さよなら七月きやがれ八月
前半:日記、後半:雑記
前半
昨日の夜から。スイーツの廃棄が沢山あったのでもらって、それを友達にあげに行った夜2時半。行くまでに道に迷った。迷うべくして迷った。竹下駅の位置を何となく把握した。その友達は芸工生なんだけど、芸工生は随分忙しいみたいで、ちょっとタイミングが悪くて申し訳なかった。テストが上手く行くよう祈りながら3時半くらいにその友達の家を出る。
何となく家に帰りたくない気分だったのでぶらぶらして夜明け頃に六本松にでも行くことにした。昔何かのライブの帰り真夜中に迷ったことのある野間大池辺りの道を行く。何故か地図も持ってたので今度は迷わなかった。そのまま地図を見ながら福大に行って、日が明けてきたので六本松へ向かった。サークル棟に着くと、何故かそこには知り合いがベンチに座っていて、お互いに何してるのか聞いた後、お互いにバカだなあと思いあった。六時半くらいにサークル棟が開いたので中に入って文芸部室で寝るが、日差しの関係で暑くて寝れずに急遽軽音の部室へ移動して寝る。床はゴツゴツして寝るのに適さない。
起きたら多分十時くらいで、起きた後、図書館に行って、何故かまた寝た。今度はソファだから気持ちが良かった。少しだけ難しい本を読んだ。また寝た。多分十二時くらいに学校を出た。
楽器屋に行って試奏。ロシアンマフとスモールクローンのカート使用。でもギターはジャズマスターだから微妙に違うけど別にいいや。よろしかったから多分今度買う。店員がやたら話すが、内容が悪くなかったので少し意気投合していたかもしれない。最近他人とそういう話してなかったから新鮮だった。そういう話をすればよかった。
家に帰ってメシ食って、異様な量のスイーツを食べて、バイトへ行ったら今日はシフトが入っていなかった。ショックで廃棄を貰って帰って食べてダラダラしてマフでググったりしてから今の状況。日記お終い。
後半
最近夜中に散歩するのが好き。昼間はそれこそ死んだ目をしてる。昼夜逆転現象。眠気は朝と昼。夜は騒がしくないから好きだ。外で音楽聴いてて、その聴こえてくる音が透き通って聴こえる。たまに入る車の音も、昼間に比べて量も少ないし全然いやらしくない。むしろ音楽に合う感じ。都会の喧騒は夜には花になる気がする。ちょっとクールぶった気持ちになる。もしかしたらそのクールぶった気持ちのために夜中に飛び出すのかもしれない。なんだかねえ。
一度友達に貸してもらって弾いた時のアメリカンマフはモコモコブリブリした低音とそれに比べて印象の薄い高音で、正直使いづらそうに思った。今日弾いたロシアンマフは低音ガリガリバリバリ、高音もそれなりに歪んで、結構好きな感じだった。こっちなら単体で使えると思った。値段も安いし、多分ロシアを買う。しかしアダプターが使えないのは弱点だなあ。
一時間以上マフでググって遊んでたから、少しその辺の知識を吸収した。ラムズヘッドはヤフオクで探しても無かった。NY生まれっていうキャッチフレーズはずるい。私みたいな浅はか野郎が沢山釣れてしまう。でも買うならロシア。ちなみに緑色も見つからなかった。緑色は凄くソ連っぽい。
今朝寝るまでThe Fratellis聴いてたけど、なんか飽きてきた。でも似たようなバンドのthe viewは飽きない。時には未熟なものの方がより輝いて見えるもんだなと日頃よく思う。もちろん一定の上手さは必要だし、上手なものを貶すわけでもないが。リバティーンズとか初期スーパーカーとか髭とかみたいな、シンプルにメロディとギターのフレーズとコード進行とちょっとしたコーラスで楽しませる曲が好きだ。かと思えば初期モーサムみたいなガリガリしたのも好きな時があるし、テクノテクノしたのも好きな時がある。要するにその時の気持ちで聴きたい音楽が変わる、こんなのが我ながらいいなって思う。この「気分にあわせて聴く聴き方」にiPodは見事にフィットしてるから困る。要らん曲は消そう、と思っても、意外と忘れた頃にまた聴いて良く思えたりするから困る。でもiPod自体のトラブルはもっと困る。アメリカ人的適当さは凄いぬるま湯に浸かってる私日本人にはなかなか合わない。
さっき聴いたCDレビューのコーナー:ベルセバの一番新しいやつ
- アーティスト: Belle & Sebastian
- 出版社/メーカー: Rough Trade
- 発売日: 2006/02/06
- メディア: CD
私はベルセバは二枚しか聴いてない(もう一枚は『私の中の悪魔』だったっけタイトル?)けど、何となくベルセバのイメージっていったら、やっぱり綺麗で優しい、透き通るような、汚しちゃいけないような、触ったら壊れそうなメロディとアレンジって感じだと思います。実際『私の中の悪魔』はそんな感じだったし。もちろん最新作でもそういう曲も入ってはいますが、そればっかりと言うわけではないようです。いい意味で大人の余裕といいますか、もっとバンドとして楽しそうな感じというか、いい意味で雑な感じ、田舎の村の酒場でよく知らないバンドが楽しい演奏をして飲んだくれどもを盛り上げるみたいな、そんな曲も結構入っています。ちょっと調べたらそういう曲はこの前の作品(緑色のやつかな)から入っているらしいです。こういう曲が、もしかしたら『綺麗なベルセバが大好き』な夢見る少女なんかには許せなかったりするのでしょうか。私はそんなことどうでも良くて、このアルバム全体のかもし出すやっぱり田舎村っぽい雰囲気はなかなかに好きです。昔のベルセバが追及したのが深くて透き通った空気の森の中みたいな世界だとしたら、このアルバムはそういう森にも接しているとある田舎村といった風情があると思います。やはり、絵が浮かぶアルバムはいいですね。『雰囲気w』とか言ってバカにしたり嘲笑したりする向きもあるかもしれませんが、私は決してそういうことをする気にはなりません。雰囲気は音楽においてとても大事な一要素であると確信してます。翻って私は、その雰囲気とやらを再現できる、他人の頭の中に一つの絵を浮かばせることが出来るだけの人間になりたいなあと思います。なぜかCDレビューから将来の抱負へ移るというトホホな締めで終わります。
あ、そういえば七尾旅人氏が長年の作業の末に出来上がったアルバムは9月11日発売、三枚組らしいです。私はまだパンクアダージョも聴いてないのに。
あおむけで眠りたい
選挙に行ってきたが、住民票を今住んでいるところに移していないので、地元へ帰って投票した。バスのなかでこの前難しい難しい言ってた本を読むが、やっぱり難しくてさっぱり先に進まない。
選挙の結果は民主党の圧勝・自民党の歴史的大敗か。まあ自民党はどう考えても有り得ないタイミングで悉く失態を犯してきたのでこうなっても不思議じゃないが、だからって民主党政権が素晴らしいものになるのかと。あんな事前に『ネクスト○○大臣』とかバカな事をやってる奴等はどうも好きになれない。
今回の選挙はマスコミがあまりに自民党ばかり批判しすぎた側面もあると思う。確かに自民党はそれだけの失態を繰り返したが、気をつけて見てみると民主党だって色々とまずいことをしている。しかし、野党なものだからかどうか分からないが、自民党の失態にはマスコミは猛烈に批判するくせに、民主党が同じような事をしても殆どスルーするのは納得いかない。田中真紀子とかもう本当に反吐が出る。失言率なら圧倒的なのに全くお咎めなし。おかしくない?
そして話を変えます。
今久々にイエモンを聴いている。やっぱいいなあ。これです。
- アーティスト: THE YELLOW MONKEY, 吉井和哉, THE SAINT, JON JACOBS, 朝本浩文, 笹路正徳, 森俊之, DAVID MAURICE
- 出版社/メーカー: ファンハウス
- 発売日: 2000/07/26
- メディア: CD
イエモンの事実上ラストアルバム。00年作品。雑誌などによれば、このアルバムの前のアルバム『PUNCH DRUNKER』のツアーで「燃え尽きた」バンドが新たな方向性を求めてあがきまくっている作品。シングル数曲以外は全体的に重たいが、それは以前のイエモンの持ってた重みとは大分異なってきていて、吉井和也のソロにより近い。そういった曲調や、中々に諦観に溢れた詩や、そして致命的なまでにアルバムとして欠陥があること(シングルからの曲が圧倒的に多く、純粋なアルバム曲が全14曲中4曲)などが、決定的にバンドとしてのイエモンの苦しさを表している。しかし、曲単位の出来は正直言って相当素晴らしいものがあると思う。曲ごとに多くのプロデューサーを使い、しかもそれを更に自分たちでアレンジし直したりと、やはり苦悩も伺えるが、そのしっかり作りこまれた楽曲群はよく出来てるし、新たなバンドの可能性を求めたためか、曲のジャンルのふり幅もイエモンのアルバム中でも最大であろう。イエモン的歌謡ハードロックからパンク調、インダストリアル調、ゴス調、オルタナ調、そして終いにはピアノとストリングスと吉井和也の声だけの曲まである。確かにかつてのイエモン色の薄い曲が多いのだが、その分余計なイメージを抜かれた殺伐とした曲が多い。イエモン的な曲中の「湿気」が薄い曲が多いため、どこかからっとした、空虚な感じがそうしているのではないかと思う。そういう点ではちょっと洋楽っぽいかもしれない。
もしかしたら、アルバム全体の完成度なら『SICKS』はおろか、イエモンのアルバム中でも最低クラスかもしれない。しかし、ここにはそんなことでは語れない圧倒的な存在感、他のイエモンのアルバムでは味わえない緊張感がある。良いアーティストは消滅間際の混乱を上手に作品に昇華する者がいるが、彼らもそのひとつと言っていいだろうと思う。結局この後に彼らがバンドでアルバムを出すことはベスト盤を除けば無いわけだが、それでもバンドの最期に恥じない、立派な作品だと思う。
7月が終わろうとしている。有り得ないはや過ぎる。そんなことを言っているうちに私たちも年をとるんだなあと思うとちょっとだけ辛くなる。でもどうしようもないんだから、受け止めなくちゃいけない。スタンド使いじゃないからこればかりはどうにも出来ない。ただ最善を尽くすべく、死ぬ日がやってくるまで少し賢く生きていかねばなるまい。
朝・海・ことば・名前・地平線・悪意
午前四時の散歩。自転車とiPodでどこまでもいける気がしませんか?実際行き当たりばったりで適当に市内をぐるぐるしました。眼鏡をつけるのを忘れて行ったので、見るもの全てがぼやけて、ちょっと幻想的、でも危ない散歩でした。
地図も知識も無い適当な散歩は想像力と印象の世界で、そこを音楽を聴きながら通るのはまさに知らない風景に音楽で色をつけて自分のものにする過程です。「なんてナルシズムなんだ!!!」まあ黙ってなさい。印象はその時聴いていた音楽に支配されかかり、未知の世界のファーストインプレッションに影響する。
もちろん、こんなことを走りながら考えてるわけでもないく、周りに人がいないようならちょっと歌ってみたりしながら、ひたすらあてどなく、身近な未知の世界への単純な興味とそれなりのナルシズムで夜明け前の道を適当に走っているのでした。無灯火で。
聴いてた音楽。スーパーカー『Answer』。これで家から出て、なんかひたすら都市高速を南へ辿り、適当なところで引き返して、気がつくと大博通りに出ていたので、そのまま海に向かう。ベイサイドプレイスでは犬にやたら吠えられて少しへこむが、夜明けの空が白い海辺で遠くを見ていると、気持ちが透明になる気がしていく。このときくるりの『World's end Supernova』がかかってたらなあと一瞬思った心は、ちょうどこのアルバムのエンディングをしっかりと勤めるスーパーカーの『Last Scene』『Time』によってかき消された。風景と音楽は激しく一致する。まあそうなるようにして海に向かったんですけど。これが偶然ならどれだけ綺麗でしょうか。
その後聴いたの、曽我部恵一『Love City』こっちは少し余計だったかもしれないが、福岡空港の方向に向かったつもりが結局また大博通りに戻ってきてしまい、くり返される何かを感じました。それでもやはり、知らないところで流れる音楽はとても綺麗で退屈しない。自転車をこぐ足も知ってる道に出るまではずっと軽いままだったんです。疲れとは退屈なのかなと思いました。最後に家の前の年高速の高架下で聴く『Windy』の美しさは清清しすぎて眩しかった。
それで家帰って寝て、風呂入ってぐだぐだ、そしてバイトして今。
話が大きく変わります。
ミクシィでは実名登録を少なくとも昔は推奨していました。許可制のSNSというシステムによる、現実をネット上に移したようなコミュニケーションを狙って作られたはずですが、ネットというのはそのような甘い考えを遥かに超えたものであって、結局その実名、そして日記内容における個人情報、これらが流出することで起こる悲劇だったり喜劇だったりなんたり。
ミクシィが株式に上場したその出鼻をくじいた事件に『ケツ毛バーガー事件』があります。http://nextxp.net/archives/2006/10/mixi2_mixi.htmlhttp://hartnet.cocolog-nifty.com/hetaiki/2006/10/post_18cb.html
この辺のサイトが事情に詳しいですが、エロですので注意を。このような事件が起こっており、よってミクシィの歌う『許可制の内輪で安全で快適なネットワーク』神話は崩壊したのでしためでたしめでたし。いや、本当に世の中には想像もしないようなことが山ほど転がっていて、それを全く気にせずに振舞うのは恐ろしく危険であるということがこの事件などで明るみに出たのです。
しかし、危険なのは別にミクシィだけでなく、要は個人情報をどこまで露出するかというところにあります。ネットで実名を曝すなんて、本当に恐ろしい事なのです。それは自分のことはもちろんですが、友人知人肉親に関しても危険性というのはあるのです。ブログなどで子供自慢をするブログは掃いて捨てるほどありますが、その危険性を示唆したお話(実話?)があります。こちら。http://garbage.web.infoseek.co.jp/pcp/honbun/blog/top_flameset_top.html
もちろん、こういったことをあまりに恐れていては日記を書くことなど出来なくなってしまうでしょう。大切なのは、程よい情報の流出を心がけること。知り合いにしか分からない情報などは、第三者が悪意を持ってどうこうしようとしてもなかなかどうしようもないものです。しかし、そこで決定的な情報を出してしまうのは、幾らかの『曝される』可能性を生むことになるのです。例えば、「○○日の○○時、○○にて○○さんとセックスした」なんていう、日記で相手の実名や特定されやすい情報を出してしまうのは非常に恐ろしいことです。付け入る隙があまりに大きすぎて、一度目をつけられたら最悪社会的な地位を失いかねません。『ケツ毛バーガー事件』はそのようなものの象徴な訳です。
http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20070722/p1こちらに詳しく『実名をネット上で曝すことの危険性』について詳しく書かれています。悪意はどこに潜んでいるか分かりません。ましてやネット上、私たちは「どこにでもいける」のですが、悪意も「どこへでもいける」ことを決して忘れてはいけないのです。まあ、普通に人気の無いローカルブログなら大丈夫と思いますが、それでも何がきっかけでそのブログが流行るかは判りません。ある程度安心と思っていても、「こういう事例がある」ことを頭に入れておきたいものです。
ネット上に安全な場所はありません。やろうと思えば誰の個人情報も取り出せる構造すらあるらしいです。みな平等に開け曝されているのです。ですから、そこで自分が何を言い、何をし、何について考えるかというのはある程度考えておいた方がよさそうです。自身がネット上のフリークスにならないように。
ジーンズの似合う街
これを見てくれている、なんだか申し訳なくなってくるほど素晴らしい皆さん、この日記、一年位前に始めてからしばらくは『NEW WEST CITY COPS』という名前のブログだったんですよ。どうでもいいですね。でも解説します。読み飛ばし人はここからがオススメ。ってか読み飛ばした先も大したこと書かないから大丈夫ですよ。忙しい人に優しいブログです。
『NEW WEST』を直訳しましょう。『新しい』『西』、『新しい西』、『西新』ということで、当時住んでた町の名前を付けてたんですね。「じゃあ『CITY』って何だよ!?『西新市』じゃねェじゃねェーかよ!!!」とか「コップって何だよォ!?俺がポリが大嫌いなこと知っていってんのかァァァ!!?」とか言われても困りますから帰ってください心の原風景に。大体このパラグラフの内容自体は本当にどうでもいいんだ。
それで、このブログ名の全体ですが、これはまあアレなんですが、かの有名なThe Strokesの一枚目に入ってる曲に『New York City Cops』 というのがあって、まあそこからもじったわけですね西新だっただけに。これ思いついた時は結構嬉しくなって舞い上がってたんですが、多分一ヶ月くらいで飽きました。ちなみに今のブログの名前は初めっからなんのひねりも無いので、最早飽きるとは別の次元にあります。何せその名前に何の独自性も誇りも期待も無いのですから。まあともかく、別に今日の日記は私の昔のブログの話などどうでもよいのです。
読み飛ばしてきた人は、この辺からは少なくとも今日の私にとってはそんなにどうでも良くない話ですよ。
今日話題にするのはそのThe Strokesの、特に『New York City Cops』が収録されているアルバム『Is This It?』についてと、あとこの福岡・天神の街についてな感じです。無理矢理理論的です。面倒臭いこと言います。
かつて、親の車で天神を走っている時に、そのCDを掛けた訳ですね。すると、なんだか妙にしっくりときたのです。そのCDを流しながら走り抜けていく街の景色は、何も考えずにぼーっと自転車で天神を走る日常の風景の2,3倍はかっこよかったのです。待ちゆく人は時々やけにクールに見え、無機的なビルディングの群れはその一本一本が都会のキャンパスの上に幾重にも重ねられた重厚な風景を思わせるものでした。その時は昼間で、曇り空気味の日だったのですが、その空の色すらまるで街を乱暴に、でもしっかりとデコレートしているようでした。
英語表記が面倒なので以下からはストロークスと書きますが、ストロークスはニューヨークのバンドです。そのナイスでクールないでたちと、無駄を省きすぎて本当に骨しか残っていないような、しかしどこか温かみすら湛えているサウンドによって主にイギリスのインディロックビリーバーどもを魅了したわけです。そんな彼らのファッションは、タイトなジーンズと革ジャンっていう、いわゆるロックンロールな格好なんですね。で、まあ革ジャンはこの際どうでもいいんです。タイトルにも出てこないし。問題なのはジーンズです。私が思うに、彼らのやる音楽は凄くジーンズを連想させる感じがするんです。また、彼らの音楽は何となく乾いた感じと、ポップでクールで少しブルーな感じがなんともニューヨークっぽさを演出しているのです。そしてそして、これは完全な私の持論ですが、世界で一番ジーンズっぽい都市はニューヨークだと思うんですよ(ちなみに二位はロンドン。ただのミーハー!)。『ジーンズなんてどこにでも居るぜ。右見ても左見ても上見ても下見てもジーンズだぜ』とは思いますが、それでも何だろう、ニューヨークで穿くジーンズは何となくニューヨークの雰囲気を多分に吸って、他のジーンズとは違う何かを発している気がしてならないのです。
ここで凄い極論を言いますが、私が思うところのストロークス、特にその一枚目『Is This It?』は、この三つの要素『ニューヨーク』『サウンド』そして『ジーンズ』から成っている、と。二曲目『The Modern Age』を聴きながら浮かんでくるモダンエイジャーの若い男の子たちの格好はジーンズ以外に浮かびますか?『Someday』において女の子の横で語らう主人公の男がジャージを穿いているように思えますか?そこに映る若者たちの下半身には常にジーンズが見えるような気がするのです。私は彼らのこのCDにおける音楽はまさに世界最高級の『ジーンズミュージック』だと思います。ちなみに対抗するところのロンドンのジーンズミュージックとして真っ先に上がるのは当然The Libertinesです。そう、ここまで来て書く結論はこれです。『ロックンロールリバイバルとはつまり、新時代のジーンズミュージックだったのさ!!!』え、ホワイトストライプス?ハイヴス?何それ?……例外はなんにでも存在する!!!
ちょっと突っ込んでこのトンでも理論を解説します。こんなことを言うのは私が田舎モノで偏見持ちだからですが、ジーンズって都会の香りがしませんか?可笑しいですね発祥はアメリカの荒野とかなのに。まあいいです。そして、ジーンズといえばやはり若者的なイメージはいまだ健在だと思うんです。古い?気にすんな。ともかく、そんな若者のジーンズ。そんな若者のイメージって言えば、どちらかといえば根暗でどうしようもない引きこもりとか、または凄く優等生的で大人な人間とかよりは、ある程度適当に街の生活を享受し、楽しさと厳しさを受け入れる若者って感じです。少なくとも、短パン穿いて何にも考えずにオイオイ言い続けるモッシュ厨とか、ズボンをダラダラに下ろして悪ぶってるBな奴らとかよりは、私としてはジーパン野郎どものほうが好感が持てます。
また偏見ですが、セックスピストルズはジーンズですね、ラモーンズはジーンズですね、リバティーンズもジーンズですね。しかし、例えばレディオヘッドからジーンズのイメージを引き出すことが出来ますか?彼らも当然ジーンズを穿くことは多いと思うんですが、どこかイメージがずれる。私が思うに、古い考えかもしれませんが、ジーンズは不良っぽさに似合うんです。ここで言う不良っぽさっていうのは、コンビニの前に座り込んでダラダラだべって楽しいな彼らみたいな下らない不良じゃないです。もっとなんていうか、「だらしの無い大学生」的な不良さ、「お金も無いし、とりあえずバイトはしてるけど、どこかにいいこと転がってないかなあ、そう思って僕は街に出る、友達と会う。」みたいな微妙な不良さなんです。鬱々とした若者とはちょっと違うけど、それでも全然満たされてなくて、満たされたいけどよく分からない不良。その不良さは別の言葉に置き換えられるなら、『モラトリアム』というのが案外しっくり来るのかもしれない、そんな不良さ。ロックンロールリバイバルって言うのは、そういった微妙な不良たちが自分の価値と活躍の場を発見した事件だったのではないかなと妄想するのです。スヌーザー誌のタナソウばりに妄想するのです。
- アーティスト: The Strokes
- 出版社/メーカー: Rough Trade
- 発売日: 2001/10/15
- メディア: CD
- アーティスト: The Libertines
- 出版社/メーカー: Rough Trade/Sanctuary
- 発売日: 2005/01/25
- メディア: CD
翻って日本は福岡、天神の街。街には様々なお洒落な人やオシャレなつもりの人やそうでもない人がいる。イケメンが
ジーンズ穿いてるのは別にどうでもいい。可愛い女の子がジーンズにTシャツって感じの格好をしていると、ああ今夏なんだなと実感する。天神コアとか辺りの横断歩道を、それはそれは多種多様なジーンズが渡っている。果たしてそれは似合っているのか?
大丸とか三越とか岩田屋とかは全然ジーンズな感じしないですね。やはりジーンズには高級感が伴っては駄目ですね。ジーンズ穿いた高級そうなホストがどうも不恰好なのはそのためではないでしょうか。そういう意味ではやはりこじんまりとした店が密集する大名とかは流石にジーンズの香りがプンプンするわけです。親不孝なんてまさにジーンズのジーンズによるジーンズのための街です。精一杯かっこいいつもりの男の子やら、日々何となく生きてるけどライブとか好きな男の子とかが穿くズボンは多分ジーンズなのです。ドラムロゴスでヒーローたちが沢山のジーンズを従えて激しく盛り上がる裏で、デカタンではレイジーでスノッブで少しアナーキーなジーンズどもが薄暗い空間、狭いステージで己を振り回すわけです。福岡の街が歓楽街を親不孝と中州に分けているのは非常によろしい事だと思います。中州は全然ジーンズじゃねえ。意外と箱崎はジーンズ気味ですねやはり学生はジーンズっていう偏見のせい。
それで私は思うわけです。福岡ってどのくらいジーンズなのかと。もう何がなんだか自分でも良くわかんないですね。
どうでもいいけど、私が一番印象に残っている福岡のジーンズな場所はタワレコに行く途中の店です。買い物した事など一度も無いですけどね!全部素通り。私はジーンズそのものにはちっとも興味は無いんだよというところで今日の日記を終わります。今晩飯を食べ終わりましたので、皆さんさようならまた明日もいい日であるといいですね。別に悪夢みたいな日でもいいけど。
笑う人・笑われる人
やばいおやばいおやばいお今日は本当に誰ともしゃべってない。独り言だけ。
夕方四時にぷらっと家を出るつもりが何故か一時間なんかしてたら五時だった。勉強もしてないしあの難しい本も読んでない。今からどっちもするつもり。ああ駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目……。
明日はバイトがあるから誰ともしゃべらないことは無いけど、バイト無くて学校に用事が無い日は本当にどうにもならない。学校に行けばいいのにね。面倒くさいか。やばくないか。やばくない。まだ。
今週のテストは水曜のドイツ語と木曜の比較宗教だけ。あとは社会学のレポートとゼミの宿題か。やはり学生にはある程度の負荷が掛かっているべきなんだということ。虚しく流れてしまった時間、グーグルとかニコニコ動画とかに吸い込まれていった時間を悲しく思う事は簡単だけど、取り返すのは難しい。こんな日記書くよりもそっちをしたほうがよっぽどいい気がしてる。
今日はレジに知らない人がいたから、廃棄を貰い辛くて、店の中に入ることなく帰った。
昨日買ったゆら帝だけど、一回しか聴いてないけど、ちょっと趣味からは外れる感じ。好きになれそうな曲もあるんだけど、ちょっとなあって曲もある。いわゆる『ジミヘン的』な曲は私には退屈に感じられてしまいます。あとスローでサイケな曲も、その怪しい雰囲気に嵌れなかったら中々に眠気発生装置になってくれるなあと。事実一回寝ました。でも『ズックにロック』はカッコいいなあ。最近の私の趣味からは少し外れるけど、でもカッコいいなあ。最近どうも疾走感のあるものがすきみたい。中二か。まあでも「疾走感wwwwwwww」とか言っちゃう高二野郎にもなりたくないのでまあいいや。
Nine Black Alpsの新譜早く出ないかなあ。
最近音楽鑑賞と動画見るのとネット見て廻る以外になんか楽しいことをしてない気がするけどまあいいや。私の人生なんて腐っちまえ、青春なんて腐っちまえ、って感じで青臭い悪態をつくことしかこの場で出来る事はありません。でもこんなこと書いている方がブログの名前には合ってるから結果オーライなのか?
中二って書いて思ったけど、中二病の範囲ってどんなんでしょうね。分かりやすいのは邪気眼設定とかですね。やっぱり飛影、そして冨樫義博は偉大なんだなあと気付く瞬間。それはともかく、まずはこんなん書くと勘違いされそうだけど、バンプとかエルレとかを聴く人が『厨房』のレッテルを貼られて、アートスクールとかシロップ16gとかが中二って言われるけど、この辺の境界は曖昧。あっバンプは中二側かまあいいや。洋楽だったらリンキンとかグリーンデイとかオアシスとかが厨房でレディオヘッドとかニルヴァーナとかが中二って言われる。これらから察するに、明るくて青春の血がたぎって盛り上がる系→厨房、影があって激しい鬱的表現でそして周りに馴染めない→中二って感じが見られる。まあ漫画なんかでもそんな感じか。どうせワンピースは厨房でネウロは中二ですよ。岡崎京子漫画なんてどうせ中二の最たるもんですよ悪いか!全部好きな私は勝ち組。いや何に勝ったのか知らないが。ちなみに漫画は厨房と中二の他にオタクっていうのもあると思う。この三つのバランス。げんしけんは綺麗に完結したけどラブやんは私は最終回がどんな風になるか思いつかない。というかまともに終わらせられるのかなあ。この前買ったラブやんの作者の『課長王子外伝』とかいう漫画はヒドかったからなあもう最高。突然ですがこのブログは音楽と漫画の二方面でオタク的に頑張っていこうと思います。しかしどっちもオタクさが全然足りねえ……。
一口にオタクといいますが、秋葉原でああやってる人々は、自分の中の何かを割いてああしてるわけで、私はあそこまでする勇気はありません。というか、何故あそこまで情熱的にお金が使えるか分かりません。でもまあ私もややCDにお金を沢山捧げがちなので、それほど彼らのことを『理解できねえ〜』とは言えません。いいえ、私は別に彼らを否定したくてこんなことを書いてるわけではなくて、やはり人それぞれにお金を掛けまくるところが違うんだろうなあって話。例えば、服に金を掛けまくる女はある意味服オタとも言えそうなのにそうは言わない。これは、服が流行りに沿った「消費されるもの」としての側面があるからかもしれない。でもそれ言ったらアニメとかも流行で消費されたりするよなあとは思う。思うに、消費されるだけの世界から脱したものこそが、どの世界でも素晴らしいものだと思うこともある(この考えも『消費から離れて考える自分』という点で中二と言える)。だから、服が好きな人でも流行とかじゃなくて純粋に様々なタイプの服を持っててそれぞれを愛することが出来たらその人は立派な服オタだろう。そもそも、本当にカッコいいオタクは自分で自分をオタクとは言わないもんなあ(人からオタクって言われて『ああ、そうかもなあ』とか言うのは十分に許容範囲)。大体、秋葉原でああやってる人たちも、渋谷で流行りにすがって生きてる人たちも、そういうのをスノッブな視点で見る人も、この資本主義の中で生きているということでは一緒の土俵に居るので、後はその枠組みの中で自分の興味がどちらに向かうか、という違いでしかない、こういう考え方はやや破綻気味かもしれません。なんかこのパラグラフで言ってることは統一感が無くて気持ち悪いですねえ。
どうでもいいけどアートスクールはあの『悲しい失った悲しい』の世界観に陶酔する聴き方が一般的なんでしょうけど、私は何となくキノコの中二な感じに妙な感情、シンパシーか何かかなあ、そんなものを感じるので好きです。何でこんなに中二なんだろう。文学作品や映画からの引用に溢れた詞、インディバンドのテクスチャーで武装したサウンド、その両方が恐ろしいまでに『中二的』過ぎて、なんか最近凄く好きな自分に気がつきました。前はアートスクールは中二だし曲はワンパターンだしって言って認められない的な考えを持ちながらも心のどこかで引っかかったんですが、最近そのあまりに中二過ぎる部分がかえって好きなことに気がつきました。憧れとかよりも、ちょっと偉そうに書けば「ああ、お前も好きなのか!」的なシンパシー。最近の私はこれに尽きると思います。なんか良く分からん感じになった、要するに最近しょっちゅう聴いてるわけです。ああもう、好きなことを告白するのがこんなに妙に恥ずかしいバンドって!ある意味物凄く『インディ的』なバンドではないでしょうか。くそう好きだ。
私はいつまでも中二病患者でいたいなと思います。それも程よい加減の中二病患者でいたいなと思います。こんな文章書いてる時点でかなり可哀想な子なんですけど、そんなことどうだっていいんです。そして中二病を見下して悦に浸る野郎どもを逆に笑ってやる。ああ、学校にでも行かないと人としゃべれなくてブログの中で要らないことまで異常にしゃべってしまう。
だめだ 俺はもうだめだ オーイェー! 俺はもうだめだ
ズックにロック/ゆらゆら帝国
放蕩息子は引き篭もって考え中
四時半くらいまで引きこもっていた。たまにこんな本を読んでいた。難しい……。
絶版本らしい。芸工の図書館にあったのを取り寄せてもらったわけだ。研究室の勉強用である。なんか国際関係史とか国際政治学とかの基本を抑えた本らしい。今読んでいるところまでの話はユートピア(理想主義)とリアリズム(現実主義)という二つのイデオロギーの衝突がどうのこうの難しい……。前者は理論的だが実践に弱く、後者は経験があるが理論に欠ける傾向があるらしい。これはどっちが正しいのではなく、その二つのバランスを取っていくことが大事なようだ。まあ政治とかに関わらずなんでもそうですよね。
基本的に眠い日だった。午前中に三階くらい寝直した気がする。どれもまあ一時間弱程度だが。
四時過ぎてから、iPodをどうにかすべく、幸い福岡にはアップルストアがあるのでそこに向かった。ヘッドフォンの片方から音が出なかったわけなんだが、やはりヘッドフォンの端子をさすところがイカれていた(へこんでいるらしい)ようで、修理(というのはアップルでは実際は『交換』を意味する)しないといけないかなあ他のメーカーに乗り換えようかなあとか思っていたら、店員がいいことを教えてくれた。なんかドックコネクタのところにラジオを聴くやつやリモコンをつけると、そこにはヘッドフォンの端子をさすところが付いているので、そこにさせば問題ないとのこと。店員はアップル純正のラジオチューナーをつければいいですと言ったが、もちろんそんな高いもの買うわけなく、アップルストアを出てしばらく歩いてビックカメラで安い(と言っても1400円くらい)リモコン的なものを買ってiPodに付けたらちゃんと音が出ましたチャンチャン。結構真剣に安心した。嬉しくなって自分で作ったピロウズのプレイリストを流しながら帰った。
そのプレイリストがこれだ!多分今年の三月くらいには既にあった気がするこのリスト。興味ない人は読み飛ばしましょう。
1・Ride on shooting star
2分半って潔すぎる!ギターリフがシンプルでかっけえ。超濃い。一曲目は勢いだろうと思ってここに。
2・Skeleton Liar
私のiTunes内のピロウズの曲で一番再生回数が多い。言うなればハイブリッドレインボウの「順当な」焼き直し。私はハイブリッド〜よりもこっちの方が好きだ。山中さわおはアルバム『HAPPY BIVOUAC』の辺りからそれまでの優しい歌い方からオルタナ歌唱に切り替わっていくが、私は後者が好きなのだ。何でこれがカップリングなのか全く理解できないほど名曲。
3・この世の果てまで
前曲での盛り上がりを引き継ぐ名曲。ピロウズの三連譜の曲では間違い無く最強。アウトロのアルペジオが凄い好き。
4・ノンフィクション
ここで盛り上がりをちゃかす、ようでこの曲も意外と熱い。なんか雰囲気が凄くオルタナ的ダラダラっていうか、ちょっとペイヴメントっぽい気がする。謎のブレイクで毎回ニヤニヤする。
5・バビロン 天使の詩
この曲、Aメロでは割とふざけた感じなのにBメロで急にかっこよくなってサビは凄く飛翔する感じでよろしい。大サビ前の盛り上げ方も理想的だと思う。
6・GOOD DREAMS
アルバム『GOOD DREAMS』は次作の『MY FOOT』よりも良くないアルバムって認識な私だが、でも『MY FOOT』に曲の『GOOD DREAMS』に敵う曲は一曲も入ってないと思う。荒野を威風堂々と歩いていくような素晴らしいミドルチューンだと思う。
7・Waiting At The Busstop
ここから脳内B面なので、仕切りなおしと言うか、加速装置的な曲を入れる。まあ見事な2コード曲。短いし各パートに見せ場もあっていい曲だと思う。サビの突き抜ける感じが良い。
8・CARNIVAL
ピロウズで一番好きな曲は、私はとりあえずこれということにしている。荒々しくも陰鬱な歌が段々盛り上がってサビで一気に炸裂するのが素晴らしい。特にそのサビが短く切れ味鋭いのが素晴らしい。そしてアウトロの終わり方。完璧すぎると思う。さわおはこの曲でオルタナを極めた感じがある。私は日本で最もUSオルタナっぽいバンドはナンバガでもくるりでもモーサムでもアートでもなくピロウズだと信じている。『HAPPY BIVOUAC』は本当に日本のオルタナ金字塔。
9・Back seat dog
そのオルタナ金字塔からもう一曲。もろピクシーズの『Here comes your man』な雰囲気(あくまで雰囲気)のユルさが素敵。ユルさとポップさと激しさのバランスこそがオルタナだと私は思うんです。
10・ムーンマーガレット
ピロウズの中でも結構メロディがベタな曲かも知れない。でもベタっていうのは使い方によっては素晴らしい事なんだよねっていう見本みたいな曲。夜の月の下を疾走するみたいな爽やかさが素敵。
11・Thank You, My Twilight
ピロウズがジョンレノンのソロ的な曲を書くとこうなりますっていう感じ。緊張感が凄い。息も詰まりそうな雰囲気が上り詰めて、サビと言うには短すぎるフレーズによってその緊張がじわじわと広がっていくような感触は本当にオルタナ版ウーマンみたいなところがある。
12・その未来は今
最後はぶっ飛ばして終わるのがピロウズのアルバムの基本なのでそれに従う。別にラストダイナソーでも構わんけど、こっちの方がサビが強力な気はする。よく考えたらこっちの方が再生回数は多いや。練習したもんね当然だ。
トータル43分00秒!個人的にはプレイリストのトータル時間も普通のアルバム一枚分くらいの方がズバッと集中して聴けていい気がする。選曲も時間の制限によって楽しさが生まれるし。
なんとピロウズのベスト的プレイリストのクセにハイブリッドレインボウもストレンジカメレオンも入ってないんです。やっぱりその辺は歌い方が違うから違和感がある気がする。そもそも後者はオルタナじゃねえし。「『Little Busters』までのブリットポップな感じが好きなんです」という人ではないのです私は。いやそういうのもそれはそれでいいんですけどね勿論。
「ピロウズなんかどうでもいいぜバーカ」って人はここまで読み飛ばし。いやまあこの日記自体が全部読み飛ばし箇所と言えなくも無いけれど。
あとボーダーライン行ったらゆら帝のアルバムがあったので入手。1800円くらいしやがるので財布がいてえ。
まだ聴いてない。ドキドキする。
そんなこんなで出費が痛かったから晩飯はどこかの廃棄。蕎麦うめえ。
ここまで普通の日記。残念ながらここからも普通の日記。普通の日常はどこまでも続くのです。
痛いニュースのコーナーhttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1006786.html
マジ死ねよ。氏ねじゃなくて死ねこの成金野郎!一番怖いのはこのバカ野郎を見た外国人が「ああ、日本人ってサイテー」って思うことだ。しかもこいつ比例代表かよ!「気がついたら受かってました〜^^」ってのが本当にムカつくパターン。商品は買主を選べないという、思わず無生物に同情したくなるような最低な記事。この○○○○○が!!!
『さよなら絶望先生』の9巻。なんか、もう9巻!?って感じ。ちょっと前に始まったと思ったのにもう二年も経つのか……。時はマジで残酷。因みに登場人物の多くはこの巻から二留目。ああ、永遠の女子高生どもよ!確実に作者は改蔵の時よりもずっと「あざとく」なっている。しばらく前の加害妄想の女の子の話のそっち方向の破壊力は異様。しかもアニメ化までしやがった。作者の舞い上がってる様子は紙ブログでしっかりと分かる。まるでUSインディシーンの覇者がメジャーデビューするときのような期待と不安が(この場合期待が不安を上回る事が多い)昔からの読者の間に渦巻いていること請け合い。しかし普通少女の着物服はなんというかあっさりしてるなあ。色っぽさを殆ど感じないんだから、彼女のダメな普通っぷりキャラが伺える。
今日の日記は凡打だった気がしてならない。どっかで褒められたのでしっかりと書こうと頑張るけど、中々面白いことは書けないものです。やっぱり、人と会う話が無さ過ぎるんだよなあ。というか最近人と会ってなさ過ぎるのがなあ。人としてまずいんじゃなかろうかと心配してますが、どうせ明日になればそんな気持ちもどうでも良くなって、眠い眠いとしか考えられなくなるのです。いや本当に最近の眠気は異常かもしれない。なんか体の疲れもなかなか取れないし、このまま老衰して死ぬのは流石に嫌だなあと思う。運動しなきゃなあ。これ書いてる今は夜で涼しいから、サイクリングにでも行こうかしら。
『イノセンス論』とその他
ボーダーライン六本松店が7月20日付で閉店することに今日気付いた。店に入ると品物が減っていて、ずーっとあったCDが無くなったりしていた。閉店セール二割引である。私は残っているCDの中から二枚抜いて、買っていった。中古レコード屋がなくなるのは寂しいし手痛い。私はここでどんなCDを買ったか思い出そうとしたけど、今ひとつ思い出せなかった。店のBGMはくるりのベスト盤で、ハローグッバイの「この次は何時だろう 帰りたいのに雨が降っている」のところとかがいつも以上に悲しく聞こえた気がした。ブックオフとかとの大きな違いの一つに、店のBGMの違いが挙げられる。だって『ブックオフヘビーユーザーのシミズクニアキですムニャムニャ』とかいってるBGMと、中古レコード屋のそれっぽい感じとでは、コンビニと喫茶店ほどの雰囲気の違いがある。まあ結局、コンビニのほうが喫茶店なんかよりもずっと強いように、中古レコード店もブックオフという圧倒的強者に食われていく運命なのかねえと寂しくなる。まあ時にはブックオフのジャンクな感じも嫌いじゃないけど。
こういう書き方したら嫌らしいけど、やっぱりCDを買うのにも、買う場所による雰囲気を楽しむってのはあると思う。例えば新品のCDを買うとき、タワレコとかHMVとかで買うのと、普通の店で買うのとどっちが雰囲気的にそれっぽいかなんていうまでも無い(あくまで個人的な話です)。同じ中古のCDでも、ブックオフで買った場合と中古レコード屋で買った場合との気持ちの違いってのはあると思う。それが「それっぽい店で買うことで、さも自分が音楽フリークであるかのような気分に浸って優越感」みたいなものと考えるのは考えすぎか。こういう考えすぎは自分の首を絞めるから困る。しかも私は自分の首を絞めるのが大好きだから困る。
『フリーク』っていう言葉はなんかお洒落な響きがある。意味内容的には『マニア』とかもっといえば『オタク』とかの類義語のはずなのに、この中で明らかに『フリーク』だけ優越感的なものを感じる。例えば、かのグレイプバインの名曲『放浪フリーク』も、『放浪オタク』ってかいたら物凄くイメージが変化する。やはり『フリーク』っていうのは爽やかなイメージがあるし、『オタク』っていうのは劣ったというかそんな負のイメージが付きまとう。今の時代人間は皆平等と考えられているが、どうやら言葉は平等ではない(でも言葉が平等だと表現の幅は狭まるよなあ)。だから「オレって○○のフリークなんだよねえ」とか自慢げに言う奴は何となくいけ好かない。「自分○○オタですフヒヒサーセンwww」(これは卑屈すぎるか)の方が数十倍マシだ(○○の中に入るものによるとは思うのだが)。
ここまで普通の日記。ここから私的イノセンス論。
というのは今日買ったCDがART-SCHOOLの一枚目(データでしか持ってなかったのだ)とAJICOのライブ盤で、そのアートのCDについてきたライナーノーツ(紙屑と同意義の場合あり。今回はやや該当)にやたらとイノセンスイノセンス書いてあったからだ。
もちろん、真面目に『イノセンスとは』とか語る気は無いです。知識も常識も経験も足りんのですよ私は。
みなさーん、イノセンス持ってますか〜?という投げやりな文句からこの論文というウンチク的ゴミ屑はスタートする。時々イノセンス=DoTeIとする人がいるけどそうじゃないだろうと思う。多分その論で行ったら私は一生イノセント。「へへへ笑うがいいさ」と続けるのは負け犬の書くことなのでやめておく。そういうことじゃないんだきっと。
センチメンタルって言葉は、よく青春モノなんかで濫用されて汚されてきた言葉だけど、やっぱりそういうものに尾を惹かれる気持ちとか、その度合いとかに私は広義のイノセンスを感じます。なんか社会的にオトナで悪い事をするとする。その時に沸き起こる理由のない後悔の念の半分くらいは、死んだはずのイノセンスがちょっと起き上がって抵抗を試みているわけだろう。そう考えると果たして人は完全にイノセンスをぶっ殺す事ができるのだろうか。少なくとも私は出来そうに無いけどなあ。
ただ、狭義のイノセンスならやっぱり『青春時代の、汚れてオトナになる前の状態』みたいな意味になってしまうのかなあ。この意味のほうがはるかに分かりやすいし使いやすい。こっちの意味ならイノセンスはいつか死んでしまうものとなる。私はどうもそうは思えんのだけどなあ。学生には到底分からんオトナの世界もあるんだろうけど。中州とかをうろうろしてるとそういう世界が見つかるかもしれないけど、怖いから辞めます。まあ別にもうどうなってもいいんだけど。
で、ここまで書いて何が書きたかったのかというと、ただCDの話がしたかっただけだ〜!
私がどうしようもなくイノセンスを感じる名曲リスト〜(あとその解説)
1・Death On The Stairs/The Libertines
これはもう圧倒的に青春してる。だってあのピートとカールがこんなに仲良くそして勢い良く歌い上げて、その曲調はもうワカモノの明日無きライフインロンドン〜って感じで素晴らしく青々しい。『Oh please kill me,or don't kill me』って言うサビのところなんかもうね。私はどうやら透き通って綺麗なものよりもむしろこういったジャンクな青春にイノセンスを感じる気がする。そういう意味でART-SCHOOLはちょっとイノセンスイノセンスうるさすぎる時があるのは確かだなあ。別にいいけどねそういう芸風だし慣れたし。
2・My Girl/Supercar
スーパーカーとかもうまるでイノセンスの象徴みたいなバンドだけど、この曲では一生懸命自分らの青春風景(それは空想っぽいのも含まれてる)を頑張って客観視しようとしてできてない感じ(多分狙ってやってるからいしわたし淳二はタチが悪い)がなんともそれっぽい。今日の日記はそれっぽいをやたら多用するけど気にしない。音のほうもギターがおとなしい音になって「ほらちょっと青春を脱出したところから見てるよ」感が出ていていい。思うに、青春から一生懸命に抜け出そうとするのはたまらなくイノセンスだし、青春をどうせこんなもんさと決め付けてしまったりするのもイノセンスだと思う。本当にイノセンスの乏しい奴はそんなこといちいち考えないだろう。
3・You made me realize/My Bloody Valentine
この前日記に乗っけたばっかり。この曲は入手困難ゆえに名曲になってる部分は大きいと思うけど、イヤやっぱり名曲ですよ。この疾走感。こんなに疾走する彼らの曲は他にはない。彼らはラブレスの時期のライブでも最後にこの曲を十数分に引き伸ばしてやり続けるらしい。元々三分しかないから、途中のノイズだけのところでノイズ流しっぱなしって言うこと。もうノイズっていうのが、特にコントロールすることを投げてるギターノイズってのは本当にイノセンスのカタマリですよ。その辺ナンバガとかも時々ギターをグワ〜ッてしてたけど、それを聴く度にやっぱりナンバガのセンチメンタル加減は田淵ひさ子によるところが大きいんだなあと思う。
4・I Can See For Miles/The Who
ロック界のおバカセンチメンタル番長と言えばなThe Whoなわけですが、歌詞はともかく曲的に一番イノセンスの爆発って感じがするのはこの曲かなあと思います。ひたすらスネアを連打しシンバルを鳴らし続けるキース・ムーンのドラムがこの曲のほぼ全てです。ここまでイノセンスでかっこよくていとおしいドラムがあろうか。サビ前のブレイク中にもう堪らんとばかりに入ってきてサビ全体を覆いつくすドラムの音の洪水。ピートのギターもいい感じにそれを助長するから困る。ここまでバカで美しくてカッコイイコーラス部が書けるなんてピートは天才。今更言う事でもないかあ。それだけに、そういう青春性が濃いだけに『Baba O Riley』のミドル部分がさみしくも堂々と輝く。
5・流星ビバップ/小沢健二
小沢健二の情景描写能力は恐ろしいほどに完全である。そこに描かれるのは一見おちゃらけている様で完全にそのおちゃらけ具合をコントロールした、青春の風景をその外側から書かなければ出来ないはずの光景である。そして彼は時々その『過ぎ去っていく青い風景』を寂しそうな視点で描く。全ては通り過ぎる。そんな切なさと、それでも私たちの生活が続いていくことを優しくも冷たい詩に込めた彼の大名曲。
薫る風を切って公園を通る 汗をかき春の土を踏む
僕たちが居た場所は 遠い遠い光の彼方に
そうしていつか全ては優しさの中へ消えてゆくんだね
流れ星静かに消える場所 僕らは思いを凝らす
目に見える全てが優しさと はるかな君に伝えて
「結局私はこの日記で何がしたかったのだろう」って気分になってきたので、この辺で切り上げます。明日はテストだあ。
日々はあわ
iPodが変な壊れ方をした。なんかヘッドフォンの右側の音が出てこなくなった。どのヘッドフォンでやってもそんな感じになった。このまま使ってると明らかに左耳に負担がかかるので今は使ってない。何だこりゃあ。私のiPodもこれまでか……。どうせサポートセンターに行っても新品との交換を勧められるだけらしいし、なんだかなあ。乗り換えの季節かなあ、東芝あたりに。でも現行のシリーズはなんか動画が中心っぽいのがなあ。ワンセグって何だよ……。旧シリーズのやつが安くなってヤフオクとかに無いかなあ。
という文章を書いてから、モーサムの曲3曲分の時間が経過。ヤフオクを調べたら、昔の型はあっても高い高い。話にならない。現行のワンセグさんを買ったほうがよほどコストパフォーマンスがよろしい。まあ考えておこう。お金が入ったらどうなるやら。やっぱりアフターサービスやらは国産の方が間違い無くいいんですよね。iPodはそういうところもアメリカナイズされてるからなあ。ただ、iTunesは凄く便利なんだよなあ……。ちょっと重いけど。
コンビニで働くと生活の重心がコンビニに偏りがち。今日なんか、コンビニでしか人としゃべってない。ハハハ。まあ沢山廃棄も貰ってるし、明らかに生活経済がコンビに型にシフトしつつある今日この頃。夜十時過ぎの国道三号線沿いを走る車の群れは途切れ途切れになりつつも、信号に引っかかれば列を成す。貝塚方向のバスに乗り込む人々は帰宅の途に着くのだろうかね。箱崎宮の夜の寂しさはまあまあだが、特に三号線を挟んで海側(果たしてここは箱崎宮の一部なのか?)のスノッブさには敵うまい。今は工事中で入れない。
モーサムの『SUPER NICE』、なんか投げやりすぎる感じ。曲なんか、本当に支離滅裂に適当な出来の曲を集めたって感じで、アルバムの芯となる曲も特に無いし、ダラダラと終わっていく。でもこういうのもまあ嫌いじゃないよ。『STOP THE MUSIC』の行き当たりばったりな展開も、『We are Lucky Friends』のはっちゃけてるのかどうなのかよく判らないエンディングも、なんとも脱力気味で嫌いじゃない。あと、『マカロニ』は普通に名曲だと思います。確かにポップだけど、ちゃんとモーサムっぽい吹っ切れ方をした、良い形のモーサム式ポップだと思う。盛り上げ方が上手い。ただ、こんな訳の判らんアルバム作って、次はどうするんかねとは思う。公開録音の新曲ってもう録ったのかな。
- アーティスト: MO’SOME TONEBENDER, 藤田勇, 百々和宏
- 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
- 発売日: 2007/02/21
- メディア: CD
このジャケット、ホント酷いよなあ。見てるとどんどん力が抜けていくハハハハハ。開き直りすぎモーサムの明日はどっちだ。
そしてピロウズの新曲。いつもより早くね新曲?
なんかの雑誌のインタビューによると、今のところ最新作の『Wake up!Wake up! Wake up!』は意図的にオルタナ色を抜いてポップな感じに仕上げたらしくて、だから未収録のオルタナ曲が貯まってるとかさわおが言ってた。で、この新曲を見る限りでは、もしかしたら今年中にもう一枚アルバムを出す気なんじゃなかろうか彼ら。この新曲自体は中々に落ち着いたポップな感じを受ける。『Kim deal』とか『ムーンマーガレット』あたりのポップさに通じるところがある。実際のところはどうなんだろう。しかしPVのクオリティが明らかにAvex行ってから格段に上がってるのにはワロタ。個人的には『カーニバル』や、最近だと『サードアイ』みたいな殺伐とした曲が来たら嬉しいかも。
ようつべってマジ便利
まずはこの動画を見よう。トークは飛ばしてもいいよ。
天然キャラに対するダウンタウンのいじり方はいいときとちょっと良くないときがあるね。これ残念ながら後者。確かに突っ込みどころ満載なんだけど、多分彼らの中じゃあすっごく普通の風景なんだろうなあ。こういうので変なキャラが付いてしまうことを恐れた彼らはいつからかテレビの露出を減らす、または絶つようになった。芸能人的に振舞うのには明らかに向かないキャラではあると思う。
それにしても、素晴らしいと思いませんかこの光景。かつて歌番組で、世間大衆がガッツリと見るようなゴールデンタイムの歌番組で、こんな事やってた。もちろん、曲自体が死ぬほどカッコイイ。今のパソコンにデータ入ってなかったから今日CD借りて入れたわけ。聴くわけ。この曲一曲目なわけ。ハイ死亡。ワンラウンドKO僅か数秒。
日本のハードコアシーンはよく知らない。ハードコアにも色々あると思う。ひたすら気を違えた音を放出し続けたり、ひたすら訳の判らない変拍子を繰り返したりとかから、ハイハイいかにもレイジレイジってのまで様々だと思う。彼らはアンダーグラウンドの住人だ。そこに長所もあり短所もある。
翻って、このエレカシはどうだ?因みにこの動画の数年前に彼らが一発当てたのが『今宵の月のように』であるわけ。この振り幅、さすが長いバンドと簡単に片付けて良いのか迷うが、まあ色々あるのだ彼らも。ともかく、そんなわけでどうにかTVにも出れる立場にいた彼らが突如放ったのがこの動画の曲『ガストロンジャー』なのである。以上説明終わり。
この動画のどこがカッコイイとか言い出したらキリが無い。何度見ても震える。
因みに、この曲が入っているエレファントカシマシのアルバム『Good Morning』は、もちろん名義は当然『エレファントカシマシ』なのだが、実際は全部動画で歌ってたあの男=宮本がほぼ全ての楽器を演奏して作ったらしい、正にエゴによるエゴのためのアルバムなのだ。これで解散しない彼らも凄いが。邦楽ロック界にも岸田繁とか向井秀徳とかベンジーとかチバユウスケとか様々なエゴイストがいるけれど、このエゴさには流石に敵うまい。どこかで誰かが言ってたが『宮本の最も恐ろしいところは、あれだけのエゴを発揮させつつも、一度もバンドが崩壊していない事だ』とのこと。宮本氏は昔はテレビ収録中にメンバーをぶったりするほどのエゴイスト。憧れるいやー恐ろしい。
- アーティスト: エレファントカシマシ, 宮本浩次
- 出版社/メーカー: フェイスレコーズ
- 発売日: 2000/04/26
- メディア: CD
気付かされた日々
普通のマイブラ(『Loveless』)には興味ありません!この中に『You Made Me Realise』や『Feed Me With Your Kiss』のシングル盤を持っている人は私のところに来なさい!以上!
え、どの曲か分からない?仕方ないなあ、これよこれ(曲そのものを聴いたのはつい昨日なのにやたら偉そうな筆者)。
『Feed〜』は『Isn't anything』に収録されているので省略。『You Made〜』のシングルはヤフオクで一万とか行くんだぜ。しかも超名曲。2004年位にこの辺の手に入りにくいシングルとラブレス期のシングルを合わせて、しかも未発表曲まで入れたものを出そうとしたらしいけど頓挫したらしい。うわーんケビンのバカーッ!
最近思うに、確かにどっちがより素晴らしいかと聞かれたらまあラブレスを選びますが、でも学生バンドとかが参考にしやすい(=パクリやすい!!!)のは『Isn't〜』やその周辺のシングルの方ですね。私もさっき『You Made〜』をパクって一曲作りました。わーいエフェクターが圧倒的にたりなーい!
あ、ごめんなさい普通のマイブラ(『Loveless』)にも興味ありまくりでした。ていうかラブレス自体が既に全然普通じゃねえ……。
どうでもいい個人的ニュース。遂にフェンダージャパンヌのジャズマスターを手に入れられそうです。オークションで落とした。43000円。不安超一杯。大丈夫かなあ。そして私はジャパンネットバンクの使い方を知らない……。
それで今日は、オークションでお金を大量に失うのを判っているのに、天神をブラブラして、色々と買い物しました。タワレコに行ったらなんかダブルポイント最終日だったんですよ。これ買いました。
- アーティスト: Dinosaur Jr.
- 出版社/メーカー: Sweet Nothing
- 発売日: 2005/03/22
- メディア: CD
うわわわわ、ダイナソーなめとった!!正直言います、今の気持ちではグリーンマインドよりもずっと格好良いかと思います。ギターもさることながら、曲のクオリティが高いです。ソングライティングも演奏も格好良過ぎ。ダイナソーのアルバムは基本的に金太郎飴ですが、これはかなり良い金太郎飴!っていうか以外とバラエティ豊かな気がしないでもない。ギターが本当に『轟音』になる瞬間が何度もあるのがいいですね。特に九曲目の『Don't』はかなりぶっ飛んでて、なんかハードコアしちゃってます。らしくないような、でも死ぬほど格好良い!!!しかし、この前作ではだるそうなドラムを叩いていたのに、このアルバムではなんかシャキッとしているのは何故だ、何かあったのか?バンド内の緊張感(険悪なムードとも言う)が増したからですかね?オルタナティブミュージックの一つの完成形ではないでしょうか。
あとカポを買って、耳掛けヘッドフォンを買った。カポの値段がさっきのCDと同じっていうのが納得いかない。
と、こんなことで一喜一憂している間にも、新潟地震で被害者たちは苦しんでいるのだなと思うと、果たして自分は喜んでいいのかと思います。でも、『だから喜んじゃいけない』っていう考え方もそんなに好きにはなれません。幸福をあまり関係ない(こんな書き方したら人格否定されそうだ)他人の不幸のために我慢するのは、まあそりゃあ時と場合によりますが、迷惑をかけない範囲でなら我慢しなくてもいいかなあとは思います。幸せを我慢するのは憂鬱を抱えっぱなしなのと同じくらいに苦しい。でもこんなこと言ったら今度は、「その発言自体が被災者への配慮がなってなくて迷惑なんだよ」って言われたりして。まあでも、そういうのを突き詰めたら人々はどこかで災害があったときは一切の楽しみを否定して暮らさないといけなくなって、そうしたらこの資本主義社会はぶっ壊れる事でしょう。何事もバランスだと思うのです。
しかし新潟は本当に大変ですね。季節が一応夏だったことは幸いでしょうか。一刻も早い救助や復興を願います。自民党も民主党も選挙のためか対策をすぐに打ちましたが、確かにそれは偽善かもしれないが、被害者にとってはそれでも救済策は大切なものです。自民党や民主党が選挙の為だけの救済で実際には杜撰とかいうことがないことを祈ります。というか自民はともかく民主は実行部隊どれだけいるんだ?何しに行くんだ?対策本部の人員もえらく細かく決めて、そしてちらほら見られる『ネクスト』の文字。これ、本当にやめた方が良いと思いますけどね。なんというかこういう対策っていうのはバラバラにやるよりも一丸となってやった方が絶対に効果を上げると思うんですが……。
「80年代は何も無かった」って?
世の中には『会う』っていうのをやたら『逢う』って書きたがる人々がいる。『逢いたい』なんて言う訳。『逢う』の方が純愛な感じがするんでしょうか。『逢う』の方が素敵な恋に見えると思ってるんでしょうか。どうでもいいですね。因みに私の好きな『あう』は『遭う』です。もう字全体から面倒くさい困難の香りが感じられて、先行き不透明って感じで好きです。もっとどうでもいいですけど。
使用例:台風によるトラディッショナルな被害に遭う。
最近の私は飲み会に縁がないようだ。バイトでサークルのイベントに参加できなかったばかりか、バイト終わって飲み会には参加できるかなあと思って財布見たら500円しか入ってなかったよ午後十時半。最近物事の整理が本当に上手く行ってないなと思います。凄く反省しないといけないなあ。もう頭が常にコンフュージョンしてます。何で何で何で!?「何でそんなことも出来ないの?」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1003646.html
興味深い論争。ニートの楽園とも言われる2ちゃんでもやはり、ニートについては様々な考え方があるのだ。私は今ワーキングニートな訳だけど、やはり親に負い目は感じているなあ。でも、すぐにまあいっかってなってしまう。良くない、良くないなあ……。でもなあ……。
4回に渡って行われて来た岡崎京子特集も多分今日でいったんお終い。何故かアマゾンだと表紙が出なかったので今日は楽天。こんなレビューやってるからニートって言われるのかなあ。でも岡崎京子の漫画はニートからは程遠いです。
この作品が書かれたのは90年の年末から92年の年末、彼女にしては中々の長期連載で、実際上巻と下巻に分かれている。時期としては『PINK』などを書き過渡期を迎え、そしてこの連載のいくつか後に来る長期連載がリバーズエッジである(間に二作品長編がある。私はそのうち片方しか持っていない)。私がここ最近の岡崎京子関連記事を書く際に参考にしたサイト(http://page.freett.com/tach/okazaki.htmlポップアップがややウザイですが)の方に言わせると『もし仮にだが、岡崎が「リバーズ・エッジ」を書いていなかったとしたら、この作品が最高傑作となっていただろう、と私は思う。それほど好きだ。「リバーズ・エッジ」前における最良の岡崎がここにある。』とのことだが、確かに『PINK』以降の彼女はいよいよ自分の強烈な個性とそれを表現する能力が飛躍的にアップし、そしてその一つの素晴らしく突き抜けた結晶としてこの作品が存在する。
話の大筋は、作者がリアルタイムで青春を送った80年代カルチャー、特に所謂主流に対するサブカルチャー的なものを、作者が以前に書いた『くちびるから散弾銃』という漫画のキャラクターの番外編に託して描きまくったものである。文化的センスに関してはやたらこだわりがあるらしい作者なので、その書き込みや尋常じゃない。『くちびるから〜』でもバブル期のオシャレ文化を総ざらいした作者が、今度は80年代ニューウェーブの頃を書き出したというわけだ。『くちびるから〜』は、三人の女の子が、特に本筋となるストーリーも無く、ずーっとおしゃれとか乙女とか何とかの話をするだけの、一種のバカ漫画(全然悪い意味ではありません。面白いです。キャラが飛んでるからなあ)ですが、『東京ガールズブラボー』はその三人、もしくはその三人に似た三人の女の子が、やっぱりオシャレとか音楽とかクラブとかそういうのの話をしている漫画な訳です。しかし、こっちはそれなりにストーリー性はあります。まあ、前に紹介した三作品よりもずっとずっと『軽い』話であることは間違いありませんが。いやでも、『軽い』って言うのも陳腐なわけではなく、むしろキラキラした青春の疾走が非常に軽やかに暴走している(でもイービルな感じはそんなにしないよ)のを見て楽しむ漫画です。いや、本当に面白いんですよ。
まず主人公。もしかしたら岡崎京子漫画の中で最も狂ってて、最も爽やかな主人公かもしれません。名前は金田サカエ。『くちびるから〜』の三人の一人で、「金のボディとトーフののーみそを持つ少女」です。彼女が高校生の時に彼女の母親が父親と別居する事になり、札幌から母子で実家のある東京に向かうところから話が始まります。オシャレでクールで先進的(そして安易な「流行」に乗っかっていない)なものが大好きな彼女は、正に文化の中心地東京に目を輝かせていた。そこで『くちびるから〜』の三人のうちのほかの二人と出会って、色々幻滅したりもするけど(東京は『流行』の街ですからね)、色んな体験をして、ちょっぴり成長したのかどうか分かりませんが大切な時を過ごすというストーリーです。彼女は非常に自分の欲望に忠実です。それが凄く笑えますが、時々それが素晴らしい風に見えますのは本当に青春のきらめき。『PINK』のあとがきで作者はこう書いてます。
現在の東京では「普通に」幸福に暮らす事の困難さを誰もがかかえています。
でも私は「幸福」を恐れません。だって私は根っからの東京ガール、ですもん。
金田サカエという女の子は、まさにこの「幸福を恐れない」を地で行く女の子です。普通の人なら、ある幸福を追い求める事によってもたらされるリスクとかをしばしば気にしてしまうものです。でも彼女はそんなの全然気にしない。そして妄想全開!カッコいい服やカッコいい音楽や素敵な出来事に出会うと、彼女はいっつも素敵でオシャレな自分のことを想像して盛り上がります。他の二人もそのケはあって、だから三人は凄く仲良しになって、傍からみれば本当に色々と甘酸っぱい思い出を作っていくわけです。以下金田サカエのバカ名言集。
・待ちを歩いたらサカモトキョージュやハジメちゃんに逢えるかも――でもキョージュに逢ったらぬけがけして愛人になっちゃお!
・(クラスの自己紹介で)金田サカエ16才!――しょーらいのユメは外人になることです!
・トーキョーの人ってトーキョーの人なのにYMOの「増殖」みたくテクノでサイバーじゃないのお!!
(本当にほんの少しだけ抜粋)
彼女はともかくバカで、自分の欲望やユメ(ぶっ飛んだユメばっかり)に正直で、非常にパワフルな女の子です。でも、援交とかは全然しません。それどころか彼女は『くちびるから〜』の時期、もう年的には大人なんですけど、その頃でも純潔を保ってるんです。まあ彼女の周りでは色々あってるみたいですが、彼女自身はなんとも健康的ですがすがしくぶっ飛んだバカ、愛すべき大バカ者なんです。きっと多くの人が初めは笑いながらも、そのうち彼女のバカさにちょっとした憧れさえ抱くんではないかと思うほどです。まあ、実際に回りにこういう女の子がいるとどう思うかは分かりませんが。
凄くバカなのに、彼女は時々非常に的を得たようなことを言います。それは時代が変わっても変化しない、若者のテーゼみたいなものです。
・明日の事はわかんないけどさあ、とりあえず今夜はパァーと行こうよう。
・今こうしてる間にも新しいこと面白いことが起こってるのに何も出来ないなんて、すごくじりじりする。
・なんかもっと夢見るようなうつくしくて正しくて別の世界ってないもんかにゃあ。
・それはとてもワクワクしてドキドキして新鮮で胃が痛いくらい、頭痛がするくらいカッコ良くて楽しいことよ。それはすっげえカッコイイ音楽を聞いたときのような感じ、そういうことがやりたいの。でもむつかしいのは……それが具体的にどういうことで、どうしたら自分で出来るかがかいもくわかんないことだわ
そして繰り返されるアホな暴走行為。夜を忘れて遊ぶのはしょっちゅう、親の指輪盗んでその金でホテル泊まって遊びまくったり、怪しいエロ雑誌の対談に出演したり、賞金が欲しくて突如マンガを書き出したり。最後には親が復縁して札幌に帰ることになるんですけど、それがイヤで飛行機を飛び出してみたり。ともかく、非常に活発な彼女たちの様子を見てると、本当に退屈しません。そうだよなあ青春って……。くそうオカザキめなんてものを書くんだ。その素晴らしさに思わずミクシィネームとかを借用させてもらった私はこれを読んでは何度も憧れの気持ちが溢れかえって頭の中がぐるぐるする。そうなんだ、バカで突き抜けることこそが青春の重要なトコロなんだ(それを無意識にやってのける事もかな)!!!
岡崎京子がここまで素晴らしい青春壇を書いているとはと、リバーズエッジその他における冷徹でクールな彼女に対するイメージを私はこの作品で一気に覆されてしまった。そうはいってもまあ、確かにこれ以前の作品よりも視点のクールさは上なんだけど、この作品に関してはそのクールさでは隠し切れない、作者の青春に対する、80年代に対する、若者に対する、幸せに対する思いが爆発している。岡崎京子らしいぶっ飛んだ演出もところどころにあって、でもそれらは爽やかさを阻害するほどではなくて、一気に読み終えると本当にフレッシュで、そしてちょっと切ない気持ちになる。ハードな岡崎作品以外にも触れてみたい人にはもう本当にオススメする、文化的、青春思想的一大スペクタクル!ああ、言い回しが陳腐だ!!!!!!要約します。超面白い、嫁!!!!!
美しい
社会的責任Aを果たすために社会的責任Bを捨てなきゃならないことがある。その際の対応に失敗すると、そのダメージは増える。今日はそんな日でした。研究室の皆さん本当にごめんなさい。
いろんなことが同時並行するのが世の中の常だとは思いますが、私は今所属しているリージョンがサークル二つと研究室とバイトとあと一応文総とあって、今日明日はそれらが色々せめぎ合う感じでした。私の頭はゲームウォッチレベルの処理能力なので、同時進行していく世の中についていくのが大変です。器用な人っていますよね。勉強もスポーツもサークルもバイトも素晴らしくこなして、人付き合いもいいっていう。私が今なりかけているのはそんな人の正反対です。
そんな薄暗い気持ちで、漫画のレビューを続けます。今日は本当に苦しいので、この更新も重苦しいテンションです。そんな気分でこんなマンガをレビューすると、とてもイービルな気持ちになります。
岡崎京子の漫画家としての活動期間は大体96年までである。この年に彼女は散歩中に飲酒運転の車に引かれて生死の狭間の危うい状態を彷徨っていて、今もその傷と戦い続けていると言う有様である。この事故は一部の世界では、所謂漫画界の94年、カートコバーンの死に近いような感じを受ける。もちろん彼女は自殺はしていないし、しかもまだ存命である。しかし、少なくともこの事故によって彼女はその才能の放出を止められ、どうしようもない状態に陥った。こうなってくると本人の意思に関係なく現れてくるのは、『それまでの業績の伝説化』である。私は何となく、彼女は日本漫画界のカートコバーンな気がしている。偽悪的で下劣で過激な表現、その表現技術も乱暴で粗野なものであり、しかしその表現の底に宿るどうしようもない繊細さ、優しさなどの本質に迫るようなもの、そしてやはり、90年代的な社会の、街の、都会人の『行き詰まり』『閉塞』を激情的かつクールに表現したことなど、二人を繋げるファクターには事欠かない。つまりは、彼女の漫画界からのやむを得ない離脱は、漫画界にとって物凄く大きな痛手であったと私は思うのだ。
この作品『ヘルタースケルター』はそんな彼女にとっての『You Know You'r Right』である。いや、もっと大事な、言うなれば「カートがインユーテロ完成前に死んだと仮定して、カートが死んだせいでインユーテロがずーっと発売できなかった」みたいな状態を想定してもらったらいいだろうか。この作品は彼女のキャリアにおいて正に最後期の長編であり、彼女が事故にあう直前の時期まで書き続けていたものである。その事故があったものだから、一応作品としては完結しているのだが、最後に「To Be Continued」と書いてあることといい、話の流れといい、まるでまだ続きがあるのではないか、またはこの続きが読みたい、と人々に思わせるような作用がある。そして、彼女は自分の作品が単行本になる際には常に大量の加筆をする作家であったが、この作品に関しては単行本化の話が進む前に事故が発生し、彼女が動けなくなってしまったため、ずーっと単行本化されず、2003年に遂に単行本になって世に出るまで、長らく幻の名作とされてきた。そのボリューム、クオリティ、テーマからして彼女の創作に於ける明らかな一つの頂点・臨界点であったにも拘らず。
簡単にあらすじを。この作品のストーリーの大筋そのものは、彼女の他の長編作品よりも分かりやすいものである。主人公の「りりこ」はイマをときめく資本主義世界の大スターの女の子である。それはその素晴らしいルックスによるものだが、その彼女の体に大きな秘密がある。整形美人というのは芸能界にもよくある話なのかどうかは知らないが、この主人公の場合、「もとのまんまのもんは骨と目ん玉と爪と髪と耳とアソコぐらい」という具合の整形美女なのである。とある美容クリニックのいかがわしくも恐ろしい研究の成果が彼女であった。元々は太っていて『美』とはかけ離れた存在だった彼女が、体に物凄いメスを入れて美人の体を手に入れたのである。しかしそれは人工物。特に全身ともなれば次第に手術の後遺症や、ちょっとした傷が段々に彼女の体を蝕んでいく。彼女の体は生きたままに崩壊していく運命にあった。
普通の漫画なら、まず整形で手に入れた素晴らしい時代の栄華を描いて、中盤くらいからこの崩壊の苦悩を描いていくものであろう。しかし、この作品は一話目でいきなり彼女が自分の傷に気付き、大変な混乱状態に陥る。そして、一話目のうちに自分の栄光も終りが近い事を悟る。普通の漫画なら、この部分の悲しみと葛藤に多くのページを割くだろうし、主人公が悩み続けるのがセオリーであろう。しかし、ここに正に岡崎京子の素晴らしい個性が見られる。彼女はそれを悟って泣いた後に、不意に笑い出して、そしてこう言うのである。手元に本が無いので微妙に違うとは思うが。
ハアーッハッハの大笑い!誰がお前らの思う通りになるかよ!
そうよ、あたしは絶対に幸せになってみせるわ、さもなければみんな揃って地獄行きよ!
彼女は自分が美貌を失うことで起こりうる色んなことを理解した。世間から自分が見捨てられる事とか。しかし彼女はすぐに泣き止み、自暴自棄を通り越した戦い、ヤケクソの辿り着いた最終地点での戦いを始める。そして彼女は多くの人を巻き込んで、崩壊していく自身をよそに、とにもかくにも酷いことをしまくるのである。そのタフさには本当に参ってしまう。多分岡崎漫画の主人公、基本的にあまり悩まないさっぱりした(冷めたとも言う)主人公ばかりのなかでも特にその傾向が激しい。非常にクールで、さっぱりして、ボロボロなのに力強い(それは初めに完全な絶望があるからで、決して明るいものではないのだが)。同じ作者の『東京ガールズブラボー』の主人公とは、方向性は全く違うが、その思い切り具合やタフさの面では似通った部分がある。
そして誰もが思うだろう、彼女は破滅に向かって暴走しながら突っ走っていくが、その最期は物凄く寂しいものか物凄く悲惨なものであるだろうと。岡崎京子の恐ろしさというか物凄さというかはここで物凄い結末を用意している。これが果たして希望なのか絶望の果てなのかは、まあ読者に委ねられていると言ってもいいかもしれない。
作品全体を通しての冷徹さ、クールさは彼女のキャリアの中でも、更にはこれまで全ての漫画の中でも随一である(オマエ全ての漫画を知ってるのかいってツッコミ待ち。知ってるわけ無いだろう!!!)。彼女が元々持っていた少女漫画的な丸みを帯びた描写は完全に跡形もなく、リアルではないし線もよれているが非常に平面的で鋭角的なキャラクターたちが苦しんだり、嫉妬したり、思索したりする。女性にとって普遍的なテーマである『美しさ』に対する視線も、これまでになく冷たく痛い。しかし作者は別に美しさを追い求める事を馬鹿なことだと斬って捨てるつもりは無いようだ。情景描写や場面転換、コマ割とかページ構成とかといった技法的な面でも作者はここでひとつの大きな高みに到達している。モチーフや暗喩が何度も使われ、場面転換にも最も衝撃的になるようなネームの割き方をしている。この作品が手塚賞を取ったのは、話自体の面白さはもちろんの事、それを伝える技法面でも素晴らしいものであった事が大きく関与していると思う。その分、曖昧で複雑な描写みたいなのはかなり減っていて、その部分が好きな読者にしてみれば少し残念かもしれない(リバーズエッジ的な間の取り方はしていなくて、もっと具体的か象徴的なのだ)。
感情の書き方も、甘い部分は少しも見られない。緊張感を削ぐようなどうでもいい描写はまったくといっていいほど存在せず、そのため多くの感情が存在して複雑に絡み合うにも拘らず、読む際のスピード感はしっかりと保たれている。『破滅』という誰もが想定するゴールが見えていて、それに向かっていくみたいにストーリーが進んでいくので、不要な『意外性』が引っかかって減速することも無い。そして、ゴールに辿り着く直前で、読者の多くはそのゴールが思わぬ方向に向かうのに気付く。これにはもう感心するほか無いと本当に思う。
ヘルタースケルターというのはビートルズの曲名で、ホワイトアルバムの二枚目に入っているポールマッカートニーの作品である。初代ヘヴィロックともいわれるこの曲だが、タイトルの意味はどこかの公園の滑り台なのだそうだ。他にも「狼狽(する)、混乱(した)」という意味があるらしい。岡崎京子はこの作品に本当に素晴らしくフィットするタイトルをつけたものである。正に主人公は狼狽しながら一直線滑り落ちていくのである。そして普通にフェードアウトで終わるかと思ったら……「I've got blisters on my fingers!!」にあたる素晴らしいオチが待っている。
この作品、間違いなく岡崎作品の中でも最重量級の作品である。読むには体力がいるかもしれないし、読み進めるのが辛い人も存在あするかも知れない。この作品の有する空気は重くて冷たくて濃い。しかし、それでもそれは人の興味を掴んで離さないだけのキャッチーさは持ち合わせているし、決して読者を突き放していい気になっている漫画などではない。様々な現代的な社会問題も登場するし、それに対する作者の気持ちも所々で顔を覗かせる。確かに『リバーズエッジ』とかみたいな叙情性や『東京ガールズブラボー』的な感傷性は失われているが、それを補って余りあるエネルギーが作品中を所狭しと暴れまわっている。権威主義者の方も手塚賞って聞いたら手に取るでしょ。いや、そもそも賞とか関係無しに、私はこの作品は手塚治虫から続く漫画の歴史の中での、一つの頂点と思っている。漫画の枠を超える、というか、漫画はここまで表現できる、ということに未だに驚きを感じる。
多分明日は上でも何回か挙がった『東京ガールズブラボー』のレビューをします。あれだけ引き合いに出しといて説明も何にも無しっていうのはフェアじゃないですよね。丁度ヘルタースケルターと裏表な作品です。詳しくはまた今度。
最後に、全くこれまでの話と関係ないけど、最近ゆらゆら帝国が気になる。CD欲しい。『美しい』とかいうシングルをタワレコで聴いて、あといくつかの動画を見ただけだけど、カッコいいことはそれだけでも十分に理解できた。なんかCD欲しいなあ。
- アーティスト: ゆらゆら帝国, 坂本慎太郎
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ
- 発売日: 2007/07/04
- メディア: CD
平坦な戦場で僕らが生き延びること
コンビニしてたらあめがザーッと降ってカミナリがゴスゴス鳴ってた。問題なのはその激しさ、けたたましさだった。運がいいことに、勤務時間が終わった頃には相当マシになってた。『きっと私みたいなニートがバイトなんて始めてしまったばかりに世界が混沌に落ちてしまったんだわ!』なんて考えるのは甚だしい勘違いと自意識過剰。
岡崎京子レビュー第二弾。これはマジしんどいかも。あなたの人生・価値観を変えたものは何ですか?少なくとも私のちっぽけな価値観の半分くらいは一度この漫画の色に食われた。
とりあえず、『ヘルタースケルター』が漫画終了から約7年くらい経った2003年に始めて単行本として世に出るまでは、岡崎京子と言えばこの作品だった(まあ今でもそれはあんまり変わらないのか?)。93年から94年に書かれたこの作品によって彼女は正に漫画界のアナーキスト、サブカル界の女王としての名声を欲しい侭にした(彼女がそれを望んだかは別として)。タイトルは同名のアメリカの映画からだったかな。この映画については何にも知らないので、何も語りません。語れないのです。
この作品を覆うのは、圧倒的に冷めた世界観とあまりにも痛々しすぎる青春の暴走の過程である。表紙からして、キャラの目はみんな冷めている(注・表紙が二パターンあって、古い方の版の表紙はそうでもない目をしてたかもしれません)し、工場から吹き出す煙の風景や、街の遠景などがそのキャラの絵と共に表紙に添えられている。表紙をめくると可愛らしい熊のぬいぐるみがカラーで書いてあって、その次のページからが本作の始まりであるが、そこにはさっきの熊のぬいぐるみがズタズタになっている絵が綴られている。
あたしたちの住んでいる街には河が流れていて
それはもう河口にほど近く 広くゆっくりよどみ、臭い
この象徴的なモノローグと共に物語が始まる。ストーリーの説明が結構面倒なのだが、主人公はまあ普通の女の子『若草ハルナ』で、まあありていねいに言えば彼女の周りで色々なことが起こるんですね。同じクラスのいじめられっ子がアレだったり、ボーイフレンドがいるけど主人公はもう冷め切ってたり、人気モデルが同じ学校にいたり(因みに彼女は『ヘルタースケルター』にも登場し、主人公を追い詰める大きな要素として重要な役割をするが、キャラがリバーズ・エッジとは結構異なっている)、さっきのいじめられっ子には彼女がいるが彼はやっぱりアレだからまるで興味が無かったり、主人公の友人の女の子は性的少女だったりと、非常にグチャグチャとした嫌ーな人間関係があり、それが彼女の筆力によって余分な情報と熱を切り落とした素晴らしい描写で表されています。そして、先述の川辺にはあるものが落ちていて、まあこの話はそれを巡る話であります。いかん、ネタバレを避けようと思うとちっとも話の根源に辿り着けん。
話は三話目くらいからぶっ飛びます。あるものの登場と性春。こういった描写はこれ以前の岡崎京子作品にもありましたが、ここでの描写の『冷ややかさ』は凄いものです。それまではどんなに酷い場面でも絵が可愛かったり、雰囲気がまだ少しだけ明るかったりするんですが、ここでのそれらの描写は本当にクールそのものです。ソニックユースのクールさ加減は有名ですが、あれみたいにキンキンに緊張しきった描写がずっと続きます(岡崎氏はソニックユースの大ファンだそうです。なるほど!)。物語はどんどん不穏に加速していき、事態は急速に閉塞していき、いくらかの不吉な予兆が訪れ、そして遂には崩壊が繰り返されます。この崩壊の様子が正に悲惨。一つの崩壊が別の崩壊を呼び、それらとは別のところの崩壊も連鎖し、そしてやがてそれは最終的で決定的な破綻に辿り着きます。うわあこれってネタバレじゃねえ?書き直すのが面倒くさいから続けます。
その、最後の破綻の場面ではウイリアム・ギブソン(私、この人についてはここ以外何も知りません)の詩を引用してあります。黒の背景にその詩が書いてあるのですが、これが正にこの作品を、そして更にはその外側の世界、つまりは現代社会という『平坦な戦場』で暮らす我々の生活世界をも暗示するような、非常に意味深な詩です。
この街は悪疫のときにあって 僕らの短い永遠を知っていた
僕らの短い永遠
僕らの愛
僕らの愛は知っていた 街場レヴェルののっぺりした壁を
僕らの愛は知っていた 沈黙の周波数を
僕らの愛は知っていた 平坦な戦場を
僕らは現場担当者になった 格子を解読しようとした
相転移して新たな配置になるために
深い亀裂をパトロールするために
流れをマップするために
落ち葉を見るがいい 涸れた噴水をめぐること
平坦な戦場で 僕らが生き延びること
中二とか言う奴はほっとけ。
ともかく、この詩が流れてくる頃には緊張は既に決壊していて、どんどんと話が落っこちていき、その最終地点に向かいます。この流れのカタルシス具合は多分読まないと分からないだろうし、人によっては読むのが辛いとか言いそうです。
幸いなのかどうか分かりませんが、私はとても平和で、割とどろどろした話の無い世界に生きているつもりですが、それもきっと薄皮の上での話であって、ちょっと潜ればドロドロとした話が結構転がっていることをしばしば認識します。また、人間の感情というのは喜怒哀楽のバランスで出来ていて、例えば自分の『喜』や『楽』のために他人に自分の『怒』『哀』を向けたりすることがあります。ちょっとしたことで人を憎み、それが時が経つごとにぶくぶくと肥え太っていくことがあります。自分の期待が崩れ去るのが怖くて、虚しい行動をしてしまう事があります。この作品が描く感情の嵐は、私たちのそういった複雑に入り組んで破壊的な感情の極端なサンプルです。人を殺したいほど憎む事ってあります。後ろめたい気分にだってなります。そして、どんなにそんな気持ちをどうにかしようと整理したって、無常にも意味の無い朝を迎えてしまうのです。この作品はそこについて決して安易な答えは出していません。ただひたすらに、奈落の底、闇の淵に突き落としてしまうだけです。そういう感じの話は文学では一つのジャンルとしてしっかりある気がしますが、漫画でこの手の話ってのは、まあ商業的に考えても難しいと思うし、またあまりにスノッブ過ぎても意味を失うだけで、この作品レベルのものというのはそうそう無いです。緊張感が辛いという漫画読みには薦めません。漫画の絵は線がしっかりしてこそだろうという人はどうぞ綺麗なマンガを読んでください。中二病と馬鹿にするなら馬鹿にして見下していればいいです。ただ、少なくとも私は、この作品を読んで、根本的な価値観の方向の修正を迫られたものです。そして私は、このマンガを読んで感じるものがあった人を信じたいです。
まあ、ニルバーナとか、さっき言ったソニックユースとか好きな人なら面白いんじゃないですかきっと。あとザ・スミスとかマイブラとかそのへん。よく判りませんし良く説明できませんが、「オルタナティブ」な感性をくすぐる作品だと思います。アートスクールのキノコの大事な元ネタのひとつに違いない!シロップとかとも合いそうですね。暗いものを愛することや、暗いものを愛する自分自身に酔ってしまうことに気をつけながらも、そういった感性を大事にしていきたいものです。
凄くどうでもいいことを書くと、高三の時に確か『こころ』の読書感想文かなんかで『平坦な戦場』っていうのを引用したら先生に褒められた気がします。パクリはいけません><でもこの感想文がいい評価を貰ったおかげで何故か学校主催の研修ツアーに行く事になりました。大阪京都そして愛知万博と行って来ました。よくよく考えると凄いなあやっぱり。京都駅のカッコよさは異常!結構カオスな街でしたよ京都は。そして行きと帰りの新幹線で太宰の大作『斜陽』と『人間失格』を読破した思い出……。
『全ての仕事は売春である』らしいよ
それってコンビニもかなあ。
ギャー土曜日のサークルのイベントの時間にバイトが入ったハイオワター!!!
気付かない自分が悪い。社会的責任なので遂行するしかあるまい。多分言えばどうにかなる問題かもしれないけれど、なんかそれも面倒くさいっていうのが、今日ずっと家にいて何するでも無くダラダラしていた私の多分本当のところ。だって一時的とはいえあんなにドガーッと雨が降ったらビビって外歩くのもおぼつきません。
ところで、最近マンガを読んだのでレビューします。作者が作者なので気合入ります。
岡崎京子の漫画は高三の時にインターネットで『リバース・エッジ』を知ってからというもの、とにかく集めまくってきました(全て中古で!!!高校生に新品で十年位前のマンガを買うようなのは似合いません)が、何故かこの作品は、結構彼女の代表作の一つといわれているのに、ずっと持っていない状態が続いていました。先日やっと買ったわけですね、100円で。やっぱり中古やん!高校から何も変わってない。
ここまで戯言。もしくは前書き。
岡崎京子という作家は、独特の痛々しい青春描写とアヴァンギャルドなストーリーがその特徴としてよく挙げられますが、その側面はどちらかと言えば90年代に入ってから、彼女の描く絵がどんどんと少女漫画的デフォルメを剥がされていく時期から加速していくもので、もちろんそれ以前の作品も結構ぶっ飛んでいるんですが、何というかまだ平和と言うか、クールなまでの残虐描写は結構少なく、まだ可愛らしさをストーリーにも絵にも残している感じです。と言うか、私個人としては岡崎作品で好きなのはやはり90年代の作品群であって、80年代までのものの多くはそれほど思い入れはありません。だからこうやって知ったように書くのは問題があるのですが。
で、この作品ですが、この『PINK』は89年の作品です。そしておそらく、この作品こそが彼女の90年代的傾向への加速装置となった作品でしょう。彼女の他の80年代作品と比べて、より『90年代的』な側面を持った作品なのです。しかし、それでもやはり絵はまだ彼女独特の可愛いけど気味の悪い感じはまだ出ていなくて、普通の少女漫画にまだ近いかなって段階に留まっています(もしかしたらこの辺が私が買い控えた理由なのかもしれません)。話の雰囲気も割とまったりとしたハッピーさが作品を通して見受けられます。もちろん90年代もハッピーな描写は彼女の作品に何度も何度も出てくるのですが、90年代のそれはなんというか残酷さと隣りあわせと言いますか、いつこの幸せが崩れるんだろうと緊張感を持って読んでしまうタイプの緊張感です。80年代の彼女の作品の多くはそこがまだそれほどでもなくて、設定は極悪で悲惨でもどこか明るい雰囲気が漂います。
ですが、この作品に限ってはこのハッピーな雰囲気は、確かに割と似た形で残っていますが、緊張感や倦怠感、そしていつ崩壊が始まるんだろうというスリルも含んでいます。これはこの作品の過激で歪な設定によるところが大きいです。この『歪』な感じがこの作品を特に80年代の彼女の他作品や90年代の作品群から切り離す大事な要素です。まあ要するに彼女にとってこの作品は過渡期だったのでしょう。80年代的作風から90年代方式に脱皮する途中の作品です。
簡単に設定の説明を。主人公は女の子ですが、この設定が相当特異です。まず、主人公は昼間はOL、夜は売春をやってお金を稼ぐ女の子です。岡崎作品の中には物欲まみれの女の子が頻出しますが、彼女もその一人です。そして、家でワニを飼ってます。この辺が非常に突飛な設定ですが、何故彼女がワニを飼っているのかは作中にははっきりとは書かれていません。しかし、その辺の理由っぽいものが彼女のセリフに出てきます。
(餌を食べるワニに向かって)いいっていいって気にしなくて オマエは私のスリルとサスペンスなんだから
(主人公の妹がムカついた近所のプードルをワニに食わせる場面で)おもしろいねえ
何が歪かって、これらのシーンと平和なシーンとの温度差がそれほど無い事ですよ。むしろこれらのシーンも平和なシーンなのかも。
それで、彼女には親違いの妹と義理の母がいて、彼女の母親は結構昔に自殺しています。義理の母がまた嫌な人間で、自分の美に自信を持ち、若いツバメを囲っています。その若いツバメの彼と主人公との恋愛がストーリーの基本軸となります。ぶっちゃけこれ以上は言葉だけで説明するとだれるので辞めますが、いやらしく入り組んだ人間関係とキャラクターの無邪気な部分とがもうグジャグジャになって詰まっています。ここまで複雑かつ陰湿な人間関係はやはりどちらかといえば作者の90年代以降のもの寄りです。
あと、バッドエンド気味な最後も彼女の90年代の悲惨な作品群に先立ったものです。色々あった末に幸せそうなオチに向かうかなあと思ったら、何というかマスコミによる「有名税」によって駄目になるエンドは、何となく『ヘルタースケルター』にも通じない事は無いです。しかしこの作品は完全に駄目な結末は迎えません。駄目になる予兆、明らかに駄目になるそれを提示し、そうとも知らずに幸せそうな主人公たちの場面で物語が終わります。これも90年代作品の破滅的なエンドへ向かう途中だったからかもしれません。
この作品で特に歪なのはやはり主人公です。彼女は作中で売春を繰り返しますが、考え方なんかは子供じみた自分勝手さ・ロマンチックさ・自由気ままさが現れています。そしてこの作品の中で彼女が繰り返す売春は、所謂「売春=ヤバイこと」って感じからはかけ離れた、ごく普通の日常として描かれています。そして、それをしている時の彼女の考え方もやはりどこか子供的な無邪気さがしょっちゅう顔を覗かせるのです。だから彼女はよく喜びよく怒り、でもそんなに深くは悩んだりしません。彼女の行動に比べて、彼女の心理的な「影」の部分が凄く希薄なんです。ここがこの作品が特に作者の諸作品から浮いているもっともな点だと思います。
総評として、私にとっての岡崎氏に関する好きな部分とやや苦手な部分が入り混じる作品でしたが、好きな部分の方がより勝っています。中々に緊張感もあり、全体的にどうなるか分からない割とグダグダ(これはそんなに悪い意味ではないです)なストーリーも上手くまとまっており、よく出来ていると思います。まあ確かに、『リバース・エッジ』の方がより鋭く研ぎ澄まされていますし、『ヘルタースケルター』の方がより破壊的・退廃的、『東京ガールズブラボー』の方がより享楽的でエンターテイメント的(この三作品が私としては彼女の代表的な長編だと思います)なんですが、この作品はそれらの要素を内包しつつも80年代的スタイルも保った、正に過渡期、そして大事なマテリアルだったのでしょう。それなりに彼女のファンな私としては、そのある種カオスな部分が特に面白かったです。ワニ可愛い。
よく考えたら日記のネタに困ったら漫画のレビューをすればいいんだな。どうせ「絵が好かん」とかいってあまり読んでもらえないんだろうけど。貸して欲しい人は貸します。この漫画家について話せる相手が今は母親くらいしかいないので、理解者を作って話をしたいような気分です。しかし本気でレビューすると纏まらないし分かりにくいもんが出来るな。これは他人に紹介するには良くないことだよなあ、と、あまりに勢いに任せすぎた自分に反省する。何だってこんなレビューに3,40分もかけるのかと自問する。でもね、好きなものは好きなんでしょうがないなってすぐに諦めます。こういう漫画の論文で単位が取れたらいいのに。
アンドロイドになりたい
コンビニのレジに立ってて思った事。しかし意外と時間が経つのは早いのでそんなに苦しくはないかも。ただ自分の不手際がずっと尾を引くのは、まるで遺伝子操作によりざらざらの鮫肌をしたトカゲが背中を這いずるような気持ちになる。感情の揺れが私の手や喉を邪魔するんです。アンドロイド・オートメーション!!!
そんな私はまだあの本を読んでないので電気羊の夢は見れません。
ちょっと前の話。またCDを買った。天神のショッパーズの中のボーダーライン。誰かがART-SCHOOLとMO'SOME TONEBENDERのCDを馬鹿みたいに売り払った後だったらしく、その辺のがやたら充実してた。アートの初期音源はぼちぼち貴重。でも流石に『SWAN SONG』は無い。明日も行きたい。バイトで金の心配が和らぐから。リスト。
SONIC DEAD KIDS/ART-SCHOOL
MEAN STREET/ART-SCHOOL
Drive/MO'SOME TONEBENDER
『SONIC〜』は録音レベルが凄い低い。iTunesの音量調節で少しマシになった。曲はまあお馴染みな感じ。
『MEAN〜』は録音レベルとついでに曲の平均レベルも上がっている気がしないでもない。でも『ニーナの為に』のサビは酷いや。キノコ英語が爆発していて笑激!曲はまあやっぱりお馴染みな感じ。基本的に曲の方向はちっとも変わらんなこの頃は。でも嫌いじゃない。だってUSオルタナってやっぱりいいものですもの。
『Drive』は、なんかこれがモーサムの最初の音源らしく、私はずっと『Down Rock』が最初と思ってた。しかしこいつらは安定して聴けるなと思った。ジャンク感とオルタナっぷりとロックンロールのさじ加減はこの頃から上手な気がする。『未来は今』は名曲。『未来』って付く曲はいい曲の法則。『その未来』とか『その未来は今』とか。この辺の人たち、もしかして狙ってやってるのか。因みにモーサムがこれらの中では一番早いはず。私のつたない予想では、シロップ16g辺りが『その未来は今更』とか出したら爆笑するかもしれない。そして私はネーミングセンスが欲しい。
私の周りの世間はテスト期間に入ってみんなヒーヒー言ってる。私は何故か傍観者。ごめんねごめんね文学部でごめんね本でも読んでます。今日一個テストがあったが、まあまず落ちない。明日もバイトだ。なんか最初なんで週四で入れられている。時給600円でも五時間枠の夕勤で600×5×4=12000(!!!)入るみたい。なんかワクワクしてきたぞ。と言うかもっと早くからすりゃあ良かったんだ。まあでもそんなこと言ってもしょうがないので前向きにこれから頑張るポジティブな私です。この『ポジティブ』の部分をよく否定されるのは何故?私は金が無いからバイトする。金が無いから強盗・かつ上げするのに比べたらどれだけポジティブな事か!!!
まあ、色々頑張らないといけないです。研究室も、音楽サークルも文学サークルもバイトも。
え、文総?それ食えるの?
本当に雨ばかりだな
遂に警報が出たらしいです。しかし今日は雨もさることながら、風が強すぎたのも迷惑でした。学校の帰りに天神〜博多駅を傘差してぶらぶらしてたら、帰りには物凄い風の壁が前後左右から襲い掛かって、私の傘をなんとも情けない形にしてしまうんです。大丈夫かなあの傘。
ぶらぶらって言っても、行ったのはタワレコと交通センタービルの紀伊国屋と楽器屋だけだけどな。
タワレコのカードが一枚分フルに溜まっていたので、使用。妙に超過分があるのは、なんか今ダブルポイント期間中だったのでどうせならと思ったから。
Clouds Taste Metallic/The Flaming Lips
Rust Never Sleeps/Neil Young & Crazy Horse
Souvlaki/Slowdive
ニールヤング以外の二枚はまだ一回しか聴いていないので感想とか書けません。興味ある人がもしいたら勝手にリンクたどってアマゾンのレビューでも読んでればいいんじゃないですかあ(投げやり気味)。
なんというか、その二枚を聴かない分、ニールヤングを聴いた。買ってきて家に帰ったのが6時だったけど、そこから通して3回、曲によっては5回くらい聴いてたり。もう格好いいんですよこのオヤジ。このアルバムは丁度パンク勃発の時期(セックスピストルズとかですね)にニールヤングがインスパイアされて出来た作品らしいのですが、そのせいかニールヤングっぽい部分が過激なまでに現れているアルバムです。彼の作風は1・アコースティック〜カントリーって感じそして2・ギターが血を流す感じと、大体この二つが入り混じってるんですけど、このCDではその両方が相当過激なバランスで入っています。つまり、A面がアコースティック、B面がロックとなってますが、まずアコースティックは、アメリカ的なカントリー要素も含みながら、ここではどこか緊張感のある、やや張り詰めた空気が流れてます。この辺ハーヴェストとかとは雰囲気が違う感じです。そして、後半のエレキセクションがもう、最高なんです。6曲目の「POWDERFINGER」って曲は、そのまま90年代オルタナ〜ローファイのギターロックを先んじてやってます。ティーンエイジファンクラブとかペイヴメントとか、あの感じ。そして演奏は次第に攻撃性を増し、8曲目ではパンク的なビートが飛び出し、歌もとげとげしさを放出、そして最後に待っているのが名曲「HEY HEY, MY MY」なわけです。「Rock and roll can never die」とか「Is this the story of Johnny Rotten?」とか「It's better to burn out 'cause rust never sleeps」(これはカート・コバーンの遺書で有名な一文ですね)とかのやたらめったら熱量の篭った歌詞を載せて、ニールヤングが突き放すように歌い、ぶっ潰すようにギターを弾きます。その姿は正に「ゴッドファーザー オブ オルタナ」って感じなのかもしれませんね。物凄い緊張感と迫力。凄く難しい事をしている訳ではありませんが、その演奏は正に唯一無二。格好良過ぎる。むしろダラダラとしたミドルテンポが骨の奥まで蝕んでいくかのような感触。あのむしろ弱弱しい声が凄くいいんだよなあ。
- アーティスト: The Flaming Lips
- 出版社/メーカー: Warner Bros / Wea
- 発売日: 1995/09/18
- メディア: CD
- アーティスト: ニール・ヤング&クレイジー・ホース
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2005/09/21
- メディア: CD
それで、話は急激に変わって、明日バイトの面接に行きます。この前はポプラだったんですけど、あれから連絡が来ないので、ちょっと遠いけど箱崎のファミマでいいやってなって、そこに行きます。金が欲しいな金が欲しいな金が欲しいな。
真夜中の雨のリズム、メロディ
夜中二時に晩御飯を作ってるってどうなんですかね?また寝過ごした!
しとしと降る雨の音や、マンション近くの高速道路や国道三号線の車の走る音、こういうのはまあ一応は生活的ノイズ音なのでしょうが、どうしたわけか結構好きなものです。で、友人が前に言っていたのは、オレの家は商店街とかに近いからしゃべり声がうるさくて敵わんとのことでした。これも先述の生活から来るノイズなんでしょうが、どうしたわけかこれについては何故か私も我慢ならない気がします。何でしょう。やっぱりそこには、言葉と効果音の違いが横たわっているのでしょうか。やはり声というのは表情があって、調子が一定ではありませんし、途切れてはまた始まったりします。雨や車の音なんかはもっと単調で連続したものです。ここにその音をどう感じるかという事の違いが生まれる要因があるのかも。因みに、夜中に冷蔵庫がうぃんうぃんいってる音も好きです。テレビのザーって言うノイズは気分によります。フィードバックノイズは好物です。だからこんな雨の日にジザメリを聴いて、「ああ、これや!」とか思ったりするわけです。
- アーティスト: ジーザス&メリー・チェイン
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2007/05/23
- メディア: CD
夜中はいいですね。自分ひとりしかこの世界にいない気がして、ちょっとした王様または独裁者気分です。それか惨めな孤独老人とかストレンジャーの気分。とにかく色んな人の気持ちになって、色んな人の考え方を試みて、それで気付くのは『私』の不在。でもだって『私ってこんな人ですよね』なんて恥ずかしくて恥ずかしくてとても言えそうにないので、別に今ここに『私』が見いだせなくても気にしません。ていうかそんなのいちいち気にしてたら生きていけない!いつだって"I need to be myself"ですよ。
例えば大学で講義受けてる時、あああそこに座っている女の子可愛いなとか思っても、ウホッあそこのツナギのいい男とか思っても、私とその人とは圧倒的に他人な訳です。例えば天神で、うわああんな奴見たくもねえって人を見ても、ああもう抱きしめたいっていう人を見ても、私と彼彼女との接点は殆どないわけです。そう私は考えていますが、鼻ッから接点を持つ可能性を放棄している事は果たしてよい事なのか悪い事なのか。積極性の是非を問う問題です。
例えば自分の友人が、自分の知らない人とかと大変仲良くしゃべっていて、そこに自分は参加できるかと言う問題。残念ながら私はそこで参加するどころか、少し気持ち的に離れたところでその二人の関係に嫉妬したり呪ったりする人間だったりすることが多々あります。それがいつまで経っても残念ですし、逆にそこに自分のアイデンティティを見つけようと試みたりもします。
木曜の夜は余裕があるので、こういったどうでもいいことばかり考えてしまうのでした。
七月の雨、心
ここのところ雨が多いですねっていう話を講義の福大の先生と話した。でも今日の霧のような雨は、適度に気温も上がらないし外出もしやすいので、むんむんする感じでなければ私にとって好ましいところである。
さっきの話。狙ってたオークションのロシアンマフが最後の一時間で物凄く値上がりして店で買うのとほとんど変わらんので諦めた。そろそろ機材を買い集めなければ。結局バイトは無しか。何故か面接をしてもらえるはずの所から電話が来ない。他を当たるか。
飯を炊くスイッチを入れてから、ほとんど意味もなく家を飛び出してうろうろした。引っ越してからある程度経って、周辺や通学路沿いの町並みは知っているが、その外側に今日は興味が行ったわけだ。箱崎駅を九大の反対側へ向かってからは、知らない道を自転車で走り、知らない町並みを眺め、知らない川を渡ったり、知らない国道三号線を通ったりした。霧雨が道路のずっと向こうをぼやけさせる。傘をさす人とささない人との比率が半々くらいの微妙な霧雨。久しぶりに福北ゆたか線の電車が走るのを見た。あれに乗ればそのうち故郷に帰れるなあ、何と近い故郷!故郷って感じゼロ。
友人がくれたブッチャーズの「kokorono」を聴きながら自転車は進む。『七月』でやっぱり気持ちは揺すられる。
完全にどこか分からないところに出て、たまたまブックオフがあったので入って、CDコーナーはいまいちだったのでマンガを読んでたら、突然店が停電。雷でも落ちたのか、でもそんな音しなかった気がするし。嫌がらせに停電中に会計を済ませようとした。ただ、思わぬところでいいマンガを安く買えたのは結構嬉しかった。岡崎京子『Pink』、田丸浩史『課長王子』。両方とも百円だったのが嬉しい。
やっぱりどこか分からずに、うろうろしながら走った。8時ごろに知ってる道に出て、むやみに感動する。その後何事もなく帰宅。
しかし、知らない場所を適当な音楽と安い自転車で走るのは大変楽しい。臭い事を言えば、景色に音楽が混じる感じというか、その音楽が景色と共振する事で得られる高揚感やら何やらはとても素晴らしいものである、でも事故には気をつけましょう。
最近涙もろいのか、ニコニコ動画にあったサガフロのロボ編のエンディングで感動して目が湿った。レトロなものがヤバイのか。オザケン久々に聴いたときもなんか意味分からんが来た。「十年前の僕らは胸を痛めていとしのエリーなんて聴いてた。」っていう歌詞が既に猛獣数年前の、『思い出』の世界に近いところの話だと言うのがやたら切ない。別にリアルタイムで聴いたわけでもないのに。
















