『Between The Buttons』 The Rolling Stones
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まずジャケットが最高にイカス。凄くシックな感じ。ロンドンのどっかの公園の冬ってこんなん?
そしてまさかのチャーリー・ワッツをヒューチャー。なんかやたら年寄りに見える(笑)チャーリーとミックの隙間で俯くブライアン・ジョーンズがまたなんか暗示的でいいんです。
60年代半ばにピークを迎えるスィンギンロンドンの高まりは、その熱をある程度維持したまましかし、水面下ではサイケデリックという新しい表現方式に突入していきます。特にビートルズの『Revolver』なんかが強烈な存在感を発揮し、また海の向こうではもう一人のブライアンがとんでもないアルバムを作り上げ、次第にロックが芸術性を渇望するようになっていきます。
で、こんな時期にソングライターとしてまともに活躍し始めたミックとキースのコンビは、キースはともかく、特にミックは「ヒップであること」に並々ならぬ情熱を注いでいて、それはつまり「時代の流れに身を委ねる」ようなこと、もっといえば「流行に乗っかりたい」ということでした。
そんなミックが当時はまだ水面下で盛り上がっているに過ぎない(この時点で『Sgt.Pepper's』はまだ未発表)このサイケのビッグウェーブを逃す手は無かった。なんか本人はブルースがしたいだけなのに、ひょっとしたらギターよりも他の楽器を扱うことの方がやけに上手いブライアンを利用して(というかドラッグ漬けになりつつあった彼はギターを弾く気があんまりなかったのかも)、あとニッキー・ホプキンスのピアノなんかも導入して、このブームにあやかるアルバムを作ろうとします。
で、出来たのがこれ。「ロックンロールバンド」の筈のストーンズからしたらとても不思議というか、不可解というか、そんなサウンドが、曲自体はいつものとそんなに変わらない筈なのに色々と首をもたげています。ストーンズのサイケ路線は次作にて色んな意味で完結(笑)するのですが、これはその一歩手前って感じで、ある種なんとも半端な感じ。
曲自体はそう、割といつものストーンズライクな、あのストーンズ的勢いがあるから聴けるタイプのポップソングなんですが、所々のサウンド処理が面白いのです。サイケを志向した彼等でしたが、それは所詮彼等の本質ではなく、このアルバムではその「付け焼き刃感」がなんとも奇妙に作用しているのです。
まず、このころのジャガー=リチャードコンビはポップソングを極めたようなソングライティングを急速に取得し、ポップなメロディをミックの歌い回しで歌うだけでかっこいい状態でした。で、そこに色々と訳の分からない、しかも「本当にサイケな逸脱」には到底届かない程度のアイディアを詰め込んだから、なんか奇妙なポップソングが沢山生まれてしまっている。曲自体はソウルやロックンロールなのに、全体としてはそう言えないようなもどかしさ。ジャンル分け不能な中途半端さ。
しかしどういうことか、これが非常に魅力的なんです。あくまでこの時期の彼等はポップソングメーカーであったので、曲はサイケとしては中途半端でも、ポップスとしては絶妙な軽快さと不思議さとカラフルさを持っているのです。それこそ、後に数々のフォローワーがサイケを「相対化」して取り入れたようなあの感覚が、このアルバムにはあるのです。なんかこう、シンバルスとかが好きそうなあの感じ。
この頃はアコースティックで上品な曲もとてもスイートで嫌味が無く、そして何より無頼過ぎない絶妙の「ブームに乗っかってるぜ俺達」感がとても楽しいのです。ああ、当時のロンドンで彼等を見てみたい。
アレンジでどうにか持ってるようなソングライティングが多いのも(笑)このアルバムの魅力です。何と言うか、それサビかよ〜みたいな不思議さ、この辺り彼等独自のポップさがあってとても好きです。サイケはストーンズを神秘的・芸術的にはしませんでしたが、ストーンズポップはまさにこの時期に頂点を迎えます。ルーツという荒野に旅立つ前の最後の熱狂というか乱痴気騒ぎというか。ともかく楽しい!部屋で両手を広げてふらふらしながら聴くことを推奨。何だこのみっともない無敵感(笑)ストーンズで一番好きなアルバムです。
なんかようつべにあった、ダイジェスト版。カラフルで適度に芯が無くてヘロヘロで、楽しい。
最新版の『Connection』。こうやって聴くとやっぱり、曲自体は結構ストーンズしてるんです。
なんかこの曲、キースのお気に入りらしい。よく分からんもんだ。ヘンな曲で、いい曲。
このアルバム、UK盤とUS盤があり、一部収録曲が異なります。余計なシングルなど入れずにこのグダグダポップ感を存分に味わえるUK盤をおススメ。リンクに貼ったのもUKバージョンです。
『Fifth Dimension』 The Byrds
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イギリスではロックンロールから次第にサイケへ移行していく、そんな兆候が見られたが、それはアメリカの幾つかのバンドも刺激した。とりわけ影響が目立つのは、先に紹介したビーチボーイズと、そして今回紹介するThe Byrdsというバンドであった。この二つのバンドは当時の西海岸を代表するバンドで、彼等がいわゆるその後70年代に全盛を迎える「ウェストコースト」のシーン作りに結果的に大きな役割を果たした。
バーズは元々、ディランの名曲『Mr. Tambourine Man』を12弦ギターを用いた繊細なアレンジでカバーしたことで有名になったバンドである。アメリカのバンドながら、その曲調やコーラスなどにおいてビートルズなどのイギリス勢から強い影響を受け、曲中にアメリカっぽさとイギリスっぽさが同居していることが特徴だった。その繊細でかつキャッチーでポップな12弦ギターの音色や牧歌的で爽やかで広がりを持った曲想から、彼等を今日まで続くギターポップの系譜の先頭に置く向きもある。
で、今回のこの作品はそんなバーズがサイケデリックの影響を受け、流行に乗って(ここ重要!)、初期の作風から変化していこうとしたが、まだ以前の路線もかなり色濃く残っており、過渡期的な作品となっている。っていうかサイケっぽい曲のほうが少ねえ。事実この時期はそれまでの中心メンバーだったジーン・クラークが脱退したりして、色々とゴタゴタしていた時期だったようだ。
かくしてこのアルバムはそれまでのバーズっぽい爽やかジェントルギターポップ(M1やM2、M10)にサイケなアレンジ(M4にM5、M6、そしてM7)、そして何故かそれ以外の要素(後のカントリー路線が垣間見えるM3、後に脱退するデイヴィット・クロスビーがその非バーズ的なパワフルなボーカルを披露するM8、ソウルフルなインストM9にジェット機の音を片チャンネルにそのまま突っ込んだ実験作っていうかお遊びなM11)などが混在し、いかにも過渡期な雰囲気を醸し出していて楽しい。
元々アルペジオ自体、サイケデリックとの相性が良いのであるが、ここでバーズが何曲かで見せるのは、12弦ギターを用いてフリーキーというか効果音的というか、そういったギターを配置する方法である。この線が細いが神経質でイメージに満ちた音はインド音楽やジョン・コルトレーンのインプロなどから影響を受けたものらしい。
とりわけこの手法が活かされている曲こそ、ジーン・クラーク脱退前最期の録音であったM7『Eight Miles High』である。この曲は怪しいコードの上を自在に細い12弦ギターが荒し回るサウンド(リズムも変則的で不穏)とジェントルながらどこか不安で吹き飛ばされてしまいそうなコーラスを繰り返す曲で、彼等の曲の中でも飛び抜けて前衛的な曲。全体の緊張感のせいか、不思議な浮遊感と同時に、テンポの割に結構な疾走感を感じる。むしろなんでこんな曲を作ったのか分からないくらい。これ一曲だけはビートルズの歴代サイケ曲やピンクフロイトの1stにも匹敵する不可思議具合である。本当になんで?
なにはともあれ、時はまだ66年、本格的なサイケデリック時代の幕開けを前にして、時代が大きく変わり始めた時期であり、彼等はそれをキャッチすることが出来たということである。バーズもこの後色々と変化し、最終的にカントリーロックの申し子になる。彼等の作風の変化などもあって、本格的にウエストコーストサウンドが形成されていく。しかしこれはまたしばらく後の話だ。
正直、このアルバムにおいては他の曲は結局この曲のおまけくらいの存在かもしれない。
これ以前の彼等にもこれ以降の彼等にもこういう曲調の曲はない。
このアルバムの『E.M.H.』以外の曲をユーチューブで探したらこれが最初にあったので。
バックのストリングスアレンジは結構サイケ的かもしれないが、それよりも耽美。
おまけ
ハスカー・ドゥによるカバー。オルタナ的。叫びがカッコいい。これはこれで。
『Pet Sounds』 The Beach Boys
とても有名だし、情報も沢山出回ってるけど、個人的にも凄く大切なレコードだし……。
とりあえず時代背景から。
60年代中頃までロックンロール・スィンギンロンドン・ブリティッシュインベンションは絶好調で続いていくが、それに少し変化が現れ始める。きっかけはビートルズがアイドル性を返上し、遂にアートロックの領域に踏み込み始めたこと。大衆ポップスとアート性の高い両立は『Rubber Soul』によって成される。この後、更なる怪作を作り上げるビートルズを旗印に、ロックンロールに代わるムーブメント、ロックをアートにしようとする初の大衆的試みが始まる。サイケデリックな時代が来る。
一方、アメリカのバンドの多くやポップシンガーたちは、イギリス勢に押されて勢いを失っていた。ビートルズを真似たポップグループとしモンキーズが登場したりした。
そんな状況で、唯一と言ってもいいくらいにその勢いを徐々に高めていたバンドがビーチボーイズだった。ブライアン・ウイルソンはバンドの曲作りのリーダーとして、数々の高精度なポップソングを量産、名実共にアメリカのトップグループであったが、彼の視点は大衆ポップスを作ることではなく自己表現に向かっていた。それがバンドやレコード会社との軋轢などを生み、精神を病み、いつからか彼はライブに同行せず、スタジオに籠ってレコーディングを繰り返すことになる。すべてはイメージの表現のために。
で、ビートルズの『Rubber Soul』にロックの可能性を見て、そしてビートルズの脅威に震え上がったブライアンが、それを超えんとすべく、そして自分の目標も達成しようとすべく、ドラッグだの確執だのに塗れながら作った1966年のレコードが『Pet Sounds』だった。
![]() | Pet Sounds (1999/07/13) The Beach Boys 商品詳細を見る |
バンド名義ではあるが、レコーディングはほぼ全てブライアンとスタジオミュージシャンによって行われ、ツアーから帰ってきたバンドメンバーはブライアンにこういう風に歌え・コーラスしろと命令される。サーフィン・ホットロッドなアメリカの青春を歌うバンドだったビーチボーイズのメンバーは出来上がっていた音源の方向性の違いに困惑、メンバーの一人であるマイク・ラブは呆れ返り、「これは誰に聴かせる音楽だ!イヌか!?」と言い放つ。結局これがアルバムタイトルになるのだが。
それでもなんとかメンバーはレコーディングに協力し、そしてアルバムは完成する。しかし内容があまりにこれまでのバンドのパブリックイメージ(「明るい」ビーチボーイズ)から外れ過ぎていたため、レコード会社も、そしてビーチボーイズのファンも難色を示し、売り上げは低迷。慌てたレコード会社は急遽ベスト盤を作成し、こっちは売れたのでそれによってこのアルバムは打ち消された。
しかし、海の向こう、新しい時代(サイケデリック!)に向かおうとしていたイギリスのミュージシャンたちやそのファンなどは、この新しくも不思議なレコードの魅力にいち早く気づき、賞賛したり畏怖の念を抱いたりしたという。このアルバムの当時いちばんのファンは、皮肉にも当時ビーチボーイズの最大のライバルであった甲虫集団の主軸・ジョンとポールであった。彼等二人はこのアルバムに大きな衝撃と影響を受け、自分たちの音楽性を更に模索していくのであった。『Sgt.Pepper's〜』に続いていく。
以上がヒストリー的な流れ。この歴史的推移が凄く好きで、これが私がロックというジャンルに深くはまり込んでいくきっかけを作った。海を越えて高めあうライバルたちって格好良くないですか!?
まあともかく、ここからアルバムの解説を。
まず、このアルバムはライブを目的に作られていない。完全に何らかの想像力の「表現」に向けて作られたものである。だから、ライブ感があった当時のロックンロールレコードとは全く方法論が違う。全体的にどこか現実味の無い音像、薄皮一枚分向こうの世界で鳴っている様な音楽がここにはある。
しかし、その感覚はまた、後に沢山出てくるどのサイケデリックレコードとも違う雰囲気が漂う。
まず、60'sサイケデリックのレコードは大きくわけて二つのタイプが存在する。
一つは頭の中が花畑的なポップさを持ったもの。ビートルズの『Sgt.Pepper's〜』をはじめ、ストーンズやフーやスモールフェイセズといったUKの多くのポップ・ロックバンドはこのような方向に向かう。楽しく転がり回るピアノ、高々と鳴り響くホーン、そして美しくそして楽しげにポップなメロディなどが特徴である。この方向性はゾンビーズによって極められる。このアルバムはそのうち紹介する。
もう一つはブルースから発展していったサイケである。ギターを激しく歪ませたりエフェクトをかけたりし、ねっとりとした音空間を構築、渋く病みついた光景を作り出す。ジミヘンやクリームが代表格だろう。
本当ならもう一つ、もっとアングラな、どうしようもなくドロリとした音だったり、幻惑的な音だったりを作る趣向もあるが、これはサイケデリックレコードの中でも少しマニアックなバンドになってくる。有名なバンドにもこういった楽曲はあるが、流石にこれをメジャーで売っていくには不健全なものであった。唯一、ピンクフロイトの1stはアングラシーンの混沌とサイケデリックの中でも異端的な破滅的・退廃的な音像を(それでもメジャーの締め付けで幾分濃度を薄められながらも)メジャーシーンにおいて展開した。こういった不健全サイケはむしろアメリカで花開く。
翻って、このビーチボーイズの名盤は確かにサイケデリックレコードに挙げることが出来なくもないのだが、しかしその性質は、上の三つのものとはまた違った風であった。幻想的ではあるが、美しくはあるが、それはどこか寂しげで空虚で、露悪的な不健全というよりはもっと消極的なダウナーさ・やるせなさに満ちていた。音が描き出す情景がどこまでも青く、そして寂しい。ドきついカラフルではなく、どこまでも空疎で淡い。
ロックンロールを遥かに無視した楽器選択、特にパーカッションの多用とドラムの簡略・省略、そして絶妙のリバーブ感が心地よい浮遊感と奥行きを音に与える。で、その上に乗るコーラスがまた何と言えばいいのだろう。『God Only Knows』ほどコーラスワークの美しいポップソングがあろうか。重厚だが優しい。最早最上のキーボードの類のようだ。
歌詞のほうもまた、そういった音のイメージと素晴らしくマッチしている。ブライアンの心情をトニー・アッシャーが綴った歌詞はありとあらゆる微妙な感情を切り取る。そんなに難しい言い回しは無いが、それがかえってさりげなく気持ちを揺れを表現する。そしてそこには沢山の諦め、静かな絶望で満たされている。あるいは、純粋を失うことの悲しさ。
あの長い髪はどこに行ってしまったの?僕の知ってた女の子はどこに行ったの?
僕たちが感じていたあの幸せをどうしてなくしてしまったんだ?ああキャロライン。
(Caroline No)
よしんば上手く行っている時でも、それが非常に微妙なバランスで出来ていることが分かる。ひとたび崩れてしまえばそれがすぐ絶望に繋がる様な、あやういバランス。
君がさよならを言うのなら、、、まあそれでも人生は続いていくけど
信じて、、、この世界はもう僕にとって意味がなくなってしまう
そんな人生で、楽しいことなんかあるの?
君がいなくなって僕がどうなるか、そんなの神様しか知らないよ
(God Only Knows)
書き出してみたら意外と普通なフレーズのように思えるけど、これが音と合わさった時の説得力というのは物凄いものがある。この説得力は、演技や技術じゃ出せない。
詰まるところ、こういう微妙なバランスの幸せや切なさを歌うポップソングというのはこのアルバムから始まったと言っても過言ではない。オンナにフラれた帰ってきてよ悲しいよ〜なんて激しい次元ではなく、もっとどうしようもない、消極的な気持ち。なんとなくどうしようもない彼等は、明るい日でも暗い日でも、ただ海を眺めるくらいしか出来ることが無い。そんな。
アルバムレビューなんかで「この名盤が分からない人は何度でも聴いて開眼すべき!」みたいなレビューがあるが、そんな図々しい気持ちでこのアルバムに接するなんてアレだ!また、このアルバムをオシャレなソフトロックの名盤の一枚みたいにカウントする向きもあるけど、それもなんか違う気がする。上手く説明できないのは、音楽が言葉ではない何かを表しているから。そういう姿勢が痛いくらいに良く伝わってくる、大切な一枚。こんなの書くのもアレだけど、私の、青春の一枚。これと岡崎京子のせいでどれだけ空疎な青春を送ったことか。難解とか言うが、別にそんなこと無い。このいかんともしがたい感情が分かりさえすれば。
このときブライアン24歳。
『Small Faces』 The Small Faces
![]() | Small Faces (2006/11/21) The Small Faces 商品詳細を見る |
モッズカルチャーが60年代ロンドンで花開いていたのは、歴史的には確かなことなのだが、意外なことにそれを現代にしっかり残している資料というのは少ない。またはそういったムーブメントは多くのマニアックなレコードの中に埋没してしまった感がある。
そんな中で、このThe Small Facesの若々しい1stアルバムはほぼ唯一と言ってもいい、現在のレコードコレクション雑誌にもよく名を見かけるくらいメジャーなモッズレコードである(まあThe Whoの1stもあるけど)。
流し始めてまず入ってくるいきなりの出音の力強さ、豪快さ、快活さ!サム・クックのカバーである一曲目、メインボーカルがまだ「彼」ではないにも関わらず、いきなり飛び込んでいくこの力強さはどうだ。っていうか、これはこの曲に限ったことじゃないが、録音が物凄く良いのだ。力強いリズムはボリュームを上げれば上げるほど気持ちよく響く。太く低いベース、歯切れの良さと程よいロール感を持ったドラム。ライブ感全開なこの荒々しさ、そして絶妙な生々しい60's感全開の音像が喚起させるのはまさに、当時のどこかの小さなクラブで踊り狂うバンドと客の光景なのである。
2曲目から遂に彼、スティーブ・マリオットのボーカルが入り始めると、いよいよその生々しさは迫力を増す。曲も急にブラックさを増した様な気になる。いわゆるロックンロール全開!って感じのロックンロールというよりは、もっと黒人的なサウンド・楽曲だが、それを白人の彼が黒人顔負けのボーカルで歌いわめきまくる姿はなんとも勢いに満ちている。このとき彼、弱冠18歳くらい。何とも恐ろしい。
かくして、いかにもなポップな楽曲やいかにもなちょっとマイナー調の曲なんかを、いかにもなギターやコーラスやオルガンやリズムで、そしてこういうジャンルに関しては最強とも言えるボーカルで駆け抜けていく。その生々しさはとてもこのレコードがスタジオ版だとは思えないほどである。実際、ここまでライブ感溢れ、そして音もいい具合に整理と60'sっぽさのバランスの取れたレコードは無いのではないか。
こうして、恐ろしくライブなこのレコードこそが、当時のモッズ、そしてひいては脈々と受け継がれたロックンロールの当時の最高潮な感じを、スィンギンロンドンな当時の空気感を現代に克明に伝えている。そう、これを大音量で掛け、あとは何も考えずに頭なり身体なりを振れば、それだけでまさに当時のロンドンのどっかよく分からんバーやクラブで、力と若さの限り演奏する彼等に出会うことが出来るのだ。いやなんで本当にこんなに上手く撮れてるんだろ。
素晴らしいっす。これ聴いて何も思わない人はロックンロールする必要ないっす。こういうのにいつまでも胸を熱くできるようにいたいものです。かっこいいなモッズスーツ。
動画からも分かるが、彼等の演奏は滅茶苦茶カッコいいのだ。スティーブ・マリオットがギター弾きながら歌う姿が、本当に本当にロックンロールでカッコいいのだ。っていうかギターもカッコいいんだよなあ。
『My Generation』 The Who
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後にUK四大ロックバンドの一つとなるバンドの、その若さ溢れる初期衝動を滾らせたデビューアルバムだったのに、権利関係のゴタゴタのせいで数十年も発売停止に追い込まれた(代わりの作品はあったが)、不運の作品。これがちゃんとCDとしてリリースされたのが2000年代というのはあんまりだ。
この頃のこういったロックンロールバンドのデビューアルバムはカバーが曲数の多くを占めたりすることが多かったが、このアルバムは三曲以外は全てピート・タウンゼントの作品である。そしてそれらが従来のロックンロールとはまた異なった技法で作成されているのがミソで、ロックンロールに色々と新しいアイディアを注入していく。歌詞をちゃんと読んだことはないが、部分的に入ってくる言葉はまた癖が強く、若々しさとトラウマっぽさが入り混じった物になっているらしい。
しかし、ライブで強烈で奇天烈な演奏を披露してきたThe Whoだが、それを満足にスタジオアルバム上に展開するのは困難を極めた。この作品においても、様々な伝説を知った上で改めて聴くと、「あれっ、こんなもんか……」と思わないこともない。しかし、その音や演奏方法にはこの時代の「色」がよく現れている。ライブバンドとしてのThe Whoを期待するよりも、65年の優れたロックバンドのある素敵な一枚として眺めた方が個人的にしっくり来る。というかこのアルバム、荒々しさには欠けるがその分スタイリッシュな感じがする(今の時代から見ての「スタイリッシュ」という感じだが)。特にギターとベースの役割の特殊性は彼ら独特のスタイルであり、この二つの間を縫って時折はじけ飛ぶドラムと、最後にしっかりと「歌」として成立させるボーカルの四つのバランス関係が彼らを特殊にしている。しかし激しくロックンロール。この二つが並び立っているところが初期The Whoの醍醐味だと思う。
The Whoは音源だけ聴くよりも、映像で見たほうがずっと楽しいバンドだと思う。アルバムではやけにきっちりしていた彼らが、ライブではその構築性を半ばかなぐり捨てて爆発する。この「構築を超えて破綻に向かう」エネルギーというのが、強烈にロック性をプッシュする最大の要因だと思う。
こういう爽やかブリティッシュポップも書けるのがピートの強みであり、美しいコーラスも併せ持つバンドだったからこそ後からオペラ的な方向に移行することが出来た。
『Bringing It All Back Home』 Bob Dylan
といいますか、65年以降のロック・ポップスというものは、なんかこの辺りから各アーティストの個性や方向性の多様さみたいなものが一気に花開いていき、そしてサウンドに激しい個性が表れるようになったと思うんです。
また65年はそういった変化が始まる年で、そのため60年代初めから続いたロックンロールの時代の最終期(別に終わる訳ではありませんが)であり、ロックンロール自体も成熟し、ロックンロールを統括するような名盤に溢れた年だと思います。
なので、65年からなのです。本当はビートルズの三枚目から始めても良かったのだけれど、一応一アーティストにつき一枚と定めたので、ビートルズの大事な一枚を他に回したかったので、こうなりました。
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というわけでディラン。と言っても、私がディランを真剣に、真剣に聴き始めたのはここ数ヶ月のことなんで、あまり的を得たレビューになってないかもしれませんが、どうかお許しを。
という訳で、ディランの65年作の五枚目。この作品を作る前に彼はビートルズなどと出会い、ビートルズがディランから影響を受けてフォーク的手法を取り入れたのと同じように、彼もまたエレキギターに可能性を見いだし、そこからこのアルバムで「フォークロック」を作り上げました。昔からのフォークファンからは非難囂々でしたが、これによって彼は更に深く時代とロックの形成に関わって行くことになります。
というのは歴史的価値であり、今ここで時代性を排除して作品を見る場合には関係のない話なのですが、この時期のディランというものは時代性を排除しても凄い。というのも、単純にソングライティングの力が研ぎすまされているのです。元来持っていたぶっきらぼうさとメロディメーカーな部分とが、ここでは非常に理想的な形で注入されています。ぶっきらぼうさは、とりわけロックサイドの前半では軽快なビートに乗って、ディラン流のロックンロールとでも言うべきラフでクールなサウンドを構築しています。フォークサイドの後半でもメロディを絶妙にずらすセンスは彼独自の魅力を作り上げています。
そしてこのアルバムは全編ディランの歌がいい具合にポップなのです。ロックな前半ではラフさの中にもしっかりキャッチーさがあり、軽快なリズムと合わせて強烈な60年代臭を放っています。またフォークサイドには彼のフォークソングでも最高の部類の曲が幾つか収録されています。ひねくれながらもそれゆえに非常に求心力のあるメロディが連発される様は気持ちのいいものです。
曲単位で紹介すると、ラフでルーズにまくしたてるM1、フォークロックの完成系とも言えそうな、後のニールヤングなんかの方向性ともシンクロするM4、そして代表曲と言ってもいいであろう二曲、バーズのカバーでもお馴染みのM8、そしてディランフォークの最高傑作だと個人的に思うM11なんかが好きです。
あと、全体を貫く「いかにも60's」な音も強烈な魅力です。アコギの音も声のリバーブ感も、65年の香りの魅力に溢れた良い音だと思います。
っていうかかっこいいなこの映像。
クリップをどんどん投げ捨てて演出する系の元ネタってこれなのか?
これを批判するなんて、時代の見えてない奴等。
でももし仮に当時私がディランのファンだったなら、そして下の動画のような部分を知っていれば、それでも私は批判しないだろうか。わからん。
でもロックになれたからこそ、ディランがさらに鋭く時代に切り込めた部分があった訳だし。
まあ総ては結局結果論ということで、おしめえだ、ベイビーブルー。
60‘s名盤15枚連続レビュー
くじけたりしながら頑張ります。
最初の一枚はディランからかー。
60'sMUSICに周縁から触れていこうpart3
blur / Beetlebum
ブームをすっかり陰りが支配して、バンドもマンネリし掛けていたブラーの挽回策が、見事なまでのジョンレノン方式のオルタナ的アップデートだったというのが興味深い。これには彼らのライバルにして熱心なジョンレノン信者のオアシスも「してやられた!」と思ったに違いない。
何せ引用してきたメロディ感覚が、まさにジョンが一番緊張感とサイケ感を有していた60's中期のそれだったのだから堪らない。このすぐにでも崩れ去りそうな、緊張感みなぎる美メロ、起死回生としてはあまりにハマり過ぎていて怖いくらい。
元々イギリスポップのマエストロだったブラーが、遂に覚醒し始めた頃の曲。まあデーモンはもう一段階覚醒するんですけど。で、この時期のブラーサウンドの立役者がブラーに復帰だって?今のデーモンのセンスとどう折り合いをつけるんでしょうか?アルバム楽しみ。
Elliott Smith / Say Yes
打って変わって、こちらはポールマッカートニーの一番おいしい部分を表現できるこの人。ポールは大々的じゃないメロディでアレンジの薄めな曲に良曲が多いが、エリオットスミスはそれにもっと憂鬱と孤独さを加味し、絶妙な繊細さで表現できた数少ない人物。ポールやそのフォローワーのこういうタイプの曲はまさに「天から降ってきたかのような」そのままの美しさがある。
また、その素朴さを信条とした歌のスタイルや寂しさに溢れたか細い声なんかは、結構ジョージハリスン的でもある。さすがに宗教には走らないが。その代わりドラッグに走ったけど……。
惜しむらくはやはりその早死にか。晩年はThe Bandっぽいアプローチなんかもあって、また面白いアレンジが生まれそうだったのに。
中村一義 / 主題歌
今回の最後は日本が誇る超天才ポールマッカートニーフォローワー(少なくともこの頃は)、中村一義の代表曲。こうやって見てると、ポールの暑苦しい曲ってあんまりフォローワーいない(笑)
やはりサイケ期のポールの作曲センスは鮮やかで、そして中村一義はそれを強烈に自分の個性で消化した上で表現できる、希有な存在(だった)。この異常な多幸感・万能感。どこまでも昇っていきそうな気高いメロディ、そして高らかに鳴り響く幸福のホーン隊。
もう一回、こういう路線に戻ってこないかなあ。
60's MUSICっぽさを周縁から理解しようとするアプローチ
特に、80'sあたりから60's再評価が進んでいきます。まずはドアーズやベルベッツといった割と暗黒的なバンドがニューウェーブのバンド達に参考にされるようになり、そして次第に60's的ポップ様式も、様々なインディバンドによって「再発見」され、引用されたり何となく使われたりするのです。そして、そういう様々なミックスや実験が、あとから解釈される「60'sらしさ」を形成していくのです。
まずはこれEcho & the Bunnymen / The Cutter
元々ドアーズ的なダークで奥行きのある世界のサイケ解釈で始まったこのバンドは、この辺りでその最高の成果を手にする。ジムモリソン的倒錯に満ちたボーカルが、やたら冷たい感じはするがきらびやかなサウンド(ディレイの発明!これがその後ギターサウンドをどれほど冷たく鋭くしたことか!)を纏って、しかし変な歌い方のはずなのにどうしようもなくポップで心地よい陶酔感にまで引き上げることが出来る。彼らはニューウェーブが取り入れた60'sダークさとその後現れる60'sサイケポップを、また独自の立場でリンクさせることに成功したのだ。このような実験が後のポストロックやら何やらにも援用されるし、2005年には21世紀的なアップデートの仕方でBloc Partyに引き継がれていくことになる。
60'sを僕らの手に
そういえばビートルズの全曲レビュー再開しなくちゃな。
書きたいこと色々、でも生活はどろどろ。助けてぇ(笑)
で、まずいきなり全然60'sじゃないけど、でも60'sの入り口にちょうど良さそう過ぎるこの名カバーを
Cymbals / Situation Vacant
最近やたらとシンバルスを聴き返すのですが、やはり初期の、見事な60'sの引用と昇華の嵐が吹き荒れていた頃が大好きな訳です。そんな中でこのカバーは原曲の持てる限りの魅力を彼らにとって最大限に引き出すことに成功した超名カバーだと思うのです。原曲のメロディのひねくれ具合がシンバルスにぴったり。そしてそのスタイリッシュでシンバルスの個性も大事にしたカバーの仕方。やっぱりオキイレイジはよく分かり過ぎている。
で、その肝心な名曲がこれなんです。この曲実は当時別にシングルでもなんでもなく、普通にアルバム用に書かれた何気ない一曲だったりします。しかしまたこれが非常に良い。英国的センスとナンセンスさ、そして転がっていくような可愛らしくも捻くれた、やせっぽっちな60'sらしいアレンジが絶妙なのです。やっぱりレイ・デイヴィスもまた超絶天才です。
このように、私たちは最近の人たちの60'sの曲のカバーなんかから60'sに飛び込んでいくことが出来ます。そうすればあとはもう宝の山。ひたすらパラダイス。「これぞロック」みたいな暑苦しさや型にはまった感じとは無縁の、様々な試行錯誤とハッピーさの共存する時代。
このカテゴリでそういった60's MUSICの紹介やらまとめやら考察やらが出来たらいいなと思っています。
そういえば今日ライブします。やはり、私の趣味で60's MUSICのカバー等をします。
私の所属するサークルのライブですが。
Q-FOLK定期演奏会at 天神Heart Beat
スタートは18時から。我々は一番手です。
出演バンドは以下の通り。
Sgt.TAKAHASHI's Loney Hearts Club Band←私たちのバンド
kanako
RacerG
FeedBackSensor
Thee Jolly Dogs
場所が分かりにくいですが、頑張って探してください。もしくは電話ください。
爽やかな切なさは何よりも誇らしい
タワレコがあることはとても大事。
私が福岡に住むことのメリットの四分の一くらいに当たる。
色々聴けるけど、そういえば色々見ることも出来る。
私は今日DVDを見ていた。
ブライアンウィルソンが2005年の何とかオブ・ジ・イヤーに選ばれて、
その際に催されたらしい、豪華なメンツによる表彰式。
レッチリとか、ジェフベックとかいた気がする。
でも、悪いけれどその辺は割りとどうでも良くて、
大事なのはブライアン本人に直接関係する部分。
ブライアンウィルソンは、数多くのミュージシャンの中でも、
その才能は目立つ部類であり、また、その人生においても、
他にあまり例の無いキャリアを持っている。
90年代以降のまさかの大復活を一体誰が想像しただろうか。
誰が一体21世紀にもなって『スマイル』が完成されると思っただろうか。
今のブライアンはしわくちゃで、
声だって昔の美声を保っているはず無く、良くも悪くもぼろい声になった。
外見的な昔の面影はもう、探さないと中々判らない。
しかし、そんな彼の芸術的な部分は、恐ろしい事に今も現役なのだ。
むしろ、年の流れと歴史の重み、そして再評価の嵐と大復活によって、
彼の今の存在は非常に尊いものとなっている。
この式典で彼は四曲披露した。
そのうち二曲は、彼が21世紀に作り上げた軌跡の名盤からの収録曲。
『英雄と悪漢』
『グッド・ヴァイヴレーション』
この二曲が、彼だけでなくビーチボーイズにとってどれだけ大切なものか。
少なくとも私は、この二曲に関して彼らはビートルズの先を行っていたと思う。
『刹那さ』と『美しさ』、そして『調和』が奇跡的なバランスで並立し、
スリリングな曲展開が曲中のメロウな部分を、
メロウな部分が曲中のえぐい部分を、
それぞれがそれぞれを支えあい、共鳴しあう。
私はグッド・ヴァイヴレーションの中間部は美しいと、心の底から思う。
この二曲はまた、その存在自体がブライアンにとって重荷であり、
物凄い生みの苦しみと、アレンジの混乱を経て作られている。
この過程は曲の存在に大きく関わる。
そして、この厳かな二曲の後に演奏された曲が、
『ファン・ファン・ファン』であったことが、凄く嬉しかった。
アメリカの、本当にごく普通のティーンの幸せな青春を歌ったこの曲は、
軽快なドライブ感と痛快な歌、そこに絡む楽しげなコーラスで成り立つ。
いわゆる、『ゴキゲン』な感じがパーティー会場を席巻する。
ビーチボーイズは青春を歌うバンドであった。
その青春はまあ、少し古臭いものかもしれないが、
それでも、その尊さは揺るがない。
この曲は、そんなややこしいことを考えなくとも、
ただ、聴いて体をちょっと動かすだけで『青春』に触れることの出来る、
そんな幸せな曲なのだ。
そして最後は『ラブ アンド マーシー』という曲で締める。
ピアノをメインとした、あっさりしたバラードだが、これがまた素晴らしい。
ブライアンのボーカルは年老いているが、それでも彼の熱は失われていない。
元々、曲がいい。何故にこんなメロディが存在するのか。
膨大な『刹那さ』があふれ出す曲が終わり、拍手が起こる。
それは、DVDがフェードアウトして終わるまで途切れなかった。
私は胸を締め付けられた。泣きたい気持ちになった。
人は悲しくなくても泣ける。切なさと感動によって。
それはきっと、素晴らしい事だと思う。
その感動はそのすぐ後、モーサムの新しいアルバムの試聴によって
コナゴナにされるのでした。
なんだこりゃwwwww
お金がなかったので今日は買わなかったが、今度買おう。
しかし、何でもありだなあモーサムは。

















