今日の爆笑したスレタイ大賞
友愛オソロシス
2009-07-24
ジャスコ岡田ってこんなやつれてたっけ?うわあ……。

これが↓

こうなっちゃうのかー。
友愛恐ろしすぎる……。
語感だけでキャッキャキャッキャ言ってる場合じゃなかった……。
どうしてこうなった……。
まあ企業としてのジャスコは個人的にはそんなに好きじゃないけど。
まだ五月終わってないけど五月まとめ
2009-05-25
なんか、この五月は物凄く激動な月だったなあと。痛いニュースを定期的に見てるだけでも、なんか濃い。
五月始まってすぐに、ここ数年でも最大級の衝撃。
5月2日:忌野清志郎死去
で、そうこうしてるうちにも世界的なインフルエンザの波が広がり、
ここ日本でも開花しましたね(笑)福岡も時間の問題?
5月9日:ついに日本でも3人の感染者
5月16日:渡航歴ない神戸の高校生、新型インフル確定
関西で一気に拡大か
5月20日:東京都で初感染確認
政変も。しかし良くなったかと聞かれたら、とてもそうは思えないのがなんとも。
あの画像は笑ってしまうと同時に恐怖も感じる。友愛(笑)
5月11日:民主・小沢代表、辞任の意向
5月17日:小沢氏が代表代行に、岡田氏が幹事長に内定
で、まさかの松っちゃん結婚。個人的には素直に応援したいです。
5月17日:ダウンタウン・松本人志が結婚…お相手は一般人、現在妊娠中
で、とどめはやはりこれなのか。
家で見たとき、何回も「えーっ!?」って繰り返してしまった。本当に驚いた。
ある意味、一つの時代の終わり。妙な呑気さの漂う大統領だった。
彼はおよそ理想主義者過ぎた。
5月23日:韓国の盧武鉉前大統領が死亡
もしかしたら残りの日のうちに何かまた大きなことが起こるかも。
なんか本当にとんでもない月だな。
時代のうねり・軋みを感じる。What's Going On!?
テレ朝……。及び信用について
2009-03-25
【マスコミ】 「バンキシャ!」偽証容疑者、テレビ朝日でも証言していたことが判明もう本当にがっかりした。
私は偶然、このスレにも上がっている朝日新聞の日テレバンキシャ批判の記事と社説を読んでいて、「どうせそんなこと言うけど皆アレだろう」とは思っていたが、しかし……。
マスコミのいけないところは、自身も手を汚しているくせに、それと同じように手を汚す他者を容赦なく追求し(半ば罵倒に近い形で)批判するところである。もっともらしいことを書き並べて、さも自身が聖人君子のごとく振る舞い攻撃することである。
とりわけ今回の事件は同業者が批判対象であったためその攻撃は政治的な意味合いが強く、どんなに言っていることが中立的に考えれば尤もだとしても、どうしても疑念を生んでしまうきらいがある。
教育について思うのは、マスコミを批判的な目線でもって捉える姿勢を教え込むことがあまり為されていないのではないか、ということである。むしろ新聞を読むことは無批判気味に賞賛され、というか無批判的に読み、「社会」を理解することこそが「理知的な」あり方であると吹き込まれる。もちろん新聞の害を話すものもいるが、そういったものは「新聞を読まないなんてつまらない人達!」という声に消されがちになってしまう。
実際、スポンサーが付いたり、圧力団体がいたり、視聴率やら何やらのために努力したり何したりといった理由から、マスコミの中立性というのは保たれるはずが無いように出来ている。それぞれの立場があり、それを明らかにした上で、その視点からものを言っていかなければならないのだ。
問題なのは、日本のマスコミの場合、彼等はそういった非中立性を超えた中立性を持っていると主張し、そして何より「自分たちが社会を作っている」とまで言ってしまうところにある。彼等は「ルール」なのだ。彼等は「正義」として君臨し、彼等は「裁く」。
「WBCで日本が優勝した!」とかそういうシンプルな情報でない限り、「真」である情報など何も無い。限りなく「真に近い」情報はあるかもしれないが、それですら偽造捏造嘘フェイクの可能性が残されている。私達が100%信じられる情報など、明らかな事実(これがまたややこしい言葉だが)を除けば皆無だ。
そしてこういったことは日々の生活や人間関係にも言える。人の考えなど所詮何も分かるはずも無く、信じている部分がまるっきり裏切られることもままある(そもそもその「裏切られた」というのもまた疑わしかったりする)。私達が生きていく中で、本当に信じられることというのは少しばかりの事実しかない。
ただ、こういった考えを病的に突き詰めると、神経は擦り減り、全ての事象に不安を覚え、そして誰も信じられなくなる。全てが「嘘」と「裏切り」に満ち、見るもの聴くもの全てにいちいち細かい思考の繰り返しを行い、そして疲れ、健常者(「健じょう者」)より遥かに早く老けていく。
人間関係に関しては一般的には、「挫折するたびに強くなる」とか「失恋の数だけ強くなる」とかそんなことが、様々な思惑を込めた形で叫ばれる。おそらく、上手く生きていく、もしくはそれなりに苦悩少なく生きていくためには、この「一般的」とされる言葉を信用することなのだろう。多数は正義、大衆の支持はそれなりにしっかりとした客観性と正確性と説得力がある、そう信じきることが出来れば、あなたもきっと明日から人生バラ色である。
そうじゃない人達、辛い、そうじゃない人達、「本当に信じられるものなんてそんなに多くない」と知ってしまった、そしてその考えを捨てられない人達は、辛い。突き詰めれば彼等には身を完全に預ける場所が無いのだ。孤独だ。全くの暗闇だ。そんなのを常に意識していたら、とてもじゃないけど健じょうな生活など送れるはずが無い。
結局は、その辺のさじ加減は自分で、しかもかなり適当に定めなければならないのだ。勝手に自分で「これは信じてもいい」の規格を作り上げ、それに合ったものを信じればいい。それがマスコミにも全然適応されるのであれば、まあそれでもいい。
ただ、それなりに賢くありたいと思うのならば、それなりに理性的純血を守りたいと思うのならば、常に潜在的な疑念性を抱えて生きていくのは我慢しなければならない。そして、様々な情報の中から自分の力でそれなりに信じることが出来るものを「選びとっていく」しかない。そういうことが出来る、タフな人間にならなければならない。出来ればそばに支える人やモノがあって欲しいと思っても、それに疑念を向けざるを得ない瞬間が来る、その可能性は常に抱えてなければならない。賢くあろうとするならば、常にタフでなければならない。
最後に留意しておきたいことは、上で述べたことも全部何らかの「完全に信じることなど到底出来るはずの無い」情報や経験に基づいたものであるということ。言うなれば上に書いてある私の文章も「全く信用ならない」。逆に言えば、この文章を何も疑わずに、まるっきり信じて振る舞うこと、それは賢いことではない。あれ、矛盾し始めた……?
そして、「全く信用ならない」のに、「どうにか信用して欲しい」という、最も甚だしい矛盾……。「Believe Me!」という何とも不安な願い。中二。
江頭 続報 北京編
時事ねた
2008-07-18
読売新聞に「チャイナリスク」についての記事が載っていた。「○○○(企業名)はオリンピックのスポンサーの癖に、地震に際しての義援金が少ない!ボイコットしよう!」
こんな書き込みがネット上で多くの支持を集め、実際に実行される有様。もちろんこんな意見が中国人のすべてではないとは思うが。
「自分たちが救われないのは他国が我々に対して誠意に欠けているせい」とか、
「他国が我々を尊敬し、保障するのは当たり前。反中などありえない。」とか、
そういう態度自体は古くからの中華思想のせいか。
このような態度の背景にあるのは現状の右肩上がりな経済発展である。
一ヵ月後の北京オリンピックは、間違いなくその国家発展のひとつの絶頂となる。その後中国経済が落ち目になるのか、それとも更なる発展をするのか、それは分からないが、それでもオリンピックという事件の経済的重要性は揺るがない。
なぜ、ここまで極端な排他的ナショナリズムや、粗悪品の大量輸出などが世界中の知るところとなっているのに、それでも中国は経済発展を続けるのか。それは、資本主義的な見地からいえば、人道性などを廃した視点で見れば、現在の中国の生産システムがまだ「OK!」な領域にあるということになる。
「信頼」というものは西洋的現代資本主義にとって非常に重要なポイントだ。戦後日本人ががんばって点数稼ぎした時もこのポイントは重視された。
しかし、どう考えても中国製品はその「信頼」を勝ち取れていない。それどころか次々と明るみに出される不安材料の多さは、人々の心を「信頼」と真逆のベクトルに動かす。なのに中国製品は世界中で売れ続ける。
どう考えても理由は簡単だ。「ある程度妥協できる範囲の品質で、圧倒的に安い」こと。私も近くのルミエールを頻繁に利用するのでなんとも言えないが、少なくとも上の事項と信頼を天秤にかけて、見事に信頼に目をつぶる人が、企業にも民衆にも多いということだ。
つまるところ、「安さ」は「信頼」を遥かに凌駕するものなのか。
確かに御立派な教養があって、収入もそれなりな中流階級以上の人たちはそういうことを避けるだけの誇りを持つ余裕があるかもしれない。しかし、都市に住む学生やら若者やら低所得層やらワーキングプアやらはどうか。彼らは「決して心からの馬鹿ではない」ので、自己の経済力を鑑みて行動する。もちろん食に気を使う人もいるだろうが、特に割と無軌道気味な青年期(正直しょうがないと思う。時代のせいとかそういうのじゃなくて、元々そういう傾向の時代だと思う)の多くは、都市の他の可能性(幻想かもね)に散財したいのだ。食はどうなる?当然切り詰められる。そんな時、商品の「信頼」が優先されるだろうか。
まあ、最近では船場吉兆みたいな、「高級による信頼」というのが揺らぐ事件も起こっているのでなんとも言えないが。
別に私は、「そんな安さばかりを追求しないで、安全なものを食べなさいよ」と言いたい訳じゃない。私だって吉野家に何の不満も抱かないタイプの人間の一人だ。そんなことを書く気など毛頭無い。
つまり、「信頼」よりも「安さ」を優先する層というのはかなり大きくて(「格差社会」政策も役に立っていますね)、そういう人たちの需要の絶対量はそうそう変わらないということだ。
ならば、このままそういう需要によって中国の天下は続くのか。
しかし、果たしてそんな需要に中国がずっと応えられるものだろうか。
多くの人々が中国製品に求めるものは「安さ」の一点に尽きる。その安さの源が、まあ原料の劣悪さとかそういうのは置いといて、何よりも人件費の圧倒的な安さである。
どうしたらそんな安い人件費で人を使い続けられるか。
まず、中国の通貨の国際的価値の上昇は押さえなければならない。かつて日本が円高によって何度も苦しんできた(今でも?)が、発展の規模やスピードが一回り大きい中国にとって、急激な「元高」はまさに即死に至る薬なのである。つまり、中国は自国の貨幣価値を低く抑え続けなければならない。しかしこれは果たして、中国の国際的地位の向上と並行して行っていけることなのだろうか。
また、その安い賃金で使われている一般民衆に不満を抱かせないことも重要だ。賃金の向上、労働待遇の改善が国の経済に直結する。そのもっとも極端な可能性を現在の中国は秘めている(国の規模が規模だからな)。可笑しなことに、マルクスからの流れの共産主義国家であるはずなのに、労働者の一定以上の待遇の良さを認めるわけにはいかないのだ。それは経済発展の死につながる。
そのように国民に不満を抱かせないようにするには、それこそマルクス主義などの思想は国民には必要ないのだ。もっと言えば、そういう類の知識は無ければ無いほど治めやすい。つまり、国民は馬鹿なら馬鹿な程いいのだ。
その考えに則って今の中国国民を見てみると、なるほどある程度理に適っていそうな部分がちらほら見える。極端なナショナリズムは国民を盲目にし、中華思想が他の思考を国民が発見するのをシャットアウトする。しかも国民の不満はナショナリズムによって、賃金の安い雇用主ではなく他国という巨大で曖昧な概念方向に向かう。いやいや、共産党アッパレである。
しかし、そういった事柄が致命的に悪いほうに作用し続けるのが今回のオリンピックなのだ。
まさに中国共産党は今、進むも地獄、戻るも地獄の状態にある。海外から来るサポーターを目にして中国人たちは自分の生活水準の劣悪さ(いや実際は違うのかもしれん)に気づくのだろうか。サポーターの中国滞在が確実にもたらすであろう「信頼の失墜・マイナスへの進行」は「安さ>信頼」の図式を変えてしまうのだろうか。
また、もし仮に何の問題も無くオリンピックが終了し、中国が世界から賞賛されるとすると、それに伴う中国の国際的評価の向上から「元高」が起こってしまうのではないか。それで困るのは誰だったかしら?
「中華人民の愚かさを維持しながら、国際的評価も上げる。つまり挟み撃ちの形になるな。」と。
北京オリンピックは、まず間違いなく911に並ぶ21世紀の一大「歴史的事件」になるだろう。その歴史的大事件に立ち会える私たち。果たして幸せなのかどうか。戦争はちょっとゴメンですね。











