキャッチーさは持ち合わせているし、決して読者を突き放していい気になっている漫画などではない。様々な現代的な社会問題も登場するし、それに対する作者の気持ちも所々で顔を覗かせる。確かに『リバーズエッジ』とかみたいな叙情性や『東京ガールズブラボー』的な感傷性は失われているが、それを補って余りあるエネルギーが作品中を所狭しと暴れまわっている。権威主義者の方も手塚賞って聞いたら手に取るでしょ。いや、そもそも賞とか関係無しに、私はこの作品は手塚治虫から続く漫画の歴史の中での、一つの頂点と思っている。漫画の枠を超える、というか、漫画はここまで表現できる、ということに未だに驚きを感じる。
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