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『うたかたの日々』 岡崎京子

2008年05月27日 23:44

これを読み返したので、これは一度レビューしたけど、また一から書きます。
うたかたの日々うたかたの日々
(2003/05)
岡崎 京子ボリス・ヴィアン

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まず初めに断らないといけないことは、私がこの漫画の原作である、ボリスヴィアンの小説『うたかたの日々』を読んでいないことだ。前にレビューしたのは去年の10月で、それから随分経ったのにまだ読んでいないって……。

この本は『ヘルター・スケルター』と同じく、作品自体は90年代に完結していたのに、作者の事故等の理由により長らく単行本化しなかったものである。結果確か2003年ごろに『ヘルター~』とこれが結構同時期に単行本化された。片や岡崎京子の、いや日本漫画界の最高峰である『ヘルター~』と、片や世界的に有名な文学作品の「オカザキ流」リメイクであり、この二作がなかなか単行本化されなかったのは日本漫画界における最大級の不幸だと思う。

この話は、半分幻想小説である。だってソーセージが逃げ出したり、ネクタイが噛みついたり、蛇口からウナギが出てきたりしないだろう……。でも、そういう描写は単に荒唐無稽なものではなく、何となくそのセンスが羨ましくなるような登場の仕方をする。多分これは原作がそういうものなのだろう。ただ、所々そういう比喩に関してオカザキリメイクが利いていて、「ピアノカクテル」なる、ピアノを弾いてそのメロディに合わせてカクテルが出来るという訳の分からない代物は、ピアノがターンテーブルに代わっていて、まあやっぱり訳分からん。でも、そういった幻想的なニュアンスを岡崎は時にキュートに、時にサイケデリックに、そして時に非常に冷徹に絵で(または文章を原作から引用して)表現する。今回読み返してやっと、その辺のセンスが少し理解できた。最初は訳分からなかったからね。

で、話の筋は恋人が死んじゃうラブストーリーで、こう書いちゃうと、この日本には、われわれ日本人が誇る『世界の中心で愛を叫ぶ』だとか『Deep Love』とか『恋空』とかがあって、なんだよそんなの今更だよ~とか言われてしまいそう。だが、この作品が圧倒的なのはその華やかさと滅亡の明暗の激しさ、先の幻想風味な作風とも関係する優雅さと切迫感であろうか。舞台がそもそも多分フランスあたりの貴族の話なんで、先に上げた作品とは根本的に異なる(というか、先に上げた作品とこの小説を並べて語るなんて、「ボリスヴィアンに失礼だ!死ね!腐れ!弾け飛べ!」と言われても仕方がないな……)。そもそも、恋人が衰弱する理由が、胸に咲いた睡蓮の花という設定が凄い。どこからそんな発想出てくるんだろう。

で、その恋人の衰弱と同時進行で、登場人物たちも次第に光を失っていく。その落ちっぷりがまた享楽的な部分と悲惨な部分が入り混じって辛いものだが、そういうのが元から大得意な岡崎センセは、もう徹底的な描写でその落ちっぷり・閉塞感・終末感を書き出す。一話につき一回出てくる見開きのページは、幸せそうな風景も幾らかはあるが、大抵は不穏な風景が映る。落書きされた路地を歩く夜中、配管剥き出しの汚らしい工場地帯を通る主人公たち、「狭く」なっていく部屋、貧民街、この辺りのセンスは完全に岡崎ワールド全開というか、彼女の解釈に依るところが大きい。その圧倒的な退廃感・空虚感。そのうち崩れた風景は何とも、何とも美しいのだ。この話は、最後に救われるとか、意外な結末に落ち着くなんてことは無い、見事なバッドエンドに収束していく(そういう意味では、最後にまさかの展開を見せる『ヘルター~』と好対照を成している)のだが、岡崎京子が、その『リバーズ~』で完成した冷やかで、破滅的で、寂しげな世界観を持って描くと、その話の重さ、悲惨さ、悲しさはより大きいものとなる。

元々破滅していく話なので、最初は読み進めるのが幾らか辛かった。しかし慣れて来てからは、その凶暴な「破滅の美しさ」が、強烈に胸を掻き立てることとなった。これを読んで「切ない……」なんていう月並な感想しか抱けない人というのは感受性的に信頼できない。死にゆくクロエの儚さが、それを心配しながら没落していくコランの無残さ・情けなさがなんとも美しい。岡崎はそういうものを描写することにかなり特化した漫画家ではあるが、この作品はその中でも彼女のそういった側面が前面に押し出されている。

ともかく、この「睡蓮が胸を突き破ってしまいそうな」美しく無残な物語は一見の価値がある。筆者流のフランス的オシャレ文化への拘りなども良く表れたこの作品は、まあ流石に最高傑作ではないにしても、彼女の作品の中でも相当出来が良く、また特殊な立ち位置を有したものと言える。まあ、雰囲気を重視するあまり、説明不足だったり良く分らなかったりする部分も幾らかあるけれど、そこは読む人が自分のセンスで補完しましょう。





昔の自分のレビューと比べて文量が少なくなったのは、効率化が進んだのか、ソフィスティケートされたのか、こういうのに掛けられる熱量が減ってしまったのか、単純に年なのかどうなのか。勝手に悩んでしまう。
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『東京ガールズブラボー』

2008年05月27日 22:37

東京ガールズブラボー 上巻  ワンダーランドコミックス東京ガールズブラボー 上巻 ワンダーランドコミックス
(2003/02)
岡崎 京子

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東京ガールズブラボー 下巻  ワンダーランドコミックス東京ガールズブラボー 下巻 ワンダーランドコミックス
(2003/02)
岡崎 京子

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アマゾン、なぜ画像が無いんだ……。


この作品が書かれたのは90年の年末から92年の年末、彼女にしては中々の長期連載で、実際上巻と下巻に分かれている。時期としては『PINK』などを書き過渡期を迎え、そしてこの連載のいくつか後に来る長期連載がリバーズエッジである(間に二作品長編がある。私はそのうち片方しか持っていない)。私がここ最近の岡崎京子関連記事を書く際に参考にしたサイト(http://page.freett.com/tach/okazaki.htmlポップアップがややウザイですが)の方に言わせると『もし仮にだが、岡崎が「リバーズ・エッジ」を書いていなかったとしたら、この作品が最高傑作となっていただろう、と私は思う。それほど好きだ。「リバーズ・エッジ」前における最良の岡崎がここにある。』とのことだが、確かに『PINK』以降の彼女はいよいよ自分の強烈な個性とそれを表現する能力が飛躍的にアップし、そしてその一つの素晴らしく突き抜けた結晶としてこの作品が存在する。



話の大筋は、作者がリアルタイムで青春を送った80年代カルチャー、特に所謂主流に対するサブカルチャー的なものを、作者が以前に書いた『くちびるから散弾銃』という漫画のキャラクターの番外編に託して描きまくったものである。文化的センスに関してはやたらこだわりがあるらしい作者なので、その書き込みや尋常じゃない。『くちびるから~』でもバブル期のオシャレ文化を総ざらいした作者が、今度は80年代ニューウェーブの頃を書き出したというわけだ。『くちびるから~』は、三人の女の子が、特に本筋となるストーリーも無く、ずーっとおしゃれとか乙女とか何とかの話をするだけの、一種のバカ漫画(全然悪い意味ではありません。面白いです。キャラが飛んでるからなあ)ですが、『東京ガールズブラボー』はその三人、もしくはその三人に似た三人の女の子が、やっぱりオシャレとか音楽とかクラブとかそういうのの話をしている漫画な訳です。しかし、こっちはそれなりにストーリー性はあります。まあ、前に紹介した三作品よりもずっとずっと『軽い』話であることは間違いありませんが。いやでも、『軽い』って言うのも陳腐なわけではなく、むしろキラキラした青春の疾走が非常に軽やかに暴走している(でもイービルな感じはそんなにしないよ)のを見て楽しむ漫画です。いや、本当に面白いんですよ。



まず主人公。もしかしたら岡崎京子漫画の中で最も狂ってて、最も爽やかな主人公かもしれません。名前は金田サカエ。『くちびるから~』の三人の一人で、「金のボディとトーフののーみそを持つ少女」です。彼女が高校生の時に彼女の母親が父親と別居する事になり、札幌から母子で実家のある東京に向かうところから話が始まります。オシャレでクールで先進的(そして安易な「流行」に乗っかっていない)なものが大好きな彼女は、正に文化の中心地東京に目を輝かせていた。そこで『くちびるから~』の三人のうちのほかの二人と出会って、色々幻滅したりもするけど(東京は『流行』の街ですからね)、色んな体験をして、ちょっぴり成長したのかどうか分かりませんが大切な時を過ごすというストーリーです。彼女は非常に自分の欲望に忠実です。それが凄く笑えますが、時々それが素晴らしい風に見えますのは本当に青春のきらめき。『PINK』のあとがきで作者はこう書いてます。

現在の東京では「普通に」幸福に暮らす事の困難さを誰もがかかえています。

でも私は「幸福」を恐れません。だって私は根っからの東京ガール、ですもん。

金田サカエという女の子は、まさにこの「幸福を恐れない」を地で行く女の子です。普通の人なら、ある幸福を追い求める事によってもたらされるリスクとかをしばしば気にしてしまうものです。でも彼女はそんなの全然気にしない。そして妄想全開!カッコいい服やカッコいい音楽や素敵な出来事に出会うと、彼女はいっつも素敵でオシャレな自分のことを想像して盛り上がります。他の二人もそのケはあって、だから三人は凄く仲良しになって、傍からみれば本当に色々と甘酸っぱい思い出を作っていくわけです。以下金田サカエのバカ名言集。

・待ちを歩いたらサカモトキョージュやハジメちゃんに逢えるかも――でもキョージュに逢ったらぬけがけして愛人になっちゃお!

・(クラスの自己紹介で)金田サカエ16才!――しょーらいのユメは外人になることです!

・トーキョーの人ってトーキョーの人なのにYMOの「増殖」みたくテクノでサイバーじゃないのお!!

          (本当にほんの少しだけ抜粋)


彼女はともかくバカで、自分の欲望やユメ(ぶっ飛んだユメばっかり)に正直で、非常にパワフルな女の子です。でも、援交とかは全然しません。それどころか彼女は『くちびるから~』の時期、もう年的には大人なんですけど、その頃でも純潔を保ってるんです。まあ彼女の周りでは色々あってるみたいですが、彼女自身はなんとも健康的ですがすがしくぶっ飛んだバカ、愛すべき大バカ者なんです。きっと多くの人が初めは笑いながらも、そのうち彼女のバカさにちょっとした憧れさえ抱くんではないかと思うほどです。まあ、実際に回りにこういう女の子がいるとどう思うかは分かりませんが。



凄くバカなのに、彼女は時々非常に的を得たようなことを言います。それは時代が変わっても変化しない、若者のテーゼみたいなものです。

・明日の事はわかんないけどさあ、とりあえず今夜はパァーと行こうよう。

・今こうしてる間にも新しいこと面白いことが起こってるのに何も出来ないなんて、すごくじりじりする。

・なんかもっと夢見るようなうつくしくて正しくて別の世界ってないもんかにゃあ。

・それはとてもワクワクしてドキドキして新鮮で胃が痛いくらい、頭痛がするくらいカッコ良くて楽しいことよ。それはすっげえカッコイイ音楽を聞いたときのような感じ、そういうことがやりたいの。でもむつかしいのは……それが具体的にどういうことで、どうしたら自分で出来るかがかいもくわかんないことだわ


そして繰り返されるアホな暴走行為。夜を忘れて遊ぶのはしょっちゅう、親の指輪盗んでその金でホテル泊まって遊びまくったり、怪しいエロ雑誌の対談に出演したり、賞金が欲しくて突如マンガを書き出したり。最後には親が復縁して札幌に帰ることになるんですけど、それがイヤで飛行機を飛び出してみたり。ともかく、非常に活発な彼女たちの様子を見てると、本当に退屈しません。そうだよなあ青春って……。くそうオカザキめなんてものを書くんだ。その素晴らしさに思わずミクシィネームとかを借用させてもらった私はこれを読んでは何度も憧れの気持ちが溢れかえって頭の中がぐるぐるする。そうなんだ、バカで突き抜けることこそが青春の重要なトコロなんだ(それを無意識にやってのける事もかな)!!!



岡崎京子がここまで素晴らしい青春壇を書いているとはと、リバーズエッジその他における冷徹でクールな彼女に対するイメージを私はこの作品で一気に覆されてしまった。そうはいってもまあ、確かにこれ以前の作品よりも視点のクールさは上なんだけど、この作品に関してはそのクールさでは隠し切れない、作者の青春に対する、80年代に対する、若者に対する、幸せに対する思いが爆発している。岡崎京子らしいぶっ飛んだ演出もところどころにあって、でもそれらは爽やかさを阻害するほどではなくて、一気に読み終えると本当にフレッシュで、そしてちょっと切ない気持ちになる。ハードな岡崎作品以外にも触れてみたい人にはもう本当にオススメする、文化的、青春思想的一大スペクタクル!ああ、言い回しが陳腐だ!!!!!!要約します。超面白い、読め!!!!!




流石にこのレビューは読み返すとちょっと恥ずかしい。でもなんだろう、凄く懐かしくなるし、凄く切なくなる。

『ヘルター・スケルター』 岡崎京子

2008年05月27日 22:31

ヘルタースケルターヘルタースケルター
(2003/04/08)
岡崎 京子

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岡崎京子の漫画家としての活動期間は大体96年までである。この年に彼女は散歩中に飲酒運転の車に引かれて生死の狭間の危うい状態を彷徨っていて、今もその傷と戦い続けていると言う有様である。この事故は一部の世界では、所謂漫画界の94年、カートコバーンの死に近いような感じを受ける。もちろん彼女は自殺はしていないし、しかもまだ存命である。しかし、少なくともこの事故によって彼女はその才能の放出を止められ、どうしようもない状態に陥った。こうなってくると本人の意思に関係なく現れてくるのは、『それまでの業績の伝説化』である。私は何となく、彼女は日本漫画界のカートコバーンな気がしている。偽悪的で下劣で過激な表現、その表現技術も乱暴で粗野なものであり、しかしその表現の底に宿るどうしようもない繊細さ、優しさなどの本質に迫るようなもの、そしてやはり、90年代的な社会の、街の、都会人の『行き詰まり』『閉塞』を激情的かつクールに表現したことなど、二人を繋げるファクターには事欠かない。つまりは、彼女の漫画界からのやむを得ない離脱は、漫画界にとって物凄く大きな痛手であったと私は思うのだ。



この作品『ヘルタースケルター』はそんな彼女にとっての『You Know You'r Right』である。いや、もっと大事な、言うなれば「カートがインユーテロ完成前に死んだと仮定して、カートが死んだせいでインユーテロがずーっと発売できなかった」みたいな状態を想定してもらったらいいだろうか。この作品は彼女のキャリアにおいて正に最後期の長編であり、彼女が事故にあう直前の時期まで書き続けていたものである。その事故があったものだから、一応作品としては完結しているのだが、最後に「To Be Continued」と書いてあることといい、話の流れといい、まるでまだ続きがあるのではないか、またはこの続きが読みたい、と人々に思わせるような作用がある。そして、彼女は自分の作品が単行本になる際には常に大量の加筆をする作家であったが、この作品に関しては単行本化の話が進む前に事故が発生し、彼女が動けなくなってしまったため、ずーっと単行本化されず、2003年に遂に単行本になって世に出るまで、長らく幻の名作とされてきた。そのボリューム、クオリティ、テーマからして彼女の創作に於ける明らかな一つの頂点・臨界点であったにも拘らず。



簡単にあらすじを。この作品のストーリーの大筋そのものは、彼女の他の長編作品よりも分かりやすいものである。主人公の「りりこ」はイマをときめく資本主義世界の大スターの女の子である。それはその素晴らしいルックスによるものだが、その彼女の体に大きな秘密がある。整形美人というのは芸能界にもよくある話なのかどうかは知らないが、この主人公の場合、「もとのまんまのもんは骨と目ん玉と爪と髪と耳とアソコぐらい」という具合の整形美女なのである。とある美容クリニックのいかがわしくも恐ろしい研究の成果が彼女であった。元々は太っていて『美』とはかけ離れた存在だった彼女が、体に物凄いメスを入れて美人の体を手に入れたのである。しかしそれは人工物。特に全身ともなれば次第に手術の後遺症や、ちょっとした傷が段々に彼女の体を蝕んでいく。彼女の体は生きたままに崩壊していく運命にあった。



普通の漫画なら、まず整形で手に入れた素晴らしい時代の栄華を描いて、中盤くらいからこの崩壊の苦悩を描いていくものであろう。しかし、この作品は一話目でいきなり彼女が自分の傷に気付き、大変な混乱状態に陥る。そして、一話目のうちに自分の栄光も終りが近い事を悟る。普通の漫画なら、この部分の悲しみと葛藤に多くのページを割くだろうし、主人公が悩み続けるのがセオリーであろう。しかし、ここに正に岡崎京子の素晴らしい個性が見られる。彼女はそれを悟って泣いた後に、不意に笑い出して、そしてこう言うのである。手元に本が無いので微妙に違うとは思うが。

ハアーッハッハの大笑い!誰がお前らの思う通りになるかよ!

そうよ、あたしは絶対に幸せになってみせるわ、さもなければみんな揃って地獄行きよ!


彼女は自分が美貌を失うことで起こりうる色んなことを理解した。世間から自分が見捨てられる事とか。しかし彼女はすぐに泣き止み、自暴自棄を通り越した戦い、ヤケクソの辿り着いた最終地点での戦いを始める。そして彼女は多くの人を巻き込んで、崩壊していく自身をよそに、とにもかくにも酷いことをしまくるのである。そのタフさには本当に参ってしまう。多分岡崎漫画の主人公、基本的にあまり悩まないさっぱりした(冷めたとも言う)主人公ばかりのなかでも特にその傾向が激しい。非常にクールで、さっぱりして、ボロボロなのに力強い(それは初めに完全な絶望があるからで、決して明るいものではないのだが)。同じ作者の『東京ガールズブラボー』の主人公とは、方向性は全く違うが、その思い切り具合やタフさの面では似通った部分がある。



そして誰もが思うだろう、彼女は破滅に向かって暴走しながら突っ走っていくが、その最期は物凄く寂しいものか物凄く悲惨なものであるだろうと。岡崎京子の恐ろしさというか物凄さというかはここで物凄い結末を用意している。これが果たして希望なのか絶望の果てなのかは、まあ読者に委ねられていると言ってもいいかもしれない。



作品全体を通しての冷徹さ、クールさは彼女のキャリアの中でも、更にはこれまで全ての漫画の中でも随一である(オマエ全ての漫画を知ってるのかいってツッコミ待ち。知ってるわけ無いだろう!!!)。彼女が元々持っていた少女漫画的な丸みを帯びた描写は完全に跡形もなく、リアルではないし線もよれているが非常に平面的で鋭角的なキャラクターたちが苦しんだり、嫉妬したり、思索したりする。女性にとって普遍的なテーマである『美しさ』に対する視線も、これまでになく冷たく痛い。しかし作者は別に美しさを追い求める事を馬鹿なことだと斬って捨てるつもりは無いようだ。情景描写や場面転換、コマ割とかページ構成とかといった技法的な面でも作者はここでひとつの大きな高みに到達している。モチーフや暗喩が何度も使われ、場面転換にも最も衝撃的になるようなネームの割き方をしている。この作品が手塚賞を取ったのは、話自体の面白さはもちろんの事、それを伝える技法面でも素晴らしいものであった事が大きく関与していると思う。その分、曖昧で複雑な描写みたいなのはかなり減っていて、その部分が好きな読者にしてみれば少し残念かもしれない(リバーズエッジ的な間の取り方はしていなくて、もっと具体的か象徴的なのだ)。



感情の書き方も、甘い部分は少しも見られない。緊張感を削ぐようなどうでもいい描写はまったくといっていいほど存在せず、そのため多くの感情が存在して複雑に絡み合うにも拘らず、読む際のスピード感はしっかりと保たれている。『破滅』という誰もが想定するゴールが見えていて、それに向かっていくみたいにストーリーが進んでいくので、不要な『意外性』が引っかかって減速することも無い。そして、ゴールに辿り着く直前で、読者の多くはそのゴールが思わぬ方向に向かうのに気付く。これにはもう感心するほか無いと本当に思う。



ヘルタースケルターというのはビートルズの曲名で、ホワイトアルバムの二枚目に入っているポールマッカートニーの作品である。初代ヘヴィロックともいわれるこの曲だが、タイトルの意味はどこかの公園の滑り台なのだそうだ。他にも「狼狽(する)、混乱(した)」という意味があるらしい。岡崎京子はこの作品に本当に素晴らしくフィットするタイトルをつけたものである。正に主人公は狼狽しながら一直線滑り落ちていくのである。そして普通にフェードアウトで終わるかと思ったら……「I've got blisters on my fingers!!」にあたる素晴らしいオチが待っている。



この作品、間違いなく岡崎作品の中でも最重量級の作品である。読むには体力がいるかもしれないし、読み進めるのが辛い人も存在あするかも知れない。この作品の有する空気は重くて冷たくて濃い。しかし、それでもそれは人の興味を掴んで離さないだけのキャッチーさは持ち合わせているし、決して読者を突き放していい気になっている漫画などではない。様々な現代的な社会問題も登場するし、それに対する作者の気持ちも所々で顔を覗かせる。確かに『リバーズエッジ』とかみたいな叙情性や『東京ガールズブラボー』的な感傷性は失われているが、それを補って余りあるエネルギーが作品中を所狭しと暴れまわっている。権威主義者の方も手塚賞って聞いたら手に取るでしょ。いや、そもそも賞とか関係無しに、私はこの作品は手塚治虫から続く漫画の歴史の中での、一つの頂点と思っている。漫画の枠を超える、というか、漫画はここまで表現できる、ということに未だに驚きを感じる。

『リバーズ・エッジ』 岡崎京子

2008年05月27日 22:29

リバーズ・エッジ (Wonderland comics)リバーズ・エッジ (Wonderland comics)
(2000/01)
岡崎 京子

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岡崎京子レビュー第二弾。これはマジしんどいかも。あなたの人生・価値観を変えたものは何ですか?少なくとも私のちっぽけな価値観の半分くらいは一度この漫画の色に食われた。

とりあえず、『ヘルタースケルター』が漫画終了から約7年くらい経った2003年に始めて単行本として世に出るまでは、岡崎京子と言えばこの作品だった(まあ今でもそれはあんまり変わらないのか?)。93年から94年に書かれたこの作品によって彼女は正に漫画界のアナーキスト、サブカル界の女王としての名声を欲しい侭にした(彼女がそれを望んだかは別として)。タイトルは同名のアメリカの映画からだったかな。この映画については何にも知らないので、何も語りません。語れないのです。



この作品を覆うのは、圧倒的に冷めた世界観とあまりにも痛々しすぎる青春の暴走の過程である。表紙からして、キャラの目はみんな冷めている(注・表紙が二パターンあって、古い方の版の表紙はそうでもない目をしてたかもしれません)し、工場から吹き出す煙の風景や、街の遠景などがそのキャラの絵と共に表紙に添えられている。表紙をめくると可愛らしい熊のぬいぐるみがカラーで書いてあって、その次のページからが本作の始まりであるが、そこにはさっきの熊のぬいぐるみがズタズタになっている絵が綴られている。

あたしたちの住んでいる街には河が流れていて

それはもう河口にほど近く 広くゆっくりよどみ、臭い


この象徴的なモノローグと共に物語が始まる。ストーリーの説明が結構面倒なのだが、主人公はまあ普通の女の子『若草ハルナ』で、まあありていねいに言えば彼女の周りで色々なことが起こるんですね。同じクラスのいじめられっ子がアレだったり、ボーイフレンドがいるけど主人公はもう冷め切ってたり、人気モデルが同じ学校にいたり(因みに彼女は『ヘルタースケルター』にも登場し、主人公を追い詰める大きな要素として重要な役割をするが、キャラがリバーズ・エッジとは結構異なっている)、さっきのいじめられっ子には彼女がいるが彼はやっぱりアレだからまるで興味が無かったり、主人公の友人の女の子は性的少女だったりと、非常にグチャグチャとした嫌ーな人間関係があり、それが彼女の筆力によって余分な情報と熱を切り落とした素晴らしい描写で表されています。そして、先述の川辺にはあるものが落ちていて、まあこの話はそれを巡る話であります。いかん、ネタバレを避けようと思うとちっとも話の根源に辿り着けん。



話は三話目くらいからぶっ飛びます。あるものの登場と性春。こういった描写はこれ以前の岡崎京子作品にもありましたが、ここでの描写の『冷ややかさ』は凄いものです。それまではどんなに酷い場面でも絵が可愛かったり、雰囲気がまだ少しだけ明るかったりするんですが、ここでのそれらの描写は本当にクールそのものです。ソニックユースのクールさ加減は有名ですが、あれみたいにキンキンに緊張しきった描写がずっと続きます(岡崎氏はソニックユースの大ファンだそうです。なるほど!)。物語はどんどん不穏に加速していき、事態は急速に閉塞していき、いくらかの不吉な予兆が訪れ、そして遂には崩壊が繰り返されます。この崩壊の様子が正に悲惨。一つの崩壊が別の崩壊を呼び、それらとは別のところの崩壊も連鎖し、そしてやがてそれは最終的で決定的な破綻に辿り着きます。うわあこれってネタバレじゃねえ?書き直すのが面倒くさいから続けます。



その、最後の破綻の場面ではウイリアム・ギブソン(私、この人についてはここ以外何も知りません)の詩を引用してあります。黒の背景にその詩が書いてあるのですが、これが正にこの作品を、そして更にはその外側の世界、つまりは現代社会という『平坦な戦場』で暮らす我々の生活世界をも暗示するような、非常に意味深な詩です。

この街は悪疫のときにあって 僕らの短い永遠を知っていた

僕らの短い永遠

僕らの愛

僕らの愛は知っていた 街場レヴェルののっぺりした壁を



僕らの愛は知っていた 沈黙の周波数を

僕らの愛は知っていた 平坦な戦場を



僕らは現場担当者になった 格子を解読しようとした

相転移して新たな配置になるために

深い亀裂をパトロールするために

流れをマップするために



落ち葉を見るがいい 涸れた噴水をめぐること

平坦な戦場で 僕らが生き延びること


中二とか言う奴はほっとけ。

ともかく、この詩が流れてくる頃には緊張は既に決壊していて、どんどんと話が落っこちていき、その最終地点に向かいます。この流れのカタルシス具合は多分読まないと分からないだろうし、人によっては読むのが辛いとか言いそうです。



幸いなのかどうか分かりませんが、私はとても平和で、割とどろどろした話の無い世界に生きているつもりですが、それもきっと薄皮の上での話であって、ちょっと潜ればドロドロとした話が結構転がっていることをしばしば認識します。また、人間の感情というのは喜怒哀楽のバランスで出来ていて、例えば自分の『喜』や『楽』のために他人に自分の『怒』『哀』を向けたりすることがあります。ちょっとしたことで人を憎み、それが時が経つごとにぶくぶくと肥え太っていくことがあります。自分の期待が崩れ去るのが怖くて、虚しい行動をしてしまう事があります。この作品が描く感情の嵐は、私たちのそういった複雑に入り組んで破壊的な感情の極端なサンプルです。人を殺したいほど憎む事ってあります。後ろめたい気分にだってなります。そして、どんなにそんな気持ちをどうにかしようと整理したって、無常にも意味の無い朝を迎えてしまうのです。この作品はそこについて決して安易な答えは出していません。ただひたすらに、奈落の底、闇の淵に突き落としてしまうだけです。そういう感じの話は文学では一つのジャンルとしてしっかりある気がしますが、漫画でこの手の話ってのは、まあ商業的に考えても難しいと思うし、またあまりにスノッブ過ぎても意味を失うだけで、この作品レベルのものというのはそうそう無いです。緊張感が辛いという漫画読みには薦めません。漫画の絵は線がしっかりしてこそだろうという人はどうぞ綺麗なマンガを読んでください。中二病と馬鹿にするなら馬鹿にして見下していればいいです。ただ、少なくとも私は、この作品を読んで、根本的な価値観の方向の修正を迫られたものです。そして私は、このマンガを読んで感じるものがあった人を信じたいです。


『Pink』 岡崎京子

2008年05月27日 22:24

カテゴリ整理のために再掲。久しぶりに彼女の作品をいくつか読み返したのだ。
PinkPink
(1989/09)
岡崎 京子

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岡崎京子という作家は、独特の痛々しい青春描写とアヴァンギャルドなストーリーがその特徴としてよく挙げられますが、その側面はどちらかと言えば90年代に入ってから、彼女の描く絵がどんどんと少女漫画的デフォルメを剥がされていく時期から加速していくもので、もちろんそれ以前の作品も結構ぶっ飛んでいるんですが、何というかまだ平和と言うか、クールなまでの残虐描写は結構少なく、まだ可愛らしさをストーリーにも絵にも残している感じです。と言うか、私個人としては岡崎作品で好きなのはやはり90年代の作品群であって、80年代までのものの多くはそれほど思い入れはありません。だからこうやって知ったように書くのは問題があるのですが。



で、この作品ですが、この『PINK』は89年の作品です。そしておそらく、この作品こそが彼女の90年代的傾向への加速装置となった作品でしょう。彼女の他の80年代作品と比べて、より『90年代的』な側面を持った作品なのです。しかし、それでもやはり絵はまだ彼女独特の可愛いけど気味の悪い感じはまだ出ていなくて、普通の少女漫画にまだ近いかなって段階に留まっています(もしかしたらこの辺が私が買い控えた理由なのかもしれません)。話の雰囲気も割とまったりとしたハッピーさが作品を通して見受けられます。もちろん90年代もハッピーな描写は彼女の作品に何度も何度も出てくるのですが、90年代のそれはなんというか残酷さと隣りあわせと言いますか、いつこの幸せが崩れるんだろうと緊張感を持って読んでしまうタイプの緊張感です。80年代の彼女の作品の多くはそこがまだそれほどでもなくて、設定は極悪で悲惨でもどこか明るい雰囲気が漂います。

ですが、この作品に限ってはこのハッピーな雰囲気は、確かに割と似た形で残っていますが、緊張感や倦怠感、そしていつ崩壊が始まるんだろうというスリルも含んでいます。これはこの作品の過激で歪な設定によるところが大きいです。この『歪』な感じがこの作品を特に80年代の彼女の他作品や90年代の作品群から切り離す大事な要素です。まあ要するに彼女にとってこの作品は過渡期だったのでしょう。80年代的作風から90年代方式に脱皮する途中の作品です。



簡単に設定の説明を。主人公は女の子ですが、この設定が相当特異です。まず、主人公は昼間はOL、夜は売春をやってお金を稼ぐ女の子です。岡崎作品の中には物欲まみれの女の子が頻出しますが、彼女もその一人です。そして、家でワニを飼ってます。この辺が非常に突飛な設定ですが、何故彼女がワニを飼っているのかは作中にははっきりとは書かれていません。しかし、その辺の理由っぽいものが彼女のセリフに出てきます。

(餌を食べるワニに向かって)いいっていいって気にしなくて オマエは私のスリルとサスペンスなんだから

(主人公の妹がムカついた近所のプードルをワニに食わせる場面で)おもしろいねえ
何が歪かって、これらのシーンと平和なシーンとの温度差がそれほど無い事ですよ。むしろこれらのシーンも平和なシーンなのかも。

それで、彼女には親違いの妹と義理の母がいて、彼女の母親は結構昔に自殺しています。義理の母がまた嫌な人間で、自分の美に自信を持ち、若いツバメを囲っています。その若いツバメの彼と主人公との恋愛がストーリーの基本軸となります。ぶっちゃけこれ以上は言葉だけで説明するとだれるので辞めますが、いやらしく入り組んだ人間関係とキャラクターの無邪気な部分とがもうグジャグジャになって詰まっています。ここまで複雑かつ陰湿な人間関係はやはりどちらかといえば作者の90年代以降のもの寄りです。



あと、バッドエンド気味な最後も彼女の90年代の悲惨な作品群に先立ったものです。色々あった末に幸せそうなオチに向かうかなあと思ったら、何というかマスコミによる「有名税」によって駄目になるエンドは、何となく『ヘルタースケルター』にも通じない事は無いです。しかしこの作品は完全に駄目な結末は迎えません。駄目になる予兆、明らかに駄目になるそれを提示し、そうとも知らずに幸せそうな主人公たちの場面で物語が終わります。これも90年代作品の破滅的なエンドへ向かう途中だったからかもしれません。



この作品で特に歪なのはやはり主人公です。彼女は作中で売春を繰り返しますが、考え方なんかは子供じみた自分勝手さ・ロマンチックさ・自由気ままさが現れています。そしてこの作品の中で彼女が繰り返す売春は、所謂「売春=ヤバイこと」って感じからはかけ離れた、ごく普通の日常として描かれています。そして、それをしている時の彼女の考え方もやはりどこか子供的な無邪気さがしょっちゅう顔を覗かせるのです。だから彼女はよく喜びよく怒り、でもそんなに深くは悩んだりしません。彼女の行動に比べて、彼女の心理的な「影」の部分が凄く希薄なんです。ここがこの作品が特に作者の諸作品から浮いているもっともな点だと思います。



総評として、私にとっての岡崎氏に関する好きな部分とやや苦手な部分が入り混じる作品でしたが、好きな部分の方がより勝っています。中々に緊張感もあり、全体的にどうなるか分からない割とグダグダ(これはそんなに悪い意味ではないです)なストーリーも上手くまとまっており、よく出来ていると思います。まあ確かに、『リバース・エッジ』の方がより鋭く研ぎ澄まされていますし、『ヘルタースケルター』の方がより破壊的・退廃的、『東京ガールズブラボー』の方がより享楽的でエンターテイメント的(この三作品が私としては彼女の代表的な長編だと思います)なんですが、この作品はそれらの要素を内包しつつも80年代的スタイルも保った、正に過渡期、そして大事なマテリアルだったのでしょう。それなりに彼女のファンな私としては、そのある種カオスな部分が特に面白かったです。ワニ可愛い。




うん、今読み返してもそんなに不満・違和感は無い。一年近く前の日記だけど。



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