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思い出シリーズ第一回:くるり編

2009年09月26日 02:24

なんとなくここに書く(書けるほどの)ネタが最近無いもので、こんな更新を思いつきでするようになってしまいました。まあいいか。

最近は新しい音楽にのめり込むこともぐっと少なくなり、むしろ音楽を積極的に聴くことが減ってしまい、何だか黄昏的な何かを感じているのですが(笑)、遂にそんな視点でもって様々なものについて語ることが出来れば良いなと思うこのコーナーでございます。レビューなどではなく、ごく個人的なことをアバウトにフリーキーに書ければなと(笑)

そんな第一回、くるりでございます。というかくるりのPV観ていたらなんとなく淡い気持ちになって、こういう更新をしようと思ったのですが。

くるりと言えば、最近もアルバムを出し、ライブもするようだし精力的に活動をしているようなのです。その演奏や作曲センスは円熟の域に達しているようで、安定して良い作品を創っているようです。
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ただ、確かに完成度の高いアルバムだと思うのですが、個人的にあまりのめり込めないのも事実なんです。実はわたしこのアルバム、パソコンに入れてから二回しか聴いてません。

それでさっき、ふと思い立ってくるりのPVを幾つか観たのです。それらの曲がもうそれなりに「昔」であることに気付き、わたしは何と言うかじわりとした思いをしたのです。

くるりは大学生バンドから発展した典型的なバンドであり、色んな意味で大学生的なセンスに満ちたバンドだったように思います。

濁ったコードで日本の情緒を取り込みつつもどこかだらしなくもいかんともしがたい学生然とした雰囲気を全体的に醸し出していた初期。沈殿したフラストレーションが一瞬ぶわっと舞い上がるような、そんな良さがあります。しかし良く聴くと本当に色々凝ってるよなあ。このぐにゃっとして抜けきれない感じがインディらしくもありしかしなんとも身近で、そういう魅力がありました。岸田ギター上手いよなあ。


そして上京してデビューしてテンパる(笑)この困惑と絶望と被害妄想感、みっともなさが攻撃性になり、そして突き抜けた格好良さになるのは、学生のクソな気持ちを代弁しつつも圧倒的な説得力があったものです。そう、こんがらがった大学生は七面倒だ(笑)
あと9mmのこの曲のカバー反対!分かり易過ぎるしなんかあんまり頭良さそうじゃない(笑)
この曲のアウトロの迷走具合とか、やっぱり当時のくるりだからこそ出来た業だよなあ。


しかし大分東京にも機械にもこなれてきて、急に洗練されるくるり。レディへ以降のエレクトロニカ導入キラキラ空虚で切ないという学生ロックの一大潮流の日本における重要な地位をスーパーカーと分け合う。ここにきてくるりの音楽の想定する「若者」の概念が大分変わってきます。「なんか駄目な大学生」から「下北沢的なスノッブさを愛する若者全般」へ。くるりの持っていた切なさの質もまたそういった具合に変化していきました。
あとこのセンチ過ぎる曲をどう民生がカバーするのかは結構興味あります。


で、そういう系統の極北。賢い大学生らしく情報を集め再構築して、という大学生音楽・若者音楽の、もう皆が羨むような理想を強烈に曲とサウンドにした名曲だと今でも思います。切なさは空虚さにどんどんと取り込まれ、ひたすら淡くて美しい光景を求める。もちろんそんなのを本気で志向していたらそれはサブカルという形で世の中の隅に沈殿することになり、やっぱりどうしようもない、まあとりあえず踊ってみるかと。やっぱり若者らしい彼等。その後ドラム脱退でバンドが一時的に崩壊するところも含めて、一番くるりが切なくて虚ろだった時期だと思います。

しかしくるりは復活する。なんかやっぱり大学生らしいいかんともしがたさと、その割には妙に力強くて芯のしっかりした、しかし微妙な情緒も忘れないサウンドを持って。ついでに外国人ドラマーも連れて来て!

クリストファーがロックンロールで客を煽り、みんな盛り上がる。若者の高揚!何よりもクリストファーの見た目無茶苦茶に身体を揺らしながらもバカテクなドラムがまた、向こうの国の学生バンドっぽくもあり、味気なさと時に同義のプロっぽさからも上手いこと逸脱していて非常に良い。何よりもこの曲自体、岸田の歌詞の「僕たち」という「うだつの上がらない若者全般」を歌い上げるような感じ、どろりとしながらも格段に逞しくなりそして学生的な狡猾さとプロっぽさのせめぎ合いが熱い。空虚な『World's End~』からか弱くも力強いこの曲への転換というのが、どれだけわたしたちの世代の音楽好きな若者にとって意味が大きかったか!「いつかは想像を超える日が待っているのだろう」!


そしてこの曲でまた、岸田のポップソングのセンスも完成を迎える。軽快さと反復による切なさ、そして歌詞の微妙な言い回しによる「僕たち若者」の切なさや繊細さをポップに舞い上げる業。そういった要素はともすれば繊細の果ての何か物足りなさに行き着いてしまいそうなところ、それをクリストファーのドラミングが心地良い具合に転がり回って払拭する感じがこの曲の幸福なところだと思う。

そしてちょっと悲しいかな。この曲でくるりのポップソングは本当にひとつの「完成」に達してしまった気がするし、「若者」に対するくるりの微妙なスタンスもひとつのすっきりしたところを迎えてしまった気がする。

これ以降のくるりが詰まらんとか、そんなことは全然思わないし、むしろどんどん岸田は職人的ソングライターになっていくし、色々とやってバンドとしても上手くやっていると思う。けれどどこか寂しく感じてしまうのは、なんというかもう岸田やくるりが「混迷する若者の気持ち」を混迷した感じに歌わなくなってしまったことが大きいように思うのです。『NIKKI』周辺では妙に爽やかぶってみたり、『ワルツを踊れ』ではどこか京都時代の感情の動きを大人になった岸田がトレースしているようでもあり、そして最新作『魂のゆくえ』ではもうなんか、くるりは完全に「若者の代表」から離れ、「若者の微妙な感情を歌う大人」になってしまった気さえするのです。いや、人間歳を取るからそれは仕方が無いことだし、むしろそういったくるりの若者に対する距離感の変化はある種理想的にも思えるのですが、しかしやっぱりどこか切ないと思ってしまうのです。


特にこの曲の、まるで京都~『図鑑』辺りのくるりを優しく見つめるかのような情緒と優しさ、そして過ぎ去ったものを眺める切なさが溢れている具合が、聴いていて、かつてくるりに熱狂していたひとりの人間として、非常に、非常に感傷的になるのです。妙にあっさりした曲展開も、最小限の展開で最大限の切なさを生み出すその極意を「完全に分かってしまった」といった感じがあって、何とも切なくなるのです。そしてその切なさは、何と言うか「何でそうなってしまったんだよ!」っていう感じではなくて「うん、そうだよな、きっと大人ならそうすべきなんだよな」と思えてしまう感じなんです。
ちょっとアレですが補足しますと、わたしはこの曲が凄い好きです。大人になった、ポップの極意を掌握した岸田繁は、これから細野さんみたいになっていくのでしょうか?うん、それがいいと思います。そういう彼の創る曲はきっと、かつてくるりに熱狂的にはまっていた「若者」だった人達を、コーヒーや酒の苦みのようなもので優しく迎え入れてくれることでしょう。「若者を見つめる大人」になった岸田繁、いつかはそういうポップの超傑作を創ってくれることを期待します。しかし何故だろう、本当に切ない。

下手をすれば今のくるりの方が今のピロウズよりも年取って見える、それがきっとくるりの一種の業であり、そしてこれからのくるりの向かっていく先を少し示しているのでしょう。ああ、何かそれは本当に、切ない。大人になるって切ないなということを、くるりというバンドをずっと見ていると思うのでした。

あとエディは本当にピアノが上手過ぎるなあ。
しかもパフォーマンスも面白いし、なんなのこのおっさん。

ひょっとしたらエディこそ一番素敵でおバカな歳の取り方をしているのかもしれん……。
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今日は久米田康治先生の誕生日

2009年09月05日 03:44

タイトルの通りです。42歳だそうです。
厄年だそうです。まあ美味しい。絶対新刊の巻末のネタになる。
「ネタになることを期待されているから逆に何も書きたく無い」とか書かれた日にゃあ、
そりゃあもうニヤリとしますよ。

本人は講談社漫画賞受賞と人生初のアニメ化が人生の絶頂であとは落ちていくだけと仰ってますが、漫画自体を見ているとなかなかしたたかというか、むしろ漫画家的野心に一層磨きがかかっているというか。最近は社会派ネタ・羅列ネタに頼らなくても、上手にキャラを回したり、ぶち抜き絵を構図的に格好良く利用したり、メタ展開を巧みに入れたり、上手いこと言う精度を上げたり、何故かやたらと神崎さんを引っ張りだして来たりと、もうかなり上手に色々と高度なことをしているような気がして、なんか凄いなあと。

しかし最近普通は本当にオチ要員というか、ヨゴレというか、なんともはや。
今週の地獄の黙示録オチはかなり面白かった。文化的だなあ。
実は結構面白いオチ多いと思うんですよ。アゴとか、触らぬ神とか、ミサイルとか。

絶望先生にちりばめられた文化的引用(おいおいどういうことだよ文化的過ぎるだろう、と)を辿っていくだけで、実はサブカルチャー的な教養もかなりつくし。こういう引用の嵐な作品って、引用元を調べるのも楽しいしそれで知識がつくのも嬉しいです。エヴァとか筋少とか。
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(2009/08/17)
久米田 康治

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フルコーラスだとまた素晴らしい『林檎もぎれビーム』。
おいおい、この歌っている男、昔は「タイアーップ!」って繰り返し叫んでいたじゃないか!
「コアなファン 捨てても欲しい タイアップ」とか詠んでいたじゃないか!
君よ!ポストウォーターで変われ!とか言わされて苦しんでいたのに!
それが何だよこの幸せなタイアップは!?
しかもきっちりと「お仕事でやってるだけかもよ」と付け加えられる鋭さと賢さ、
それが許される組み合わせ。こんなこと言って、どっちのコアなファンも喜ぶという相性の良さ。
やってる本人達(久米田プロ・シャフト・声優陣・オーケンなどなど)は辛いかもしれないけれど、この辺りの人々って、サブカルチャー的には今一番幸せな領域かもしれない。


別にこのまま安定して連載を続けてもらっても構わないのですが、なんとなく作者本人がそれを許さない、良しとしていない気がするんです。きっと色々とまだ狡猾なアイディアを持っていたり、それか思いついたりするのでしょう。漫画界有数のピエロでペテン師久米田康治、これからの活躍をお祈りしております。生も死も絶望も全てペテン!

『14SOULS』 ART-SCHOOL

2009年09月05日 02:33

間が空いたけど、できるだけ全曲レビュー。KARENの新譜はまだ買ってないです。
14SOULS14SOULS
(2009/08/05)
ART-SCHOOL

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1. 14souls
第二期以降現れた爽やかギターロック路線(スピッツみたいな?)の、その最新系。早歩き程度のテンポの疾走感と、それを全く邪魔しないシンプルで心地良いメロディ、アレンジ。中間の短いリズムチェンジ以外はずっと展開を反復するシンプルさが、一見地味だが慣れるとなんか気持ちいい。歌の間も意外と細かくリフを作っていくギターが可愛らしい。先行配信曲だったので、今回はこういうのが多いのかと期待したら全然そうでもなかった(笑)木下の歌もなんか若作りで良い。あとベースが圧倒的(笑)
2. STAY BEAUTIFUL
前曲の爽やかさをぶち折るハード気味なリフ。ていうかブロックパーティー……。鋭いマイナー調の曲がこのアルバムは多い。美しさよりも毒々しい官能っぽさを重視したアレンジ・メロディ。驚きなのは間奏。急にビッグビート風、っていうかこれスワルティカアイズじゃねえか!ホーンまで入って、その狂乱具合がなんとも意外というか新境地というか。ダークに踊らせるぜ!っていう具合の気合いを感じる。
3. ローラーコースター
ポップなリフを中心とした、ミドルテンポのどっしりロック。つってもアートのどっしりロックはどっしり感が無いけれど。『Seagull』なんかに近い。良く跳ねるドラムや粘り気のあるギターはどこか初期スマパンのよう。ブリッジでのコーラスの掛け合いなんかがいい具合。今回一番分かり易くオルタナしている曲かと。そういうツボを抑えたギターの陽性具合や伸びが格好いい。
4. マイブルーセバスチャン
スミスみたいなイントロからまたマイナー調の狂乱具合。この曲は特にホーンが大きくて、その様はまさかのエロ路線のサザン風(笑)コーラスの掛かったギターのマイナーアルペジオ具合はまさにUKニューウェーブ。スミスやキュアーって感じ。密かにサビの流れるように最小限に舞い上がるメロディが素敵だと思う。
5. HEAVEN’S SIGN
三連符のミドルテンポナンバー。たゆたうようなギターフレーズが印象的なこの曲は、なんとなくKARENからのフィードバックを感じる。間奏のじわじわ盛り上がっていきそこから一気に引く感じが素敵だと思う。戸高が手を替え品を替え頑張っている感じ。こんな曲調は初期に無かったはずなのに、なんか初期っぽく感じる。メロディか?
6. LOST CONTROL
もう分かり易いくらいリフがブロックパーティーな、ダーク疾走系ナンバー。しかし木下が歌えば立派にアートになるもんだなあと。こっそりシンセも入っている。サビ入る前の切迫はThe Novembersぽくもある。そして最後のサビ前の毒々しくも幻惑的な展開が良い。最後のタイトル連呼もいい具合。何故か映画『ロボゲイシャ』の主題歌。映画の映像と一緒にこれが流れるとなんか、それなりに真面目な曲だろうに、笑える。
7. tonight is the night
トランス風味なシーケンスが反復する、今回のダンス路線の中でも最も振り切れた曲か。夜っぽい透明感のヴァースから(特にリズムが)狂乱って感じのサビに入る具合は心地良い。今回のアルバムでも最も新ドラマーの個性が出ている曲か。ギターポップなキラキラさとはまた違った輝き。この曲もサビのコーラスが重要だなあ。
8. wish you were here
『クロエ』『その指で』系統のアート流へなちょこファンクナンバー。これはしかしまた随分シンプルな。簡素な打ち込みのリズム上を簡素なメロディの反復がなぞる。ちょこちょこと鳴るギターとマイナーアルペジオの対比が、ギターロックとファンクを適当なところで上手く繋ぎ合わせているのか。繰り返しもいつもより一回少ないし、なんか地味だけどその小回り感が素敵だと思う。
9. don’t i hold you
これはなんかブロックパーティー風っていうよりもThe Novembers風か?リフがちょっと臭過ぎるかも。というかM6と曲調がかなり被っているよなあ。サビの繰り返しがいかにも木下っぽいのと、間奏からの盛り上がりがアートチックなツボを抑えていて良いけれど、これは無くてもいい曲かも。
10. CATHOLIC BOY
なんか不思議な、アートっぽく無いイントロから始まる、えらく落ち着いたポップソング。サビ以外はちょっとピロウズっぽくないかい?戸高らしい水っぽいギターはあるが。でもサビのシンプルで、盛り上がりが抑えてあって、そして若干クドい繰り返しがなんか良い。ギターポップしてるなあって感じ。間奏前に出てくる新しいメロディの盛り上げ方と、そこで鳴るギター、そして間奏からサビに入る具合も奥行きがあっていい。戸高のギターは本当に奥行きのために努力してるなあ。
11. KILLING ME SOFTLY
メインリフがモロパクリ疑惑出ているけど(笑)今回最もブッ飛んでいる暗黒狂乱ソングか?まさかの二人ボーカル。二人の木下が別の歌を歌うよ。サビの急な不浄感も含めて、何ともカオス。さらにカオスに拍車を掛けるような、急なリズムチェンジと新しいメロディの挿入、そしてそこから無理矢理元のサビに戻る強引さ。いいかどうかは別としても、こうやって曲調の冒険をしているんだなあと。
12. 君は天使だった
地味に今回のアルバムの中でも最もびっくりした曲。何だこの軽快に跳ねたリズムは。冬っぽい雰囲気のギターといい、それこそまるでピロウズの『レッサーハムスターの憂鬱』みたいな雰囲気。っていうかこれ地味に凄くいいんだよなあ。シンプルな反復からサビでいい具合に舞い上がるメロディが好き。しかしここでまた急にリズムチェンジして、なんか哀愁のサーカスみたいになって、しかも今回はサビにも戻らずそのまま終わる。なんじゃこりゃ!?なんかもう、今のアートって自由自在だなあとか思った。全編に漂う冬具合が良い。こういう曲調もっとやって欲しい。
13. Grace note
最後は前作に続いて戸高曲で締め。もしかしてこのアルバムで一番凝ってる曲かも。デスキャブのようなちょっと変則的なリズムやリフで切ない。前曲の冬の気配を上手く引き継いでいる。エイトビートの拍子足らずから三連符に持ち込む展開とか、アートにしては文化的過ぎる(笑)終盤の為に別の展開とメロディを用意するところとか、急に水を得たように細かく転がり回るドラムとか、本当にアートか!?って具合だけどでも良い。戸高の歌う少し抜け切らないメロディもまた幻想的でいい具合。しっとりと寂しい余韻を残してアルバムは終わる。


ART-SCHOOL、実に2年半ぶりのフルアルバム。実際はミニアルバム二枚とベスト盤、別働隊KARENのアルバム(こちらも新譜が立て続けにリリース!)、そしてライブと、結構精力的に活動していた。勿論、盟友Sryup16gの解散などのシーンの移り変わりやメンバーチェンジなど様々な状況の変化は大きいが。

サウンド的にはまた大きく変化した。特にUKインディシーンに対するシンパシー(特にフロア的な局面)や、ドラムの交替(木下以外唯一のオリジナルメンバー・櫻井氏を失ったが)によるリズムセクションの再構築など、こういった影響がバンドのサウンドを大胆に改造するためにアルバムの多くの場面で見え隠れする。具体的には初期のグランジ路線とも、第二期以降のギターポップ路線とも一線を画するような、非常にニューウェーブ的で攻撃的で冷ややかなサウンドがかなり増えた。従来持っていたギターロック・ギターポップ的要素も、ちゃんとそういう曲を何曲か入れたり、そういうテイストをダンスチューンに落とし込んだりして処理している。

結構やりたいことを節操無くやっている感じもするが、そこは安定感と相変わらずな木下節が光るソングライティングがカバー。ややダークさが目立つが、相変わらずのポップで簡潔なメロディと、緊張感と不器用な青さを保った歌が光る。そして木下らしさ全開のどうしようもない詞世界も、今回はサウンドの攻撃性と相俟ってやさぐれ気味で良し。

長く続いてきたバンドの変化作として、十分以上のクオリティと彼等固有の美意識や個性を持った作品。私個人としてはダンス路線よりもギターポップをやってもらった方が嬉しいけれど、これはこれでアートの曲調を無理なく広げた感じがあって、中々良いと思う。このソングライティングと歌の妙な安定感を失わないなら、もうどんな曲調だってやれてしまう気がする。

ある雑誌のインタビューによると13曲入りのアルバム『14の魂』の最後のひとつは脱退した櫻井氏とのことだが、その決別を振り切るがごとき力強い変化と変わらぬ鋭さが輝く。次作も期待。出来れば今度はもっと早く(笑)

動画がねえー。試聴はmyspaceの公式ページで。

『希望の国のエクソダス』についての情緒的(笑)な感想

2009年09月04日 15:03

希望の国のエクソダス (文春文庫)希望の国のエクソダス (文春文庫)
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愛と幻想のファシズム〈上〉 (講談社文庫)愛と幻想のファシズム〈上〉 (講談社文庫)
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『希望の国のエクソダス』を読んで強く思ったこと。『愛と幻想のファシズム』でもいい。それは妙な違和感と言うか、感情的、あまりに感情的な反感だった。

賢い側のやることは本当にスムーズに次々と成功し、逆に体制側はどんどん失敗を重ねるところ。「ほらほら、賢く無い現状はこんなに酷くなるんですよ」というヒステリックさ。この辺ムカつく。もちろん作中で提示された酷いことは、幾らかは現実を受けてのものだし、後の崩壊を予見もしたが。国が作中で没落して行く様は本当に都合が良く、「そんな何もかも酷いことあるかあ!」と思ってしまう。ただ、こういう「何もかも酷い」を想定することがリスクマネジメントだと言われたら何も言えない。そしてそういうリスクの中から脱出する最善手が非常にエリート的になるのは、手段の提示としては正しい。

ただ、物語として見ていると、本当になんかムカつくのだ(笑)
特に中学生(『愛と~』なら党員)を持ち上げ、それ以外の大人を全てほぼ無能みたいに扱うところとか。しかもタチが悪いのは、このムカつきは情緒的な問題で、非効率的で何の利益も生まない、全くの無駄だということ。どうも読者が抱きかねないこういう反感を始めから馬鹿にされているようで、それもまたムカつく(笑)

あと、この二作に通じる、徹底的なエリート主義。「社会で劣等感を味わった人間」はエリートではない。そしてあらゆる場面で状況を良い方に導くのはエリートの役目で、それ以外は徹底的にダメになる。こういう点において村上龍は、読者に全く幻想を抱かせない。非常に冷酷とも言えるし、現実的とも言える。エリートは非現実的なまでに欲望を抱かない。利益は非常に効率的に運用されるし、拡大していく。これはエリートが混乱の中での「最善手」の象徴としての存在であるから、当然無駄は一切無い訳で。ただ、そこのところが物語としては非常に気に食わないところではある(笑)もっとこう、最善と思われるプランにも実はこういう穴があってとかそういうものが欲しいのだが、最善手はまさに最善手であるため、根源的な欠陥を除けば最も有効で、非常に先進的で、もう完璧なのである。
根本的欠陥とは、『希望の~』だったらエリートが中学生であることだし、『愛と~』だったらそれがファシストであること。だが、この辺の根本的にはエグいけど手段としては最善じゃん!という幾らか皮肉っぽいところはどことなく村上龍っぽいと言うか、本人の人柄が伺えそうな部分ではある。それは物事の持つ実際的効果を偏重し、一切の儀礼的な無駄などを省こうとする姿勢からも見えてくる。彼が求めているのはある感覚のメタファーなどではなく、実際的な効率性と有効手段の提示だということ。テレビキャスターや国会議員が中学生に質問する辺りの無駄な感じなんかは、極端過ぎな気もするけど共感出来るもんなあ。

もうひとつ憎いところが、作者がこれだけ有効な手を提示しておきながら、主人公にはきっちりとそれに違和感を覚えるキャラを置くことである。そして重要なのが、この違和感に作中の情緒的な部分が集約されている具合である。『希望の~』の記者も『愛と~』のトウジも、エリートの活躍の中で唯一、そのエリートの非情緒的な側面を作中で有効に批判する手を有している(彼等が主観の物語だから)。この辺がなんかズルい(笑)まるで「こういう反感こそが適切なんですよ」と言われているような、そんな気持ちになる。

こういう小説というのは、もはや経済・ビジネスについての作者の意識を物語という舞台の上で展開したようなもので、純粋に情緒的な何かを楽しむ物語では決して無いと思う。そういう意味では文学ではないとか思ってしまうも、しかしそれでもがっつり読ませてしまう力はあるんだよなあと、悔しいながらも思ってしまう。この辺の有無を言わせぬ力と勉強量が村上龍の凄いところなんだろうなあとは思う。

ただ、これらを読んで「やべえ!ヤベエよ現代日本!オレ達も龍さんが言う見たく、マジで頑張んねえといけねえ!」とは死んでも思いたく無いのも事実だったりして(笑)確かに日本はやばいかもしれないし、頑張る必要はあるのかもしれないが、それが全て村上龍の物語や思想の範囲内で収まってしまうのはなんか癪に障る(笑)もっとも、龍さんも「……という風にオレは思う訳なんだけどさ、お前らはどう思うよ?世間のお偉い方、現代を生きるビジネスマン諸君、そしてこれからの世界を担う少年少女達よ。」と、あくまで意見の提示と挑発を行っているであろうから、「リュウはムカつくから、あいつの想像を超えて、もっといい頑張り方を見つけてやる!」と読者が思うこともまた、村上龍の望むところではあるんだろうな。それがまたまたムカつく(笑)

そして『13歳のハローワーク』に至る訳っすね!畜生!完璧じゃねえか!
13歳のハローワーク13歳のハローワーク
(2003/12/02)
村上 龍

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何よりも一番ムカつくのは、作家というどちらかと言えば社会システム的にフリーな立場の人間が、その自由な立場から「旧来的なシステムはもうクソだ!これからはこういう感じじゃなければならない!」と強く主張している点だ。……まあ当然って言えば当然な話ではあるんだけど。フリーで、広く見通しの効く立場からじゃないとこんな大胆な意見提示出来ないものな。意見を提示して「目覚めろアホぅ!実行しろやゴラァ!」と言う側と、それを受けて実際的に行動するシステム側と、そんな関係というものを考えてしまった。前者が学者や作家や知識人、後者が実際に働く人々、であろうか。それとも今の時代はその辺はもっと自由かもしれないか。

「これからの日本の更なる発展を祈って」とか言ったら、色んな意味で怒られるんだろうな。
「他人事みたいに言ってねえで、お前が考えて行動しろよ!」とか、
「そもそも日本という国に拘って思考すること自体がナンセンスだよ俗物」とか。
この国には選択肢と価値観が増え過ぎている。私はそれらのどれもが正解でも不正解でもないように思えて、ひたすら困惑ばかりしているのです。村上龍さんの大胆で傲慢でしかししっかりとした理論と背景を持った意見は、そういった混迷の中の大きなひとつの矢印ではあると思います。作家ってのも大変なんだなあとか思ってみたり。
村上龍の、特にここに挙げた作品について思うこと、それは啓蒙の方法と限界である。



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