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B/ スーパーカー その他

2007年12月31日 11:15

あと、スーパーカーの『B』はなかなかいいなあと思った。これ聴いてると、前期よりも後期が好きになりそうなんとなく。いい曲いろいろ。『HIRAMEKI INSPIRATION』(いかにも『HIGHVISION』なタイトル)の後半の展開はいいなあ。『ROW』とかはちょっとやりすぎだけど。あと、『ANSWER』期のカップリングは意外とポップで聴きやすい。同じエレクトロにかでも、『HIGHVISION』が「高みへ!」って感じのテクノちっくな感じなのに対して、『Answer』期はもっとゆったりしたホストロック風味な印象。『ANSWER』自体はそんなに好きじゃないけど、この時期のカップリングはしっかりバンドしていてしかもポップで、ニューウェーブ分も適度でいいなあ。こういう路線でもう一枚作って欲しかったかも。『ANSWER』はどこか音が尖っている印象があって、かっこいいことに無理している印象があるけど、カップリング(もっと言えば『ANSWER』収録のシングル曲も)はどこかゆとりがあって、自然で、ぼんやりと昂揚していく感じがいいなあと思う。まあ確かに「スーパーカー独自のサウンド」かどうかっていうのはちょっと怪しいところだけど(「RADIOHEADチルドレン」みたいな)。そういや『ANSWER』期はフルカワミキボーカル曲が極端に少ない(『TIME』だけ?)のはなんなんだろ。邪魔だったのかなあ?

B

B

しかしやはりカップリング集のアルバムを出すってことは、そのアーティストがカップリングに自信があるってことで、やはりいい作品が多いなあと思う。個人的には、くるりには早いところそういうのを出してほしいところ。あとはどうせ無理なのはわかってるけど小沢健二の現役時(?)の後期シングルの曲を集めたものとか。

そもそもシングルというもの自体がその存在を疑われがちなこのごろだけど、そんな中でしっかりシングルを作ってくれるアーティストは本当に頼もしいなと思う。髭の『黒にそめろep』はアルバムへの期待をあおるのに十分なものだったし、ZAZENの『I Don't Wanna Be With You』も、視聴したらなんか欲しくなった(まだ買ってないけど)。シングル一枚に四曲入っていると、なんか「EP」って感じがして素敵だなあと思う。「このアルバムの時期のシングルのカップリング集めたら『裏アルバム』できちゃうよ」的な。カップリング一曲だけのシングルはやはり寂しい。

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アンドロイドは電気羊の夢を見るか/ フィリップ・K・ディック

2007年12月31日 11:15

そんなバイトの合間にどうにか一冊本を読む気が起きた。ただでさえ休みは脳を駄目にしちゃうのに、バイトはきつかった。三日で30時間働いたんだもの。でもマネーは手に入る。

そんなバイトの合間に読んだ本。SFものと言いますか、映画『ブレードランナー』の原作らしいですが、映画は門外漢なので全然分りません。まあそんなの関係なしに楽しめたのだけど。

どうでもいいけど「○○は●●の夢を見るか」というフレーズは「◎◎でつかまえて」と同じくらい汎用性が高いらしく、しばしばパロディやら引用やらが見られます。そういう小ネタでニヤリとするためにもこの本は読む価値があるんじゃないでしょうか。

もちろん内容は面白い。バイトに疲れた頭でも一気に読みとおすことができたほど。ストーリーを簡単に説明すれば、第三次世界大戦後の荒廃した地球で、脱走したアンドロイドとそれを狩る賞金稼ぎとの戦いみたいなもの。ただしこの時代アンドロイド技術は相当に進化し、細かい検査をしない限りは人間と区別がつかないほどで、また人間は感情をコントロールするのに「情調オルガン」なるものを使うっていう状況だけど。

まず、まあ大抵のアメリカのSF小説はそういうものらしいんですけど、とりあえず善悪の価値観は作中で激しく揺れている。ここでのアンドロイドはあくまでも人間の生活のサポートのために隷属されている(だから脱走したりする)、つまり「人間の道具」な訳で、だからアンドロイドと生物の間には大きな隔たりがある。また、多くの動物は核戦争とその後の放射能やら何やらでかなり死滅している。そこでアンドロイドを殺したり殺さなかったりという話なんだが、この両者について十二分に感情描写が割かれているおかげで、いいバランス感覚と緊張感が保たれている。アンドロイド側も自分たちの自由のために戦う、つまり人間を殺したりするので、お互いに出し抜き合いが始まり、それがまず熱い。

しかし、それよりももっと面白かったのはその世界感自体。「荒廃した地球」なんてもう相当使い古されているんだろうモチーフだけど、それでもこの作品が面白いのは、世界観が魅力的であるからに他ならない。ほぼ一日中同じテレビ番組が流れていたりするテレビとか、希少なため高価格で動物たちが取引されるとか、さっきの情調オルガンとか。そしてボロボロになって住む人の少ない住居。次第に滅びゆくさまざまな物質――これを作中では「キップル化」という。そして残った人々が救いを求めるのは「共感ボックス」と「マーサー教」。こういった様々な「終末的」な仕掛けがことごとく面白くて、なんというか退廃マニアとか廃墟マニアとかの心をぐっと掴むわけです。

そして憂鬱や当惑が人間にもアンドロイドにも降り注いで、事態は複雑(というほどでもないか…)になっていきまして…というお話。文章が読みやすいし面白いので本当にすいすい読めます。少なくとも今私が読んでいる『異邦人』よりかは。


『異邦人』、シュールか何だかわからないけど、「ここはこうだろう」的な感情のパターンを周到に回避し続けるから(というか深い感情描写が少なめ)、しっかり考えながら読まないと事態がよく分らない、またその事態も結構どうでも良さそうなのがあったりで、そういうのを楽しめる状況=精神的にゆとりがある状況じゃないと読みづらい。バイトで疲れてた私にはちょっと辛かったです。でもとりあえず近日中にはぜったい読み終わる。

レディオヘッドがどうのこうの

2007年12月26日 11:16

なんで『In Rainbow』二枚目が入ってないんだああもうボックス売ってねええええええwwww


悔しいのでトム他が恥ずかしい感じの動画を張る。

D

トムやりたい放題wwwプールwww「楽器は大事にしよう」論者涙目wwwww



逆にいえば、こんな連中が『OK Computer』とか『Kid A』とか作ったって考えたらある種奇跡だなあ。




追記:いろいろあって、どうにか手に入れました『In Rainbows』CD2。これまた素晴らしい。

二曲もある『MK1,2』はよくわかりませんが、でも所々にほかの曲の断片が混じっていて雰囲気は良い。

『Down Is The New Up』、これが『In Rainbows』の曲群の中で最も『Paranoid Android』や『Pyramid Song』、『There There』なんかに近いポジションの曲ではないかと思われ。つまり、方法論上で攻撃的な大作シングルって感じの曲。何でこれを彼らがCD1に入れなかったかといえば、それはこの曲自体が不穏すぎるからだと思う。『In Rainbows』CD1はどちらかといえば穏やかな雰囲気のアルバムで、激し目の『Bodysnatchers』も、不穏というよりは破滅的な疾走感が先行している感じで、これまでの作品と比べてすっきりしている。『Down Is~』は少なくともそういうすっきりした曲じゃない。

でもシングル一枚切るなら私ならこれ切っちゃうかもな。『Jigsaw Falling Into Place』がシングルっていうのはちょっと意外だった。アルバムの全貌が明かされる前は『Down Is~』か『Weird Fishes/Arpeggi』か『Bodysnatchers』あたりをシングルにするだろうと予想してた。ちなみにシングル『Jigsaw~』のカップリングに『Down Is~』のライブテイクが収録されているそう。どっちかといえば『Jigsaw~』のギター全開のライブテイクの方が聴きたいなああと『Videotape』もライブ版の方が一曲としては好きだなあ(でもアルバム全体で見たらアルバムテイクも悪くないなあ)。

で、『Bangers + Mash』が今回一番のアホ曲、愛すべきアホ曲。CD1でも散々壊れ気味だったトムのボーカルがおバカで痛快なほど冴えわたる怪曲。ギターもドラムもやたら重めで(ライブでは突如トムがドラムを叩き出すわろす)、いい意味でらしくないジャンク感があふれたいい曲。これもまあCD1の雰囲気にはまったく馴染みそうにないかも。

あとの四曲は純粋にCD1のアウトテイクって感じの雰囲気かも。クオリティはなかなか。どれもデジタル色はかなり薄まり、まったりしっとりしたピアノやらギターやらの音がやさしいです。壮大なイントロが収束していく『4 Minute Warning』が好きです。

これだけの良い曲実質六曲が今のところBoxセット購入者のみというのは正直妬ましいほど。六曲中二曲が『Jigsaw~』のシングルにライブテイクで収録されているらしいので、一般販売の方ではそうやって補完していくつもりかなあ。

さよなら絶望先生/ 久米田康司

2007年12月25日 11:12

さよなら絶望先生 第11集 (11) (少年マガジンコミックス)

さよなら絶望先生 第11集 (11) (少年マガジンコミックス)

危うく買い逃すところだった。しかしまあ相変わらず。読んでて自分でも楽しいのかどうかよく分らん感じっていうのが不思議です。でも買ってしまうし、それは惰性じゃないって言いきれる。まあ巻末とかのおまけが面白いしね。この巻は、というか数巻くらい前から(アニメ化前後位から)作中の女子描写があざとくなっていった(まあ元のコンセプトの時点で相当のもんだけど)感じで、この巻もまたそんな雰囲気を醸し出してます。しかし十巻における加賀愛のあれ以上のものはなかなか出てくるまい。あれにはいろんな意味で感心した。ある意味キャラ付けとして非常に正しい。

人間昆虫記/ 手塚治虫

2007年12月16日 11:20

あと、三つ首の陽気な犬野郎の一番サブカルな人に勧められた漫画を読み終えた。

人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)

人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)

また手塚治虫。現在手塚治虫強化月間実施中で、いろいろと勉強せねばなるまい私的に。正直なところ手塚治虫で卒論が書けるのなら幾らでも読みつくすのに。

この話もやはり「大人向け手塚治虫」的な作品で、社会的な部分や狂気的な部分が散見される。この作品の特徴は、主人公が誰なのかよくわからない点である。やっぱりあの女なのかなあ。この女、十村十枝子は模倣に長けていて、人の長けている部分をなんでも見よう見まねで吸収してしまう。役者としての才能からデザイナー、作家、そして会社の重役としての能力まで盗んでしまう。そういった盗んだ能力で外面を固めた彼女はいくつもの社会的名誉を獲得するがしかし内面は…というのが大体のあらすじか。

彼女のその性質上、大体彼女に近づくキャラはいい目に合わないので、その辺が見どころ。彼女がまたなかなかにひどい女で、ありとあらゆる手段を使って脅迫から人殺しまでやってしまう。その素晴らしいアンチヒーローぶりを見せる彼女も常にある苦悩を抱えているが、その部分がやれ現代社会においてはどうだとかああだとか、人間における外壁と内側がどうのとかいってファンの間では議論されたりするらしい。漫画から社会問題の話につながるのが手塚漫画らしさを出している。

登場人物が嫌な奴ばっかりなのも見逃せない。読んでいるとだんだん腹が立ってくる。何せ中心の彼女が相当に嫌なキャラだから、それを取り巻く環境も大いにブラックなものだった。とりあえずこういう漫画にハッピーエンドはまずあり得ないわけで、この漫画もそれに漏れず何とも言い難い終わり方をする。

『奇子』ほどグロテスクではないが、しかし別の方向で後味の悪い作品。後味の悪い作品は好きだ。彼女は結局いつも一人で、その徹底ぶりはかっこよくもある。正義の概念はへし折られゴミ箱に捨てられる。そして悪い奴はその醜い中身を、時にはちらつかせ時には全開にする。そういった描写をどうとらえるか。手塚治虫は本当に邪悪な漫画家だなあと思う。それでいて、いやむしろだからこそ、ものすごく純粋なものも描けるのかもしれない。




やっぱり思うのは、奇麗なものを作れる人は汚い部分を持っているし、逆もまた然りということだ。いい作品を作りたかったら、やっぱり汚れる必要があるのだろう。不健康万歳!泥でも塗りたくってやる。

解散っ・・・!

2007年12月10日 11:22

きっと日本で何百人もの人がこれ書いてると思うと盛り上がらんな気持ちが。でも書かないとなあ。

http://www.keycrew.jp/syrup16g/news.htm

まあずっとアクション無しで続くよりも、しっかりアルバム作って最後にライブやって解散するなら中々良いと思います。沈黙期間中に沢山曲がたまっているらしいのでそっちも純粋に愉しみだし、そして出来たら観に行きたいもんですね武道館。東京か、遠い・・・。西の果てに住んでいる。誰か誘って行きたいが、お金がね。どうしたものか。何気にライブ観たことないしなあ。音源は結構聴き返した気がするけど。やっぱりクーデターが一番好きかなあと思いながらもHELL-SEEを聴いてる今私。

まあ正直『Delayedead』の後に解散しても何も不思議じゃなかったし、今更感があるのも確か。ただまあ、この空白の時間(ライブはしてたけど)の長さが五十嵐の悩みの期間なのかもなあと思えばちょっとは気持ちは優れますか。

この人たちの場合、CDは一曲一曲が濃すぎて中々聴き通せなかったりするんです。色々よく聴くと凝ってるよなあという発見がそれなりにある。『Mouth to Mouth』の70分ていうのは長すぎた。40分台の彼らのアルバムが聴いてみたかったです。単なる趣味だけど。

「私には何にもないから」

そう言って笑った そう言って笑った

                      吐く血

きっと今頃日本中の吐く血な人々が悲しんでいることでしょう。仕事休んだり学校休んだりね。それ自体はどうでもいいし、どうかと思うけど、それだけの影響力を持ったバンドだったんだなあと思うと、素晴らしかったんだろうなあと考え直してしまう。美しく最期を迎えられるバンドは幸せだ。あれだけファンが悲しんでくれるんだから、バンドとして見れば幸せなはずだ(五十嵐個人がどうかは知らん)。

HELL SEE

HELL SEE


話が全然違うところに行くんですけど、前に買った家用の小さいアンプ、ずっと忙しいとか何とかいう言い訳で使ってなかったんですが、ここ数日ギターを、エフェクターを繋いで鳴らしてみました。んーん素晴らしいなDL4は。こんなに可能性があるとは知りませんでした。家の中だというのにビッグマフもフル稼働で、それなりの轟音を出して楽しみました。今日なんか学校休んじゃったし。いいのかなあこれで。いいや友達には「シロップ解散して悲しかったから・・・。」って言おう。


あ、友達が(そんなに)居ない。



最近結構本当に学校がきついせいか、色々面白いアイディアが浮かびます。幾らかは実現できたらいいな。



あと今日、髭のライブがあったらしい。忘れてたし行く余裕もない。畜生!

車輪の下/ ヘッセ 奇子/ 手塚治虫など

2007年12月08日 11:23

漫画、小説の類を現実逃避に使うことは多いでしょう。その逃避先の世界観はどんなもの?「そっちの世界くらい幸せでいたいよ」って思うこともあるだろうし、「俺は元プロの殺し屋で、今は命を狙われて、愛する女性(ひと)と一緒に…」なんて中二病だったりするかもだし、「おっす、オラなんだかワクワクすっぞ!」な感じかもしれない。



でも、私は漫画小説の中でも胸糞悪いです。破滅大好き。全ては終わっていくんだい!畜生!


今日読み終わった二つがちょうどどっちも夢も希望もない終わり方をしたので、今私はそんな感じの気持ちです。切なかったり、気持ち悪かったり、吐き気がしたり。漫画で吐き気が起こることはあるのです。それもグロ描写とかそういうのではなくて。


車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)

  • 作者: ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1951/11
  • メディア: 文庫

まずはこの、普通に小学校の学級文庫とかにも置いてあるような名作中の名作をまだ読んでいなかった自分を責める。死んじまえよー死んじまえよー酔っ払って冷たい初冬の河に落っこちて死んじまえよー。あ、これちなみにネタバレです。つまりはそういうことです。というかこんなもん小学生に読ませるなよ。大体ホメロスとか小学生が知ってるもんかいいおっさんの私ですら知らないのに。

あらすじは、純粋な心を持ったガリ勉君ハンス・ギーペンラードの心の移り変わりと落ちていく様を描いた青春小説。彼、少年的な心や想像力を取り返していけばいくほど、心はどこまでも落ちていくので悲惨です。修道院で彼がヘルマン・ハイルナーにどんどん調教感化されて恋に落ちていく様が大変面白かったですがこれ、自分の勉強に不満を持つ大学生が読んだら感化されるかも。最悪退学まで引きずり込まれるかもしれません。あとロットン女子の皆さんは読んでるジャンプを置いてこっちを読もう。正直「車輪の下」本はちょっと読んでみたくもあるよ私は。やはりこの辺りのプレッシャーと逃げ道探しにのた打ち回る修道院での話が一番面白かった。

あとは色々あって心が空っぽになって故郷に帰ってきたハンスが、知り合いの親族の女の子に心底惚れて、相当に童貞なところなんかも面白かったです。いや本当はもっと深い意味があるんですが。それで勝手に心満たされて、過去の少年時代にグッバイして、しかも最後にはその女の子に自分は遊ばれていたのだと気付いてまた心がすっからかんになるし。ハンス君は物凄く純粋ですちょっと滑稽なほど、そしてちょっと憧れてしまうほど。

ともかくハンスの精神的な脆弱さ、それは彼が色々と許すことが出来ないくらい濁れない心を持ってしまったが故なんだけど、そこが最大の見所でしょうか。そりゃあ木下も同名の曲を作るわな(しかし歌詞の内容はそんなにこれと関係ないな)。『ライ麦』のホールデン君は強がりなイノセンス君だったけど、こっちのハンス君はひたすら貧弱で、拠り所を失ってしまってからはどんどん読むのが辛くなっていく。拠り所が、勉強→友情→愛と移って、そして最後には彼は何を拠り所としていたんだろう。修道院を追い出された後と、例の少女がどっか行ってからの彼は本当に空っぽに見える。

あと、この本の主題は教育に関する問題提起、詰め込み教育についてのどうのこうのって言うのを聞くけど、私はその側面については別にそう思わない。むしろそういうプレッシャーまみれの神経質な場所だからこそハンスの繊細さ虚弱さが生えるのだと思うし、あまりそういう政治的イデオロギーでもってこの作品を解釈したくない。私が重点をおきたいのはあくまでも登場人物の心の動きだから。

大学生がこれを読むときには作中の修道院と自分の大学を重ねてはいけません。本当に辞めたくなっちゃう。

あと、やたら情景描写が詳しくそして詩的で、植物の名前が沢山出てくるし、色彩描写も多彩だ。それが時には話の流れを分からなくするのは私の読解力の足りないせい。こんなのやっぱり小学生には中々無理だよ…。


奇子 (上) (角川文庫)

奇子 (上) (角川文庫)

  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1996/06
  • メディア: 文庫

そして最高に胸糞悪くなる作品がこれ。何だよこれ。結局みんな自分勝手で、それに弄ばされて狂ってしまう少女を見るのはとてもやるせない。少女が暗い蔵の中で閉じ込められたまま成長し、子供みたいな心のまま自分の兄(いや叔父か)と体を汚しあうところなど、背徳感と嫌悪感とでどうしようもなくなる。

田舎の有力者一家の権力と、ドロドロとした因習、その隙間で繁殖するただひたすら自分だけのための欲望。あるものは自分の性欲を垂れ流すし、ある人は財産ほしさにそれに加担し、結局最後までみっともなく這いずり回る。閉鎖的で陰鬱で理不尽な田舎の世界がどこまでも話を暗くする。そもそも私は田舎には人間の数が少ない、人工物が少ないというだけで寂しさと恐怖を感じてしまう人間なので、それにこの話の黒い成分が入ってくると、「ああもう絶対田舎なんか行きたくねえ!」って気持ちが膨れ上がる。胸からこみ上げる吐き気と共に。

どうでもいいけど、これにしても『アドルフに告ぐ』にしても、最後の方の話の展開がやたら速くしかも強引になる。打ち切りか何かだろうか。特に『アドルフ』の方は書ききれなかった設定も多いらしく残念。この『奇子』(「あやこ」と読みます)にしても、最後の最後、本当に陰鬱で閉鎖的な環境における話がやたら高速ですすんでいくのは少しばかり残念か。いやでもあんな描写をじっくりじっくり書いている方が気が狂いそうになる。それに本当に切迫した前半の状況こそがこの作品の一番生々しくグロテスクで見所な訳で、みんなどこか常識がない、ここで言う常識っていうのは多分に都市的なもので、要するに近代性を伴ったものなんだけど、この日本のとある田舎にはそれが殆どなかった、そういう状況そのものが恐怖だった。つまり私たちの考えるルールの外にある世界が、私たちから見ると大変グロテスクに見える。後半の話は舞台が都会になって、人間のルールが私たちに近くなると恐怖が薄らぐのは自明のことだ。そして最後に田舎に帰ってきてまた恐怖が降りかかる。最後田舎に帰ってくる展開になるとぐっと気持ちが不安になり、最後のどん詰まりの場所に到着し閉所恐怖症の人はとても読めたもんじゃない結末に達すると読んでて息が止まりそうになる。そして訪れる全滅の結末が何とも恐ろしく理不尽で、小学生の時このオチを知ってしまった私は手塚治虫が怖くなって読むのを辞めてしまった。いや、順番的に言えばむしろ、私の先述の田舎に対して感じる不安や恐怖はこの漫画によって植えつけられたのかもしれない。そういうトラウマを、十年後くらいの今やっと克服できたのかもしれない。できてない気もするけど。

ストーリー自体は数ある手塚作品の中でも優れた、また良く纏まった部類に入るらしいし、表現力(主に負の部分の)も申し分ない傑作だけど、読むのは本当にしんどい。そして、こういう話がもしかしたら現実でもあるんだろうなと考えたらもう全てが怖くなって、何も信じられそうに無い状態に追い込まれそうになる。何で手塚治虫がここまで陰鬱で病的で救いも全くなく、そしてはっきりしたメッセージ性が希薄な、ただひたすらに陰鬱な作品を書いたのかが少しばかり気になる。そう簡単には答えは出してやんないよっていう手塚の意地悪心かどうかは知らないが、少なくとも手塚治虫が、あの良く出てくる愛嬌のある、ベレー帽をかぶった可愛らしいおっさんというイメージの人にとってはこの作品はトラウマメーカーになると同時に、認識を改める必要性を求めて迫ってくると思う。

こんなものを小学生の時に読ませてくれた母に感謝するような、それともちょっと恨みたくなるような、今そんな気持ちです。いや、やっぱり小五でこれはきつい…。

DRAGON/ 電気グルーヴ

2007年12月06日 11:24

なんか「お前全然聴いてないな」って感じで怒られたので、その聴いてないジャンルをどうにかせんとするために、とりあえずテクノに走りました。私は歌モノが好きなんですよなんだかんだ言っても。だからテクノの本当のよさが分かる日がいつ来るのかと、部屋でぐったりしながら音楽を垂れ流して待っています。

DRAGON

DRAGON

とりあえずそんなポーザーでも、「あ、これはいい」と思えそうなCD。ポンキッキー世代には二曲目が直撃します。あのワクワクする感じが実はこんな奴らから作られていたなんて!っていうか本当に凄い番組でしたねあれは。電気グルーブスチャダラパーオザケン斉藤和義アムロビートルズ…。私の想像力とか何とかをはぐくんでくれた、物凄く大事な番組だったような気がします。いやよく覚えてないけど。『機関車トーマス』って言葉だけでうわあああああ~っってなる。

他の曲も相当本気な、真面目な電気グルーブ。民族チックな要素も取り入れ、終いには民族自体まででっち上げる始末なのはそれでも流石!って感じですが。

まあどうせその素晴らしいトラック群も、最後の『虹』一曲のために存在してるようなもんなんですけどね。これは凄いや。想像力の飛翔と高揚が止まらない。静かに始まって、盛り上がりと言うには神々しい浮遊の後に次第に一音一音剥がれていく寂しさと余韻の入り混じった終りまで、ずっと絶対的な美しさ。何でこれを今まで聴いていなかったのやら。怒られても仕方が無い。

しかしなんていうか、電気グルーブは「テクノ」ていう言葉のカッコいい部分もダサい部分も兼ね備えた、いいユニットですね。時代をもろに受けた感じのリズムの音とかがちょっと切なくもあります。いやでも、とりすましたエレクトロにかとかよりもよっぽどこっちの方が私は好きです。楽しさの中の切なさ。悪ふざけと空虚さとセンチメンタル。とりあえずこれと『A』を沢山聴きます。しばしば他のも聴きます。『VOXXX』は音だけなら結構カッコいいのに…。まあこういう作品なんだよってことは理解してるし好きなんですけどね。『エジソン電』の七分間はあまりに堕落的すぎる…。

gobbledygook/ 川本真琴

2007年12月01日 11:25

天神の蔦屋の半額セールの季節がまた。貪る。消化不良は恐れない。見えない。


今回一番びっくりしたのはこれがあったこと。前にこのブログで紹介しました。

gobbledygook

gobbledygook

川本真琴名義では彼女はアルバムを二枚出していて(二枚の間ほぼ四年あるというから驚き)、その二枚のうちで有名じゃないやつ。何故有名じゃないかって、アルバム通して聴けば、このカオス具合は到底大衆向けなモノではない。元々この人は女の子のキュートで不思議ちゃんな部分が暴走してるみたいなところが個性だけど、ここではそのキュートさ不思議さがある種おぞましいほど膨れ上がっている感じ。前にここでのっけた『ピカピカ』のPV見れば、どう考えてもこの女頭おかしいって思えてしまう(ある種褒め言葉です)けど、そしてアルバムはそんな彼女が支離滅裂なほどに色んな要素を「自分色」で展開させる、どっちかって言えばaikoよりも椎名林檎的なアルバム。椎名林檎は狙ってどきつい世界観を展開してるのに対して、こっちは恐らくこれが素なんだろうと思えてしまう分タチが悪い。変な効果音、打ち込みだったりドローンとしてたりなリズム。ロリ声の中に思い詰めたかのような狂気やメルヘンとメンヘルの隙間みたいなものを忍ばせた歌そして一般常識の外で展開される歌詞。どこから「あと何歩って数える」なんて歌詞が出てくるんだろう。時々しらふっぽくまともな歌詞が入るから余計処理に困る。ともかく、この一枚を聴くだけで、彼女が怪物だったことが分かります。正直一枚のアルバムとしては無茶苦茶過ぎる気もしますが、いやしかしこのエネルギーは物凄い。ジュディマリが最後の三枚でやっていったものを、一人でもっと変な方向にブーストして一気に放った感じ。本当に消化不良を起こしそうな世界観の中で、本当に時々、凄く純な表現がキラキラとしているのが素晴らしい。

fragile 今この場所から

真っ直ぐ歩くことに僕は とまどっている

fragile 今風に吹かれ

広いトラックで僕は よろめいている

                   FRAGILEより引用

後の彼女のキャリアを示唆するかのような内容にドキッとする。何よりもこの歌詞における「僕」の少年性に胸を打たれる。



他に借りたCDは全然消化できていません。でも明日も沢山借りる予定。私は何がしたいんだろう。


最近結構本格的にまた、「迷走」の季節に入ったのかもしんない。望むところだ。




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