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車輪の下/ ヘッセ 奇子/ 手塚治虫など

2007年12月08日 11:23

漫画、小説の類を現実逃避に使うことは多いでしょう。その逃避先の世界観はどんなもの?「そっちの世界くらい幸せでいたいよ」って思うこともあるだろうし、「俺は元プロの殺し屋で、今は命を狙われて、愛する女性(ひと)と一緒に…」なんて中二病だったりするかもだし、「おっす、オラなんだかワクワクすっぞ!」な感じかもしれない。



でも、私は漫画小説の中でも胸糞悪いです。破滅大好き。全ては終わっていくんだい!畜生!


今日読み終わった二つがちょうどどっちも夢も希望もない終わり方をしたので、今私はそんな感じの気持ちです。切なかったり、気持ち悪かったり、吐き気がしたり。漫画で吐き気が起こることはあるのです。それもグロ描写とかそういうのではなくて。


車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)

  • 作者: ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1951/11
  • メディア: 文庫

まずはこの、普通に小学校の学級文庫とかにも置いてあるような名作中の名作をまだ読んでいなかった自分を責める。死んじまえよー死んじまえよー酔っ払って冷たい初冬の河に落っこちて死んじまえよー。あ、これちなみにネタバレです。つまりはそういうことです。というかこんなもん小学生に読ませるなよ。大体ホメロスとか小学生が知ってるもんかいいおっさんの私ですら知らないのに。

あらすじは、純粋な心を持ったガリ勉君ハンス・ギーペンラードの心の移り変わりと落ちていく様を描いた青春小説。彼、少年的な心や想像力を取り返していけばいくほど、心はどこまでも落ちていくので悲惨です。修道院で彼がヘルマン・ハイルナーにどんどん調教感化されて恋に落ちていく様が大変面白かったですがこれ、自分の勉強に不満を持つ大学生が読んだら感化されるかも。最悪退学まで引きずり込まれるかもしれません。あとロットン女子の皆さんは読んでるジャンプを置いてこっちを読もう。正直「車輪の下」本はちょっと読んでみたくもあるよ私は。やはりこの辺りのプレッシャーと逃げ道探しにのた打ち回る修道院での話が一番面白かった。

あとは色々あって心が空っぽになって故郷に帰ってきたハンスが、知り合いの親族の女の子に心底惚れて、相当に童貞なところなんかも面白かったです。いや本当はもっと深い意味があるんですが。それで勝手に心満たされて、過去の少年時代にグッバイして、しかも最後にはその女の子に自分は遊ばれていたのだと気付いてまた心がすっからかんになるし。ハンス君は物凄く純粋ですちょっと滑稽なほど、そしてちょっと憧れてしまうほど。

ともかくハンスの精神的な脆弱さ、それは彼が色々と許すことが出来ないくらい濁れない心を持ってしまったが故なんだけど、そこが最大の見所でしょうか。そりゃあ木下も同名の曲を作るわな(しかし歌詞の内容はそんなにこれと関係ないな)。『ライ麦』のホールデン君は強がりなイノセンス君だったけど、こっちのハンス君はひたすら貧弱で、拠り所を失ってしまってからはどんどん読むのが辛くなっていく。拠り所が、勉強→友情→愛と移って、そして最後には彼は何を拠り所としていたんだろう。修道院を追い出された後と、例の少女がどっか行ってからの彼は本当に空っぽに見える。

あと、この本の主題は教育に関する問題提起、詰め込み教育についてのどうのこうのって言うのを聞くけど、私はその側面については別にそう思わない。むしろそういうプレッシャーまみれの神経質な場所だからこそハンスの繊細さ虚弱さが生えるのだと思うし、あまりそういう政治的イデオロギーでもってこの作品を解釈したくない。私が重点をおきたいのはあくまでも登場人物の心の動きだから。

大学生がこれを読むときには作中の修道院と自分の大学を重ねてはいけません。本当に辞めたくなっちゃう。

あと、やたら情景描写が詳しくそして詩的で、植物の名前が沢山出てくるし、色彩描写も多彩だ。それが時には話の流れを分からなくするのは私の読解力の足りないせい。こんなのやっぱり小学生には中々無理だよ…。


奇子 (上) (角川文庫)

奇子 (上) (角川文庫)

  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1996/06
  • メディア: 文庫

そして最高に胸糞悪くなる作品がこれ。何だよこれ。結局みんな自分勝手で、それに弄ばされて狂ってしまう少女を見るのはとてもやるせない。少女が暗い蔵の中で閉じ込められたまま成長し、子供みたいな心のまま自分の兄(いや叔父か)と体を汚しあうところなど、背徳感と嫌悪感とでどうしようもなくなる。

田舎の有力者一家の権力と、ドロドロとした因習、その隙間で繁殖するただひたすら自分だけのための欲望。あるものは自分の性欲を垂れ流すし、ある人は財産ほしさにそれに加担し、結局最後までみっともなく這いずり回る。閉鎖的で陰鬱で理不尽な田舎の世界がどこまでも話を暗くする。そもそも私は田舎には人間の数が少ない、人工物が少ないというだけで寂しさと恐怖を感じてしまう人間なので、それにこの話の黒い成分が入ってくると、「ああもう絶対田舎なんか行きたくねえ!」って気持ちが膨れ上がる。胸からこみ上げる吐き気と共に。

どうでもいいけど、これにしても『アドルフに告ぐ』にしても、最後の方の話の展開がやたら速くしかも強引になる。打ち切りか何かだろうか。特に『アドルフ』の方は書ききれなかった設定も多いらしく残念。この『奇子』(「あやこ」と読みます)にしても、最後の最後、本当に陰鬱で閉鎖的な環境における話がやたら高速ですすんでいくのは少しばかり残念か。いやでもあんな描写をじっくりじっくり書いている方が気が狂いそうになる。それに本当に切迫した前半の状況こそがこの作品の一番生々しくグロテスクで見所な訳で、みんなどこか常識がない、ここで言う常識っていうのは多分に都市的なもので、要するに近代性を伴ったものなんだけど、この日本のとある田舎にはそれが殆どなかった、そういう状況そのものが恐怖だった。つまり私たちの考えるルールの外にある世界が、私たちから見ると大変グロテスクに見える。後半の話は舞台が都会になって、人間のルールが私たちに近くなると恐怖が薄らぐのは自明のことだ。そして最後に田舎に帰ってきてまた恐怖が降りかかる。最後田舎に帰ってくる展開になるとぐっと気持ちが不安になり、最後のどん詰まりの場所に到着し閉所恐怖症の人はとても読めたもんじゃない結末に達すると読んでて息が止まりそうになる。そして訪れる全滅の結末が何とも恐ろしく理不尽で、小学生の時このオチを知ってしまった私は手塚治虫が怖くなって読むのを辞めてしまった。いや、順番的に言えばむしろ、私の先述の田舎に対して感じる不安や恐怖はこの漫画によって植えつけられたのかもしれない。そういうトラウマを、十年後くらいの今やっと克服できたのかもしれない。できてない気もするけど。

ストーリー自体は数ある手塚作品の中でも優れた、また良く纏まった部類に入るらしいし、表現力(主に負の部分の)も申し分ない傑作だけど、読むのは本当にしんどい。そして、こういう話がもしかしたら現実でもあるんだろうなと考えたらもう全てが怖くなって、何も信じられそうに無い状態に追い込まれそうになる。何で手塚治虫がここまで陰鬱で病的で救いも全くなく、そしてはっきりしたメッセージ性が希薄な、ただひたすらに陰鬱な作品を書いたのかが少しばかり気になる。そう簡単には答えは出してやんないよっていう手塚の意地悪心かどうかは知らないが、少なくとも手塚治虫が、あの良く出てくる愛嬌のある、ベレー帽をかぶった可愛らしいおっさんというイメージの人にとってはこの作品はトラウマメーカーになると同時に、認識を改める必要性を求めて迫ってくると思う。

こんなものを小学生の時に読ませてくれた母に感謝するような、それともちょっと恨みたくなるような、今そんな気持ちです。いや、やっぱり小五でこれはきつい…。

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